ファイティングスピリットと成日一齊・前
落花流水17
「ちょ、陳…ええん、やで?そない無理、せんっ、でも…」
「か…上くん、1人で…行かせる、訳、には…いかない…ものっ」
息切れが激しい。
2人がレゲエなフリマを片付け終えた矢先。燈瑩より入った連絡は、城砦内にC4が設置されそうだというベタなサスペンス電影さながらの内容だった。埠頭で捕まえたはぐれマフィアの情報によると、お仲間が城砦内に爆薬を仕掛けに向かっている場所はどうやら【天堂會】跡地。
【天堂會】の撤退後、件のビル周辺は過疎化傾向にある。黒社会とのイザコザを面倒に思った人々があまり寄り付かなくなったせいだけれど、怪我の功名、この騒ぎにおいてはそれが良い方向へと働いていた。現在は居を構える住人はさることながら人の往来自体もかなり減少。したがって、爆発が起きてしまっても人的被害は恐らく出ないとの予想ではあったが。
いくらかの建物の倒壊には目を瞑ろう、もしも未然に防げたら御の字だが無理は禁物、樹が加勢に行くので踏み込むならば到着を待ってからでいい、というのが燈瑩の言。上は承諾したものの───隣で聞いていた陳が、まだ話も終わらないうちにその場所目掛けて飛び出してしまった。
痛風が祟りローギアな老豆はさほど速度は出ておらず、上の足でも追い付くには充分。されど、追い付いたとて、沸々と熱をあげるそのエンジンを止めることは出来なかった。
「私の、やれること、は…多くない、けど。でも…なにか、したい、から」
ゼェハァしながら発する陳。どれだけ息があがろうとめげずに前へと進む。ぽっちゃり体型が祟っている上も同じくゼェハァしつつ老豆の横顔を見た。真っ直ぐに正面を見据える眼差し。
───誰でも受け入れてくれて、出て行くならば足も引かない。九龍城砦は素敵な場所だと私は思うな。
電線修理の手伝いをした際、陳はそう笑っていたと樹に聞いた。住民を度々困らせにくる警察を追い払ったり。街のインフラ整備に気を遣ったり。フリーマーケットの運営を率先して申し出たり。陳はいつも九龍城を、城塞の‘家族’を、護り支えることに一生懸命だ。
燈瑩の提案はこちらの身の安全を最優先に考えたものだと陳とて重々理解っている。理解ったうえで、それでも、走っている。
水漏れでビチャビチャに濡れた道。勢いよく踏み出す度、靴やズボンに跳ねる汚水や泥。茶餐廳、叉焼工場、赤い格子窓。馴染みある風景の間を次々と抜ける。膝痛のせいで覚束ない足取り。道端へ散乱する廃棄物に躓きヨロけ、石壁に手をつく。掌が擦りむけ血が滲んだ。かまわず前進。薄くなった額に浮かぶ汗。
陳の揺れる双肩に、これまでの歴史と想いが映った気がして、上も頷いた。
「せやな…やれる、ことっ…やったろ、か!!気張るっ、で!!」
途切れ途切れで全く締まりはしなかったが。力強く吠えた上はこれまた力強く応える陳の背を叩き、ドシドシと薄闇の砦を駆けた。
ビルの周囲に人の気配は無かった。
荒れた呼吸を整えキョロキョロと目を配り、意を決して中へと足を踏み入れる。まだ爆弾は置かれていないのか?それとも既に仕掛け済み?このビルはそこそこの大きさだ、全ての階を回って爆弾ひとつを探し出すのは無理がある…設置前にしろ後にしろ、目星つけてあたらんと厳しいわなぁ…思いつつ慎重に辺りを確かめる上のしりえ、床に散らばる瓦礫に陳がいちいちつっかえてはピィピィ鳴いている。上は立ち止まり陳の腕を取った。
「老豆、足元よう見て歩きはって?」
「ご、ごめんねぇ…暗くて見えなくって…」
鳥目か、そういえば。ヨタつく陳の手を引く若造。ゆっくり歩みを進める。正面玄関すぐはロビー、それなりの広さ。向かいと左右に扉があった。
さて…どっから行こぉか…いや、どこからもなんも無いわな。向かいの部屋やろ。1階の真ん中でドカァンいきよればガラガラ崩れるんとちゃうの?上んほう仕掛けよってもテッペンしか吹き飛ばんやんな。俺やったらそうする、素人考えやけど。奴さんかて素人なんやからそうすんと違う?知らんけど。
足音を殺しドアの前へ。跳ねる心臓を静めてキョロキョロと目を配り、意を決してノブへと指を伸ばす。すると。
触れてもいないそれが、ひとりでに回った。
ガチャリと音を立てて内側に開くドア。出てきた輩と視線がぶつかる。上は驚き、同じく男も驚き、互いに一瞬肩を震わせた。陳はピャァと鳴いた。
アカン!!!!
上は即座に陳の薄い頭を押さえてしゃがむ。男の右フックが頭上ギリギリを過ぎた。安堵する暇もなく繰り出されたローキックを両手で止めて、そのまま足をガッチリ掴むと後転し床へ引きずり倒す。上は素早──いのかどうなのかわからないがなるたけ素早──く身体を起こし、男が体勢を整える前に鳩尾へ体重まかせの肘鉄をブチ降ろした。呻いて丸まる敵方、撃破1。
続けざまに聞こえた新たな足音。攪錯呀、何人おんねや!?ヤバいヤバい来とる来とる───上は陳を後方へ押しやり、ストールを外すと扉から顔を出すチンピラに放った。フワリと舞った茶色い布は男の視界を覆う。その隙をついて低い姿勢でタックル、壁に背を打ちつけた男の腰を抱え持ち上げブン投げる。みさらせ!!こいつがパワー系じゃ!!投げられた先に積まれていた空の段ボール箱へ埋まる対戦相手、撃破2。
え、なかなか快挙やない?これ?上は陳へ振り返った。入り口付近で尻餅をついている陳、その後ろにも敵の影。
おいおいおい何でそっちからも来んねや!?
「陳!!後ろぉ!!」
叫び声に陳も振り返る。陳を狙った銃口が鈍く光るのが見え上は踏み出すも、5メートルたっぷりの距離があった。間に合わないと判断し手近な石礫をイチかバチか投擲しようと握り込む。しかし───それより速く、男の背後から伸びた手がピストルのスライドを掴んだ。
手の主へ顔を向ける男。と同時にその鼻っ柱に炸裂する頭突き。仰け反る身体を建物外に蹴り飛ばす人物は、見慣れた‘鶏蛋仔’のエプロン姿。
「上くん、地下格闘するならチケット売らなきゃもったいねぇよ」
上へ視線を寄越して軽口を叩く。陳が瞳を輝かせ、弾んだトーンで名を呼んだ。
「王!!」