これまでとこれから
落花流水20
「鶏蛋仔よひお饅頭っほひ」
「そーそー!生地が白いのも面白いでしょ?普段と材料が違って上手く焼き上げんのが難しかったよ、白を活かしたいからあんまり焦げ目もつけたくないし!中身は小豆餡と蓮の実餡で選べるけど、蓮の実のほうだと見た目が真っ白になっちまうな」
「でも上にかかってるこの赤いやつが華やかじゃない、トッピングのミニ平安マシュマロも可愛いし」
「そいつは砕いた棗と枸杞子。映えるだろ」
みんなの行きつけ、鶏蛋仔屋。本日は店休日につき常連さんとの新商品試食会を開催中。壁際の長椅子で新作を頬張る樹へ王はキッチンカウンター越しに揚々と語り、樹と並んで座って‘赤いやつ’を指差している陳に解説を付け足す。ミニ平安マシュマロをつまむ陳はパチパチまばたき。
「そういえば上くんはどうしてお饅頭って呼ばれてるんだい」
「猫はほー呼ふはら」
「もっと気取ったアダ名つけたらどうよ、C4時もイイ戦いっぷりだったし。姐さんと娘さんの再会にも一役買ってくれたしさ」
鶏蛋仔を飲み込み…否、吸い込み、指先をペロリと舐めた樹が首を傾げた。
「妮娜さんに言わなかったんだ、爆弾騒動のこと」
「最終的にはキレイに収まった訳だし。広めて余計な心配かけさせることもねーっしょ」
「解決出来たのは樹くんのチョイスのおかげだから、そこは自慢したいけどねぇ」
疑問符を浮かべる樹へはにかむ2人。娘との邂逅は王と陳へ──妮娜本人の口からも──伝えられていたが、その逆、城砦内での騒動については王も陳も彼女へと語ることはせず。そしてあれから妮娜は娘の配偶者とも挨拶を交わして、さしむき九龍城に戻ってはきたものの───少しずつ新生活への支度を整えている様子が窺えた。
新生活。城砦を離れて、娘と暮らすと決めたのだろうか。
「引き止めないの?」
樹の問いに王は眉をあげて笑み、陳は眉をさげて笑む。
「何も言わずに行くなら、俺らも何も言わずに送り出すのがいいかなって」
「横槍入れるのも無粋だもの。寂しいけど」
笑顔を見せてはいるが、漂う寂寥感。樹は再び首を傾げる。
「でも妮娜さん、黙って出てったりするかな。お店もあるのに」
「まぁ確かに…周りにキチンと挨拶とかしていく人だよねぇ…」
「けど聞けねーじゃん!俺なんてタダでさえ姐さんの行きそうなとこウロチョロしちゃってんのに、鬱陶しいじゃん!」
腕組みする陳。騒いで両手で顔を覆う王は、指の隙間から陳を覗いて不満気なトーン。
「陳なんで声掛けないんだよ、そのへんはそっちの役目だろ」
「王が掛けてないのに私だけ掛けるのはフェアじゃないでしょ」
「はぁ?妮娜さんはお前のこと昔っから気に入ってんのに」
「えぇ?王のほうが昔からよっぽどお似合いだと思うなぁ」
「なわけ無いっつの」
「なわけ有るよぉ」
「おっ前ほんとそーゆー所…まーいいや…」
「王だってそういうとこだかんねっ」
ブーブーと唇を尖らせあうミドルエイジ達。樹が視点を交互に移して些か言葉に迷っているのを見て取ると、王はレジスターへ肘を乗せ頬杖をつき、物哀しさを隠さず笑った。溜め息混じりにこぼす。
「もっとカッコつけたかったんだけど。カッコつかなかったな」
「そうだねぇ、もっと力になれれば良かったねぇ」
壁へと背を凭れた陳も同意して頷く。所詮、いくつ歳をとろうが彼女にしてみれば自分達は悪ガキなのだ。いつまでたっても届かない───苦笑いと共に漏れる心情とぼやき。
しかし。
「そんなことない」
樹が珍しく、ハッキリ否定した。目を丸くする王と陳をもう1度交互に見てから、想いを整理しゆっくり紡ぐ。
「爆発止めようってしてた時、店長も老豆も、カッコよかった。妮娜さんがなかなか相談出来なかったのは、2人が力にならないからとか、頼りないからとかじゃなくて…妮娜さんも、2人にカッコ悪いとこ見せたくなかったからで…」
王も、陳も、樹の主張をジッと聞いていた。樹は手元へ目線を落とす。
「俺とか大地も手伝いしたし、妮娜さんの周りは、いつも色んな人居るみたいだけど…でもやっぱり、1番支えてるのは店長と老豆だから。2人が思うよりも、妮娜さんは2人のことスゴいと思ってる。だから…そんなこと、ない」
言い切って、沈黙。あまり纏まらなかった。伝えたかったことを結局上手く伝えられず、鶏蛋仔の包み紙を両手でクシャクシャに丸める。まずもって口下手。それに自分はまだ皆の3分の1程度しか生きていない若造だ、偉そうに何を言える立場でもなかった。
バツの悪さを滲ませる樹を暫く眺めていた王だが───作りかけだった鶏蛋仔を手早く仕上げ、おもむろにカウンターから出て樹へ渡す。それから‘ちょっとお留守番お願い’と告げると入り口のドアノブに指を掛けた。鶏蛋仔を齧り始める樹が承諾するより早く、ピョコッと長椅子から立ち上がった陳が跡を追い、横へくっつき上目遣い。
「妮娜さんのとこでしょ。私も行く」
「陳、膝痛いんじゃないの」
「王こそ腰痛いんじゃない」
「俺は湿布貼ってるもんね。陳は病院でお水抜かなきゃ」
「私もこの前抜いたもん、エスプレッソカップ分くらい抜けた」
「ぁんだよその例え、お前エスプレッソ飲まないでしょ甘党なんだから」
「飲むよぉ!お砂糖たくさん入れて!」
「ほーん?抜いたエスプレッソもっかい膝に戻す気か?」
くだらない攻防戦の後、互いに顰めっ面で睨み合う。数秒も経たずにプッと吹き出す王。‘私にらめっこで王に負けたことないんだ’と陳は樹へガッツポーズ、サムズアップを返す樹。
変化する時代、香港の街、移ろう人々、目紛るしく過ぎる日々。何か失って何か掴み取って。何か握り締めて何か手放して。
そんな日常の中で───これまでもこれからも在り続けるモノ。
勢いよく入り口の扉を開ける。と、店の正面に立っていた老婦人とすぐさま視線がぶつかった。予想外の出来事に面喰らう2人へ、彼女は婀娜やかに微笑む。なびくシルバーのロングヘア。
「午安。こんなに今時なお店、おばあちゃんが来る場所じゃないかなって遠慮してたけど…お邪魔してもいいかしら。今日は娘の門出なの。それと、お返しも兼ねて」
面映ゆそうに畏まる妮娜が腕に抱えているのは、香港灯台の鉢植え。小さなシャンデリアさながらに連なる可愛らしい桃色の蕾の花言葉は‘希望’───そして‘新しい始まり’。長い冬を越えて暖かな春に開く花弁、新たな人生のステージを祝す花。鉢を差し出された王が狼狽える。
「え?あれ、姐さんも九龍から引っ越すんじゃねぇの?」
「私は行かないわよ。新婚さんの邪魔出来ないし、城砦にはみんなが居るじゃない」
「だけど身支度してたって聞いたよぉ」
「あらやだ。娘の新居用のプレゼントとか買い集めてたから、きっとそのことね」
陳が投げた質問へもあっけらかんと返す妮娜。涙ぐみつつ、そっかそっか!と満面の笑みを咲かせた陳は鉢植えを受け取り、どこに置く?と王へ尋ねる。好きなとこでいいよとぶっきらぼうに答え、踵を返しキッチンへ戻る王がこっそりと目頭を指で拭ったのを樹は見た。
これまでも。これからも。
「せっかくだし姐さんも新作食べてって。悪くねぇ出来だから」
「ふふ、王くんの鶏蛋仔を食べるのは初めてだわ」
「悪くないどころかとっても美味しいんだよ、痛風忘れておかわりしちゃうくらい!ねぇ樹くん!」
「ほっへほほひひーへほひはははふはひ」
「ですって。樹くんが正しいわね」
「えぇ?妮娜さん今のわかったのぉ?」
「ていうか上くんとか大地くんも呼ぼうぜ、妮娜さん来てくれたんなら」
弾むお喋りの傍ら、王の提案に樹はスマホを取り出し微信を飛ばす。先日の寺子屋ホームワーク、‘街のスケッチ’。樹が撮った写真を元に大地が描いた超大作[天仔大爆炸]は校内で非常に好評価を得て、今学期いっぱい教室に飾られる運びとなったらしい。そちらもお祝いするいい機会だ。
俺も久々に描こうかな、完成したらフリマに展示しよう。店長にプレゼントしてもいいな。2枚制作しようか。うん、それがいい。樹が考えると同時にジジくさいクシャミがふたつ響き、‘花粉?’という妮娜の声。
廻る季節。幾重にも重なった想い出に降る日輪の光は、郷愁を照らし冀望を煌めかせ、不格好に積み上がり支え合う違法建築達を明けく包み込んでいた。