城砦暮らしとルーティンワーク・後
雲淡風輕3
「子供会?」
「うん!いつもなら休校日はお祈りなんだけど、今日はちっちゃいお祭りやってさ!」
寺子屋からの帰り道。路地裏を並んで歩く樹の疑問へ朗らかに答える大地。
教会主催の寺子屋は、星期日には礼拝堂へと姿を変える。通常、ミサが行われる安息日だが…本日は小規模なイベントを開いた模様。なので遊びに行ってみたのだと説明する大地に内容を訊けば、折り紙で熊猫を作ったり熊猫柄の風船を飾ったり熊猫のイラストに色を塗ったり…と熊猫づくしのラインナップ。香港政府の〈パンダエコノミー〉を受けての企画だったらしい。
参加者は低年齢の生徒が大半を占めていたようで、‘折り紙たくさん折ってあげた’とはにかむ大地はどことなくお兄ちゃん然。労いと共に新作鶏蛋仔を贈呈する樹、即刻パクつき‘おいしい’と瞳を輝かせる大地はマシュマロを見やりピッと人差し指を立てた。
「てかさぁ。さっき学校でも話題になったけど、星光大道に熊猫軍団居るでしょ?昂坪360からきたやつ。超気になる」
「見に行く?俺も限定のお菓子買いたいし」
「ほんと!?行く!日付け確認しなきゃ!」
樹の提案を聞くやいなや、大地はスマホを取り出し開催期間を検索。瞬く間にテンキーをフリックし情報をヒットさせるデジタルネイティブ世代。
「んっと、星光大道は今週までみたい。そのあとは海洋公園とか西營盤回るっぽい」
「なら今週行こう。週末?」
「や、半ばとかにしよ!橡皮鴨もすぐ居なくなっちゃったもん」
言いながらムゥッと唸る大地に樹も同意。以前維多利亞港へ浮かんでいたアヒル達は、唐突に1週間も予定を前倒し香港より拜拜してしまっていた。此度の熊猫も念の為、早目に訪問しておくにこしたことはない。大地が記事を読み上げる。
「〝地球上の熊猫の数に合わせて2500匹が製作されました〟」
「そうなんだ」
「〝観光客からはぽっちゃりで可愛いとの声があがっています〟」
「それ、朝のニュースでも言ってた」
「やっぱしぽっちゃりは可愛いよね…天仔も…熊サンもさぁ」
言いながらフフッと笑う大地に樹も同意。熊サンとは、熊猫というより恐らく上を指している。ダイエットせずともぽっちゃりクマさんはぽっちゃりクマさんで可愛いのかも知れない───廿四味茶を啜る上を思い返す樹に、大地が‘俺は鶏蛋仔2個目も食べちゃう!’と悪戯な表情。樹も‘俺は10個’と頷くとおかわりの熊猫を配布、毛茸茸を頬張る育ち盛りのティーンエイジャーたち。
鶏蛋仔を片付け大地と別れた万屋は、日が暮れないうちにフリマへ赴き【東風】印の漢方を陳へとお届け。店番を手伝っていた匠をまじえて軽く茶会、東お手製三文治をみんなで囓る。
水漏れトラブル、漏電トラブル、警察トラブル等々、各方面に豊富なトラブルをホワホワ話す陳。その語り口調だと深刻具合がどうもよくわからないが、しかし詮ずる所、街で大きな事件は起こっていなさそう。安心安全平和な魔窟。
「これは侯さんが新しく拵えたやつでね、こっちは馬さん!あれは妮娜さんの!」
新たに増えた商品を得意気に披露し、ピョンピョン跳ねては両膝をサスサス。食後のお茶を淹れようと店の奥へ向かう足取りは覚束ない。漢方だけでなく湿布も必要な様子───次回は東に山ほど処方してもらおうと心に決める樹。強い眼力になにかを感じ取った匠が、‘湿布は1枚ずつ貼るんだぜ’とそっと樹の肩を叩いた。
急須の中身を空にした頃、ハシャぐ老豆のお世話は匠に任せ、樹はネオンが灯りだした砦へ再出発。最後の配達場所は蓮の食肆付近。夕飯のテイクアウェイを考慮したルート、采配は完璧。
仕事を完了し食肆へ着けば、ボックス席にちょこんと寧がいた。こちらも同じく新作の試食を蓮から打診されたようだ。試作品の他にもいくつかオーダーを加え、料理の出来上がりを待つあいだ、少し雑談。王の店でも試食をしたと語る樹。
「で、大地と熊猫見に行こうってなって」
「熊猫…そっか、お出掛けかぁ…」
「寧も行く?」
若干ソワソワしだした寧に、熊猫に興味を惹かれたのかと解釈した樹は‘大地に言っとこうか’と発して微信のトークルームを開く。すると途端に目を白黒させる寧。樹はなにやら熊猫のようになってしまった寧の返答を待ち、ギリギリ聞き取れる程度の声量で押し出された‘お願いします’を拾ってから大地へメッセージを飛ばした。そこで礑と疑問符。
このメンツなら保護者が必要か?上が心配しそう。燈瑩ヒマかな、誘ってみようかな。ええっと…‘熊猫行かない?’。送信。いや、ハショり過ぎたか。ええと、ええと…悩んでいる間に即レス、‘好吖’。ありがたい。
注文した倍以上のフード──オマケでしゅ!──を受け取り、相変わらず熊猫のような寧を途中まで送り、樹は足早に帰路へつく。
どうして寧は熊猫のままだったのだろう…頭を捻りつつ屋上を走る。あのあとすぐに大地からもオッケーの返事があったし、冇問題はずなのだが。平日に行くからバイトの出勤調整とかが気になるのかな。寧って真面目だもんな。うん、きっとそうだ。そうこう思案するうちに【東風】へ到着、明滅する電球の横の引き戸をひいた。
「ただいま。食べ物買ってきた」
その台詞に、食卓へ豆腐のみを準備し縮こまっていた東がバッと姿勢を正してアリガトウゴザイマスとカタコトで礼を述べる。やっぱスッたんだと樹が水を向ければ無駄に凛々しい表情を返す東は、配膳を始める呆れ顔の樹をきびきびサポート。樹は‘お礼は蓮にゆって’とため息混じりに肩を竦めた。
卓を囲んで小1時間。夕飯をペロッと平らげた樹は、デザートの菓子の到着をウキウキと待つ。曲奇だろうか鷄蛋巻だろうかと胸を高鳴らせる樹を、東があら素敵、どなたから戴くのと茶化した。
「猫から貰う」
「えっ、猫!?来るの!?」
東の声が上擦る。おや?となると…このパターンは多分…樹は首を傾けた。
「もしかしてツケ───」
言い終わるより先にバンッと入口のドアが開く音がして、飛んできた物体が東の額にヒットした。
下駄だ。
東が椅子から転がり落ちる。平常運転だなと納得する樹の傍を手提げ袋を持った猫がズカズカと通り──過ぎる際に樹へ袋をパスし──空いた椅子へドカッと座って足元の東を踏んだ。
「金」
「無いです」
端的に要求する猫に短く答える東。昼間競馬負けたんだよと樹が口を挟むも、助けを求めて起き上がりかけた東は猫に再び秒速で踏まれた。
「テメェが勝ったか負けたかは関係ねぇな」
ドスのきいた声で吐き捨てる猫に‘東風’が吹くのを待ってはくれまいかと東は陳情したものの、この店名で吹かねぇんなら看板降ろせと一蹴される。
開封したお菓子、もとい鳥結糖を口に含んでしばらくそれを眺めていた樹だが、お腹がいっぱいで眠くなってきた。俺先に寝るねと席を立つと置いていくなと懇願する東に足首を掴まれたが、その手をまた猫が踏んでくれたので無事に寝室へと引っ込むことに成功。
シャワーと歯磨きしなきゃな、でも眠いな、仮眠してからでいいかな、寝たら起きない気もするな…ベッドに倒れ込んでうつらうつらと考える。
星光大道ら辺の店だと、どこの限定品が売れ筋なのかな。今の鳥結糖美味しかったな、あれは中環方面のお菓子屋だろうか?事前リサーチをしっかりしとい…て……。
部屋を抜ける生温い夜風。ガシャンパリンドゴッと店内から聞こえる騒音をBGMに、墨綠月餅クッションへ顔を埋めて、樹は瞼を閉じた。