親切心と熊猫曲奇・前
雲淡風輕4
南シナ海北部を西北西に進んでいる台風は、澳門気象台の発表によると最高等級の‘超強’規模。あと数日もすれば香港へバカンスにやってきて、街のあちこちに群生しているネオン看板を土産代わりにカッさらっていく予定だが…今日の維多利亞港はまだまだ波も穏やか。2500体の熊猫軍団は燦々と照る陽射しを浴び、のんびりゆったり寛いでいる。
「わぁ、熊猫めっちゃ居る!行こう寧!」
大盛況の星光大道。寧の手を引き遊歩道を駆け出す大地を眺めながら、樹は人民帽の鍔を軽く下げキョロキョロ辺りを見回す。その鋭い眼光が狙うのは───無論、限定品の熊猫スイーツ。
あそこのポップアップストアでは棉花糖が販売中。あっちの店は雪糕、チョコチップトッピングで熊猫風。む?ドリンクスタンドには飲み物もあるのか?なるほど、コーヒーフロートのバニラソフト部分をデコレーションで熊猫にして…これは必食…。食べ歩き用の他に持ち帰りのお菓子も探さねば。やはり定番は曲奇だけれど、表面にココアパウダーで熊猫が描いてある蛋撻もいい。鷄蛋巻はラッピングの缶が熊猫柄なだけだな、だがそれもいい。今しか入手不可能なリミテッドエディションには相違ない。むしろ、中身が通常通りならば‘食べ切ってしまったらもう終わり’という心配が不要。安心して吸い込める。
考えているとスマホにメッセージ、上からの写真。食欲をそそるメニューが並ぶ小洒落た食べ物屋が写っている。上も本日は陽と外出らしく、‘美味そな店あったらチェックしとくな’との約束を律儀に守ってくれた模様。付き添いでやってきた保護者が、兄弟揃ってデートだねと笑う。
そういえば、彗からも‘熊猫の写真撮ってきて!’と連絡がきていた。上海でニュースを見たのだろうか。この軍団は違うけど、熊猫自体はもともと大陸のだし…香港のじゃなかった訳だから…。思いつつ巨匠はカメラを起動し被写体をパシャパシャ撮影。2500匹のモデルたち、ポーズは多種多様。仰向けの大きな子をメインに据えるべき?待て待て、にこやかなこの子も小柄だが魅力的。笹を頬張る食いしん坊な子も捨て難い。5枚10枚15枚、カメラロールに増えていく作品群。
殷にもあとでメールをしておこう、宝珠が〈パンダエコノミー〉関連のキーホルダーか某かを欲しがっていれば買っておく旨を伝えたい。前に貰ったマスコットの返礼品。でもキーホルダーも種類たくさんあるんだろうな…寝転んでいるのがいいか飛び跳ねているのがいいか…いや、1種類に決める必要もないのか。いくつか買っておいて選んでもらうのがスマートかも、大地も以前寧にそうしていた。こういった類のことはてんでわからない、ならば先達の行いに倣うが吉。思いつつ巨匠は被写体をパシャパシャと撮影。20枚25枚30枚、カメラロールに増えていく作品群。
巨匠が彗へ作品を送る傍ら、同じく燈瑩も熊猫のポートレートを無数に撮影してはどこかへ大量送信中。珍しい。樹は首を捻る。
「燈瑩も誰かに送ってるの」
「ん?うん、金髪の美人さん。でも今ブロックされちゃった。送り過ぎたみたい」
フラれたかも、と愉快そうな雰囲気。
フラれる?燈瑩が?そしてフラれたのに愉快とは?樹が疑問符を浮かべた矢先、手元のスマホが震えた。彗の微信───ではない。猫だ。本文〈ヤクザしばいとけ〉。
そういうことか…金髪美人…。‘お土産何がいい?’と訊ねれば〈いらねぇ〉との即レス。じゃあ熊猫曲奇にしよう。決定。決定は返信しなかったにもかかわらず、〈ぜってぇいらねぇぞ〉との追記が飛んできた。なんでわかったんだろう、不思議。樹は曲奇から蛋撻への変更を決めた。