偽名とお泊まり会
枯樹生華3
「呪われてんじゃねーの、そのガキ」
開口一番で現実味のない台詞を吐く猫。
「そうは見えないけど」
小首をかしげる樹に、目に見えたら呪いじゃねぇだろと猫が言う。それはその通りなのだが、そういうことではない。
「今度【東風】連れてきていい?」
「おー、こいこい。東呪い殺してもらえ」
「なんで俺が死ななきゃなんないのよ!呼ぶのは歓迎だけど」
樹の質問に猫がケラケラ笑いながら返答し、6人分のお茶を用意している途中の東が文句をつける。
そう、6人分。
【宵城】で得意客から贈答された高級酒を金の回収がてら【東風】で呑もう…ということで猫が持ってきたらしく、折角なので燈瑩や上にも声をかけた。となるともちろん大地もやってきて、樹も帰宅し、結局今夜もいつものメンバーが集まったのだった。
「しかしこの唐揚げうめぇな」
「台湾はら新ひく来た店らひいよ。鶏排?っていうんらっけ?」
「ほんま食い物に詳しいねんな樹は」
燈瑩がツマミにと買ってきた唐揚げを称賛する猫。ムシャムシャと頬張りながらそれを解説する樹に、上はまたも関心している。
「樹が食べたいって言ってたから。夕飯も兼ねて、ちょうどいいかとおもって」
煙草をふかしながら燈瑩が微笑んだ。
カラッと揚がった大判の唐揚げはひとくちかじるとフワッと五香粉が薫り、ザクザクと食感もいい。
九龍内に新店がオープンする度にこうしてみんなで試食会をするのはもはや恒例だ。
あまり酒を飲まない大地や樹の為に、燈瑩はついでに黒糖ミルクや紅茶、フルーツ系などの珍珠奶茶もテイクアウェイしてくれている。
その中から果肉のたっぷり入った白桃ティーを手に取った樹は、揺らめく琥珀色の液体を見てふと紅花の言葉を思い出した。
甘いドリンクで唐揚げを流し込む。口の中を空っぽにすると、みんなに疑問を投げた。
「あのさ、誰かアンバーって人知ってる?」
「アンバー?」
猫は眉間にシワを寄せ、上は首を横に振った。
「知らん。誰なん?」
「俺も知らない。紅花の伯父さんが探してるって」
「九龍の人間なのかよそいつ」
「だと思うけど、名前しか聞いてないから」
「手掛かり全然あらへんやん」
「誰か知ってるかなぁと思って」
「聞いたことねぇな」
誰にも心当たりはないようだ。そもそもどうして紅花の伯父さんはアンバーを探しているんだろう?昔の友達とかなのかな。
樹は思案しつつモグモグと鶏排を食べる。
そんななか、口々に意見を交わす皆の後ろで黙って聞いていた燈瑩が口を開いた。
「俺のことだね、アンバーって」
皆一斉に燈瑩へと振り向く。
「ぁんだよ、お前燈瑩って偽名だったのかよ」
「え?そっち?」
予想外の猫の言葉に、普通に考えてアンバーのほうが偽名でしょと燈瑩は笑った。
偽名というより、香港の人間は通常の名前に加えて別の英語名を持っていたり使用していたりする者が多い。
九龍の日常生活ではあまり使う事はないが、裏社会ではアダ名の方が都合がいい時もあるだろう。
燈瑩も、アンバーという名前の方は武器商の仕事で使っているらしい。
「紅花ちゃん、の伯父さんが探してるの?俺を?」
「んー紅花も詳しくはわかんないっぽいんだけど…探してはいるみたい」
樹の返答に燈瑩は少し考えつつ、煙草の灰を落としながら言った。
「‘探してる’ってのが引っ掛かるね」
燈瑩の顧客は武器商人、つまり同業者か、もしくはマフィア関係だ。そしてそのほぼ全てがもともとの顧客からの紹介。
アンバーという名前は基本、顧客しか知らない。ということは紅花の伯父は顧客から聞いたのだろうか。ならそこから繋げてもらえばいい話。
だがそうしない。考えられる可能性は2つ。
ひとつは、顧客のツテはあるが、なんらかの理由で紹介してもらえなかったから。
もうひとつは、顧客のツテは無く、伯父自身が個人で調べたから。
前者にしろ後者にしろ、あまり良い印象ではない。
紅花の伯父が顧客に紹介してもらえないような人物──同業者やマフィアからハジかれるなどよっぽどだが──であるか、または秘密裏になにかをしようとしているかだからだ。
武器に用があるのか、金に用があるのか、命に用があるのか…いずれにしろロクな理由ではないはず。
「とりあえず、燈瑩がアンバーだってことは内緒にしといたほうがよさそうだね」
「ん?そうね…今はまだ言わないでおいてくれると有り難いかな」
樹の言葉に燈瑩が同意する。
紅花自体は問題ではないけれど、伯父、というのが何者なのかが不明瞭だ。目的がはっきりするまではこちらの手の内は明かさないのが賢明だろう。
酒をあおりながら聞いていた猫が樹を指差す。
「とにかく、明日会うんだろ?【東風】連れてこいよ。見てみようぜそのガキ」
「え?明日もみんな【東風】居るの?」
「樹、今日俺が何本酒持ってきたと思ってんだよ。オールだオール。昼まで【東風】で寝てるよ」
「そうなの!?」
猫の宣言に東が大きな声を出した。例のごとく何も知らされていない家主。
ったりめーだろ俺の荷物見えてねぇのか?その目に張り付いてんのは牛乳瓶か?などと悪態をつき、猫は唐揚げの油でビタビタになったキッチンペーパーを東に投げつけた。
ビチィッと音を立てて顔面及び眼鏡にくっついた油まみれの紙に、東は断末魔のような悲鳴をあげる。
レンズについた油はなかなかしつこい。除去しきるにはかなりの労力を要するのだ。
「やった、今日泊まりだぁ!」
「俺ベッド1個もーらい」
「おい猫!ベッドは樹のだから!」
はしゃぐ大地の横をすり抜けて颯爽とベッドを確保する猫にギトギトの顔面をした東が苦言を呈する。
「あ?2個あんだろ、俺と樹でいいじゃねーか」
「大地はベッド使わせたってや」
「じゃあ大地俺と一緒に寝る?」
「え、いいの樹?わーい!」
「待って俺のベッドは!?」
「東は床」
「家主なのに!?」
そんな調子でギャアギャア騒いでしこたま呑んで、九龍の夜は更けていく。
結局床で睡眠をとる羽目になり首を寝違えたうえ、思いっ切り二日酔いのどうしようもない顔で紅花と初対面をした東が「やっぱり変な人ね」と言われ、心にダメージを負うのはもう十数時間先の話だ。




