煙花と100万香港ドル・後
落花流水16
埠頭は祭りになっていた。
囲いのフェンスは所々倒され、工事現場──という名目の取引会場──内部からは銃声と怒号が響いている。殴り合う輩や血塗れで転がる死体、いやかろうじて生きているのかもわからないが、とにかく仁義なき争い真っ只中の半グレ共が遠巻きにも確認出来た。路地裏から事態を見守る樹と燈瑩。
「どうなってるの?これ」
「さぁ…誰か捕まえて訊いてみよっか」
首をコテンと横へ倒す樹に、燈瑩は波止場から城塞の裏手へと続く細い小路を指さした。示す先にはフラフラと暗がりを逃げていく影がひとつ。手頃。進行方向へ先回りをして待ち伏せし、エスケープが成功したと後ろを振り返りつつ安堵する男をそのまま物陰に引きずりこんだ。
数回小突いて聞き出した内容は特にスキャンダラスでもなく、この騒動は‘即売会の情報を掴んだ香港のグループ複数がルートを潰しに乗り込んだ’というごく一般的なドンパチだった。漏洩したリストには地元マフィアの上客も含まれており、黒社会の資金源を掻き回す格好になってしまった為に、【天満會】の画策と勘付き業を煮やした連中がこぞって拠点を叩きにきたのだと。いくつか名前を聞いてみたがどれもこれも知ったものではない。こいつが属するチームもしかり、規模の大きな組織は絡んでいない様子だ。もっと深掘りしていけばそれなりの重鎮の名が挙がるかもしれないが…特段、そこを探る必要性は無かった。話を了解した燈瑩の軽い‘多謝’。サプレッサーが鳴く。
「どうする」
「んー、一応予定通りチラッと覗いていこうかなぁ」
樹が問い、男を申し訳程度に路傍へ寄せる燈瑩は肩を竦める。抗争自体は放っておいても勝手に終結するだろう…しかし、武器商としては取扱い商品に興味があるし、【天満會】が市場から撤退したのちに浮くと思しき販路の使い道も考えたい…そんなようなことを口にすると、承知した樹がポケットから携帯を抜いた。カメラを起動しスタンバイ。大地のスケッチの参考にと至近距離で仏像を撮る算段。燈瑩は鶏蛋仔屋での騒動を撮影した写真を思い返す。暮れなずむ陽光、印象派風の明暗コントラスト、華やかさと躍動感に溢れた1枚。
男がやってきた道を辿る。人気は今のところナシ、中心部での乱戦に集中している模様。行き着いた一角にはいくつかのプレハブが建ち並んでいた。足を踏み入れればすぐさま目に付く積まれたコンテナやガンケース。
「わ、デっカ」
言いながら樹がしゃがみ込んだのは派手な重火器代表格、火箭彈發射器の隣。重さを確かめるべくケースを肩へと担ぐ姿に燈瑩が吹き出した。電影で見掛けた開脚ポーズ。
衝鋒槍も1丁や2丁などというシケた数ではなく、ガシャガシャ散乱。‘お金があったし強そうなやつ仕入れてみました’って感じだな…ビジネス云々じゃなくて…考えつつ燈瑩も屈んで、手近な箱を開けてみた。你好するC4。樹は火箭彈發射器を降ろし豆知識を披露。
「食べると甘いんでしょ。C4」
「ん?うん、そうみたい。俺は食べたことないけど。樹よく知ってるね?えっまさか」
「食べたことない、でも東が言ってた」
毒性を心配したのであろう燈瑩の表情が途端にスンと冷える。‘黐綫’と低い声。その時───打ち上げ花火さながらの轟音が響き、プレハブの窓ガラスが振動した。
即座に2人が外へと出れば、瞳に映ったのは足元からモウモウと黒煙を噴き上げる仏像。当たり前だが新年快樂の尺玉などではない…誰かがC4に仕事をさせたようだ。
見る間にゆっくり傾いで九龍灣へ倒れていく巨体、飛び交う叫び声。樹は素早くスマホを構えた。バシャァンと大きな水音があがり、永利澳門酒店の噴水ショーばりに水飛沫が跳ねる。800万ガロン。大仏の端から着火した炎はあれよあれよと全体へ燃え広がっていく。裂けた側面から中身が見えた。空洞、竹の骨組み、厚紙で固めた外殻。全てを舐めあげる紅。巨匠はシャッターを切った。
「ちょっと…ほんとに好萊塢電影じゃないんだから…」
燈瑩が目をしばたたかせて呟く。キラめく100万香港ドルの夜景をバックに沈没してゆく釈迦もどき、されど口元に讃えられた笑みは絶えてはいない。アイル・ビー・バック。巨匠はシャッターを切った。
その視界の隅で数体の人影が動き、認識するやいなや樹は地面を蹴りつけ跳躍。武器庫を確認しにきた奴らか、そう思った時には既に顎と側頭部へのハイキックで2名を転がし終えていた。襲撃者の手から取り落とされる刃物。もう1人、拳銃を持った男は燈瑩が撃った弾により指ごとピストルをもぎ取られたようで呻いて地べたをのたうち回っている。
この連中はどちら側なのか?武器を取りに来た【天満會】?盗みに来た香港陣営?樹のクエスチョンより早く男達は命乞い、雇われなので見逃してくれと喚く。であれば立ち位置は香港側か。けれどその辺りは関係ないかもな、どこの雇われかは多少気になるものの明確な答えは得られなさそうだし…こちらも顔バレした以上逃す訳にもいかない…。近付いてきた燈瑩が銃口を持ち上げる。雇われが叫んだ。
「見逃せば、もうひとつの爆弾の在り処も教えるから!!」
─────もうひとつの爆弾?とは?
言い草からして仏像の爆破犯はこいつらだ。皆がそれに気を取られている隙にコソコソと重火器をかっぱらいにきた、そしてプレハブにいた俺達を【天満會】の人間なのだと勘違いし、仕掛けた他の爆弾のありかを教えれば恩赦をもらえると期待している。なるほど。樹は淡々と訊いた。
「どこなの、場所」
返答は‘九龍城内の【天満會】本部’。そんなもの存在していない…一体どこだ…解せないといった面持ちの樹と燈瑩へ、男より‘以前から目を付けてたビルがあるだろ’との説明が足された。
【天満會】が?違う、以前からというなら、これはきっと【天堂會】が本部を置いていたビルのことだ。
九龍城への帰還が上手くいけばまたあそこへ根ざすつもりだったのか。それはさておき…あのビルは中流階級エリアと花街の間の区画に位置しており、周囲も似た規模の建物群。【天堂會】の事件以降、付近の住民は著しく減少したが…ともあれ、おいそれと大爆発を起こしていいような立地では無論ない。顎へ手を当てる樹。その耳に再び、‘好萊塢電影じゃないんだから’という燈瑩の呟きとサプレッサーの音が聞こえた。