親切心と熊猫曲奇・後
雲淡風輕5
「寧、やっぱボーイッシュな服装も似合うよね」
「そっそうかな…だといいけど…」
遊歩道の先。熊猫軍団を鑑賞しつつ、オーバーサイズパーカーのフードを恥ずかしそうにかぶる寧へ大地が賛辞を述べた。
ミドル丈のカーゴパンツとコロンとした靴は、寒色のアースカラーでまとめられており統一感がある。ショートカットの髪型にもマッチしたスポーティな雰囲気。
「もちろんこの前のお祭りの時の浴衣も似合ってたけどさ」
言いながらスマホのカメラをセルフィー向きへとセットした大地は、熊猫をバックに一緒に撮ろうよと寧を誘う。控え目に大地に肩を寄せ画面を見詰める寧が、聞き取れないほどの声量で呟いた。
「もうちょっと、可愛くしてきたらよかったなぁ」
口を横に結んで、再び恥ずかしそうにフードの端を引っ張る。
別に寧はいつだって可愛いが…思いながら大地は数回シャッターを切り、それから土産物を売っているワゴン車を指差した。
「ね、せっかくだし熊猫帽子買お?おソロで。耳付きのやつ」
寧が普段のボーイッシュなスタイルに加えてフードまでかぶっているのは、城寨外だからというのもあるのだろう。【紫竹】との騒動は収まったといえども不安が残る。群衆への警戒。マフィアが遊びに来そうもない遊園地──まぁ哥は居たんだけどさぁ──や周囲が暗かった夜市ではそこまで用心していなかったものの…。よって帽子は、そんな寧の心境を慮っての提案。‘可愛くしてきたらよかった’の気持ちも汲んで。あとは単純に、熊猫帽の寧はすごく愛らしいはずなので。
大地は寧の返事を待たず、戸惑う腕を優しく引っ張り売店へ。熊猫を模したデザインのフライトキャップをふたつ購入し、ひとつをアワアワしている寧に笑顔で手渡した。大地がさっそく被ってみせると寧もおずおず後に続く。小さく聞こえる多謝。
「イイじゃん!もっかい撮ろ?」
寧の帽子の耳を整え、感想とともにインカメラをスタンバイする大地。寧ははにかみながら応え、今度は先ほど撮った時よりも、その小さな肩をもう少しだけ近くに寄せた。
土産屋を巡り、限定スイーツをしこたま手に入れた帰り道、大地が停車中の観光バスを指し示す。赤い車体のダブルデッカー。
「あっ、アレで帰ろうよ!前に乗ったとき楽しかったから寧も乗せてあげたい!」
その時は猫が超イヤそうにしてたとケラケラ語る大地に燈瑩が吹き出した。想像に難くない、不機嫌なネコちゃん。
オープントップの2階へ乗り込み生温い風を浴びる。華やかで騒がしい摩天楼、立ち並ぶ高級ブランド店、行き交う的士。頭上スレスレを過ぎ去るネオン看板へ、前回と同様に手を伸ばす樹。
「触れそう」
「高さ制限、5m弱って聞いたことある。東あたりに肩車してもらえば触れるね」
燈瑩が説明し、ククッと喉を鳴らす。道路の看板は地面を基準に5m弱より上ならつけられるらしい。たしかに、東に担いでもらえば2階席からは余裕で手が届く。ちなみに歩道の高さ制限は2m強だとか。相槌を打つ樹へ人差し指を立てる燈瑩。
「でも2階席で立つと怒られるよ」
「なんで」
「重心が高くなるとバスが横転するから」
「頭ぶつけるからじゃないんだ」
万一首を持っていかれたとしても自己責任、ということだろうか。勝手に御陀仏になるのは構わないが乗り合わせた人間を巻き込むのはNGという理屈か。こないだ怒らんなくて良かったぁ!と唇を尖らせる大地も質問を重ねる。
「他にもバスの規則ってあるの?」
「んー…台風の時は強風で横転しないように全部の窓を全開にする、とか」
「ウケる!お客さんズブ濡れじゃん!」
ツッコミをいれつつ破顔する大地の横で寧もクスクスと笑みをこぼす。いかなる時も横転への注意を怠らない香港バス。車道に飛び出るガラス管を視線で追う樹は、とある一角へ目を留めた。
「あれ?あそこの大きい看板無くなった」
「ちょこちょこ入れ替わってるね。ランダムだけど」
「古いのから外すとかじゃないんだ」
「台風の気まぐれかな、そこは」
燈瑩が小首を傾げる。どうやら老朽化が激しくなってきた看板は当局が取り外す仕組みだが、外す費用は元の持ち主にはかからないとのこと。なぜなら古くなる頃には経営者が何度も変わっており、誰が最初に取り付けたのかサッパリわからないからだ。撤去の工事費を払いたくはない当局が頼るのは大型台風ご一行様による例のバカンス。彼らはここぞとばかりに年代物のビンテージ品を根こそぎ爆買いしていってくれる。
香港は日々変化し続ける。城寨もそうだ。鶏蛋仔屋のある光明街だって、この10年かそこらでかなり綺麗になったとの噂を聞いた。自分の知らない歴史───バスが進み、樹は視界の正面に現れた九龍城砦を見やる。夕暮れの空を背負い、明かりを灯しだした魔窟。降車して近付くと食べ物のいい匂いがそこかしこから漂ってきた。各家庭、晩ご飯の準備中。人々の暮らしで満ち満ちた東洋のカスバは拍子抜けするほど平和な表情も持っている。
上が居ないなら大地は外食か?不意にそう気になった樹の思考を読んだように、燈瑩が口を開く。
「みんな、猫のところでも寄る?お土産持ってってあげようよ。夕飯は蓮君の食肆から新作デリバリーして」
「うわ、寄る!寧も寄るでしょ?ご飯食べたらお菓子あけて交換会しよ!」
ハシャぐ大地に頷く寧。樹は燈瑩の発言が金髪美人への親切心などでは全く無いことはわかっていたが、先日試食した蓮の新作メニューがどれもこれも非常に美味しかった為、寧の隣で同じく首を縦に動かした。