殴り合いと一文無し
香港麻雀
【宵城】最上階、朱塗りの柵の中、ジャラジャラと牌をいじる音。
「それポン」
「は?東てめぇ鳴き過ぎなんだよ」
「えー?いいじゃない」
「良ぉないわ、俺また順番飛んだやん」
麻雀だ。
猫の部屋に集まったとき、たまにこうして麻雀をする。もちろん賭け麻雀。
ちなみに普段する賭け事は、【東風】ではもっぱら大小、カジノに遊びに行く時はバカラがお決まりのパターン。
「ロン、対対和」
上の捨て牌を指しながら、東がパタタッと自分の牌を倒す。
「なんで俺から直撃やねん!!」
「樹から取るのやだもん」
「理由訊いてんとちゃうわ!!」
上が半泣きで点棒を払う。猫は、楽しげに笑う東の手元を見た。
上が弱いのはいつものことだが…今日は東が随分と強い。これは実力とか運の問題じゃねーなと猫は思う。
東、絶対に‘積んで’る。上突っついて遊んでんな。
ようはイカサマをしているということ。
始まる前、手札を揃える時点で、すでに有利な牌を自分の山に集めている。
身内の博打でイカサマはすんなって言ってんのに…懲りねぇなと猫は舌打ちをする。
上が仕事で普段より儲けたのを聞きつけたのだろう、ちょっとハネてやろうというのが目に見える。
「おい東、ちゃんとやれよちゃんと」
「やってますよ」
「クソが眼鏡割るぞコラ」
言うが早いか猫は東に麻雀牌を投げ付ける。
ものすごいスピードで飛んできた2つの牌は、確実にメガネの両レンズをとらえた。
「やめて!!ほんとに割れる!!」
ギャアと東が叫ぶ。
その横で、上は窓際で煙草を吸っていた燈瑩の服の裾を引っ張った。
「もーいやや…燈瑩さん代わって…」
「え?いいけど」
「そうしろ上、早くどけ。この眼鏡殺すぞ燈瑩」
泣きっ面の上へ頷く燈瑩に、猫も手招きをする。
正直、東はイカサマが上手い。
手先が器用なのだ。その才能はこういったイカサマを筆頭に、ピッキングや違法薬物の精製などに使われているが。
燈瑩が卓に着くやいなや、猫は牌を混ぜ素早く山を整えた。様子を見ていた燈瑩は一瞬考え、少し口角を上げる。
反対に、東は不満気な顔をした。カモが逃げたからだけではない。
‘積んだ’のだ、猫も。早業だったがわかる。
上が居なくなったので遠慮なく仕掛けてきた。次局はおそらく燈瑩も‘積む’だろう。
こうなれば大勝ちは期待出来ない。
イカサマに関して上を素人と位置付けるなら、猫と燈瑩は玄人だ。‘積み込み’だけではなく、あの手この手を警戒し慎重に戦わなければこちらが喰われる。
これはもはや麻雀ではなく、イカサマ合戦。
誰が一番手癖が悪いか、それを決める勝負だ。
そんな中、黙々と牌を揃える樹。自分にはまったく関係が無い話だったからである。
この3人、誰も樹から点を奪ろうとしない。
東は個人的な贔屓、燈瑩はイカサマをする人間にしかイカサマを仕掛けず、猫が仲間内でズルい真似をする相手は基本的に東のみ。
卓に居ながらにして傍観者の樹は、ただただ行く末を見守った。
そこから先は反則技のオンパレード。ルール無用の殴り合い、拳でではなく麻雀牌と点棒での話だが。
「ロン」
明らかに和了れないような流れで猫が和了ってきた。東に直撃の混一色。
三つ巴であれどそんな下手は打っていないはずだが、と東は山に視線をやる。
そして気が付いた。開始時とは違う、僅かな牌山のズレに。
ぶっこ抜きか。
不要な手牌と山の牌を入れ替える、猫の素早さありきのイカサマ。猫は2幢でも3幢でもぶっこ抜く。
山ごと丸々動かす燕返しすらもコンマ数秒でやってのける男だ、牌を数個動かすことなど造作もない。瞬き程度の隙が命取りになる。
これだけ注意して見ていたのに…ますます油断出来ない。
そして次の局。誰も和了らず流局かと思われた……その時。
「ツモ、海底」
最後に自摸った燈瑩がカタンと手牌を開く。
清一色。
んな訳あるか、と東だけでなく猫も牌を見詰める。
鳴きを使って海底を操作したとて、都合よくそんな手がくるなんて。
その最後の1枚、海底牌は九索だった。
だがそもそも九索はもう山に残っていないはず。揃えるのは不可能…となると答えはひとつ。
拾ったのだ、捨て牌から。
「いつギったんだよ…なかなか大胆だなお前も」
「そう?ごめんね樹、点数減らしちゃって」
「全然大丈夫」
猫の言葉を軽く流し、燈瑩は樹に謝りながら点棒を貰う。小声で東が俺にも謝ってもいいんだよ、などと言っている。
この時点で点数はイーブン。誰も大きく勝っておらず、大きく負けてもいない。
イカサマの応酬で順位は一進一退だ。
局は進み、殴り合いは続く。ロン、ツモ、ロンロンツモ、ロン。
攻防激しく、点差は開かない。
そして最終局───東がフザけた行動に出た。
「九張落地」
言って、牌を9枚倒す。
通常はポンやチーをして9枚の手札が表になった時点で宣言するもの。
だが、今回の東は配牌された段階での唐突な手牌の公開。宣言は何の意味も成さないしルール外もいいところ。
しかし、その9枚はもちろん揃っている。最初から集めてましたと言わんばかりの手持ち。
イカサマを晒したうえに待ちも一目瞭然。メリットなどひとつもない。
そう。ただの煽りだ。
「舐めてんなぁ?眼鏡よぉ」
言って、猫も手牌を9枚倒す。揃っている。燈瑩も倒した。やはり揃っている。
4人中3人が意味もなく初手から9枚を、積み込んでいるという事実含め曝す事態。
そして、全員すでに聴牌。
空気がヒリつく。試合が始まり、その直後────
「あ、和了り」
ふいに樹が呟く。全員が手を止め注目する中、樹はパタンと手牌を倒した。
清老頭。
なんのことはない、樹も初手からテンパっていたのだ。特にイカサマ無しに。
しかもこの役満、統計上の出現率が恐ろしく低い。
1000局やっても2回できない、実際は10万局に2回ではとも言われている。
「はぁあ!?マジかよ!?」
驚いて叫ぶ猫、破顔する燈瑩。東はなぜか、ヤダ何それすごい!!とオネェ風。
「駄目だねぇ、もうこれ樹の勝ちで終わりでしょ」
「だな。止めだ止め」
燈瑩はお手上げのポーズをし、猫もガシャッと手牌を崩す。
どんなイカサマにもまさる豪運に脱力したのだった。それにどのみち最終局だ、キリもいい。
と──樹が東に手を差し出した。掌を上に向けた、ちょうだいの仕草。
「東、払って」
「え?」
何を払うのかがわからずキョトンとする東に、樹は捨て牌を指さす。
途端に東が青ざめた。
この和了りはツモではなかった。
…ロンだ、東からの。
てっきり樹が自摸ったものだと思っていたが、東の放銃だった。
役満直撃、ついでに翻は青天井なので人和上乗せ。どマイナスである。
「え…待って、樹…」
「払って」
掌が引っ込む、なんてことはなく、よりいっそう東へ近付けられた。
東は焦る。問題はレートだった。
上から巻き上げてやろうなどと企んでいたため初めからいくらか高額だったのに加え、メンツが燈瑩に代わった際にさらに高値に引き上げられていた。
みんなを見回す東だが上は無表情で拍手しており、燈瑩は顔を隠して爆笑、猫には自業自得だ払えバカと一蹴された。
樹に視線を戻す。
「…分割はききますか…?」
「きかない」
「ですよね!!」
問答無用で財布ごと持っていかれ、東はまたみんなを見回した。
「もう一局、もう一局やらない!?お願いだから!!イカサマしないから!!」
少しでも手持ちを取り戻したい、泣きの一回。
当然だが誰も聞く耳を持たず、興味はとっくに財布の中身に移っていた。
「あれ、けっこう入ってる」
中の札束を目にした樹が意外そうな声を出す。猫はパイプをくゆらせククッと笑った。
「東昨日競馬勝ってるからな。欲かくからこうなるんだよ」
「このお金でみんなでご飯行く?」
「俺はパス、もうすぐ【宵城】開けるし。かわりに大地に食わせてやれよ」
「わかった。上、大地呼びなよ」
「え?ええの?」
樹が頷くと、上は大地にメッセージを打った。すぐさま嬉しそうな絵文字が返ってくる。
「大地学校でしょ?みんなで迎えに行こうか」
「あ、じゃあその近くに新しく出来たお店の雲吞麵食べたい」
「樹ホンマによぉ知っとるな、食い物の情報俺より早いやん」
燈瑩の提案に新店が気になる樹が二つ返事で賛成。
上はその情報収集能力に感心している。
大地が最近ちょこちょこ通い始めた学校、というか九龍独自の寺子屋は中流階級地域にある。
あの辺りは飲食店も小綺麗で美味しいものが多い。新店が開店したとなれば食道楽の樹としては放っておけないのだ。
「あの…みんな、無視しないで…」
か細い声の東の訴えを意に介さず、一同部屋を出て行く。猫は立ち上がらない東の首根っこを掴み外へ引きずり出すと、ガチャンと鍵を閉めた。
「待って猫閉めないで!!樹も待って!!ねぇ!!みんな!!」
哀れなイカサマ師の悲痛な叫びが、昼下がりの九龍に響き渡った。




