橡皮鴨と鬼魅山房
落花流水14
「ぽっちゃり天仔ぽいのがよかったぁ!」
週も半ばを過ぎて楽しいウィークエンドの足音が聞こえ始めた午後、【東風】テーブルで画用紙にガリガリとイラストを描きつける大地がブーたれた。寺子屋で出されたホームワーク、‘街のスケッチ’。題材に選んだのは【天満會】が埠頭に建てている像のようだ。
「そら無理やろお前、【天堂會】とは繋がりあらへんよっちゅう顔しとるんやから」
「そーなんだけど。もーちょいこう、なんか他にやりようあったじゃん」
鼻と上唇の間に鉛筆を挟み、大地はキャンバスを睨んだ。横から上も覗き込んでみる。まぁ天仔みたいに可愛くはない。どちらかといえば、なんというか正直不細工だ。大地の画力の問題ではなく。‘ちょいっと盛ったらええんちゃう’と顎を擦る上へ、‘手描きはフィルター厳しいよ’と大地。デジタルネイティブ世代。
絶賛建設中の銅像は、この短期間で既にほぼ竣工という所までこぎつけていた。波止場にニョキッと生え、朝に夕にと神々しく太陽光を背負っている物憂げな面貌の釈迦もどき。シートやフェンスで作られた目隠しの囲いから今やすっかり頭──というか脹脛あたりからお団子ヘアの先っちょまで──を出して佇んでいる。
そう。佇んでいる。
「それよか何で立っとんねんアレ。ああいうデカいのんは胡座て相場きまっとるやんな」
「あ、ポーズはカッコいいと思う」
「そこはありなんか」
「殷もカッコいいって言ってた」
「写真送ったんか」
ソファより立ち上がった大地が格好の真似をした。左脚を軸にし、右脚は持ち上げて膝を直角に曲げ4の字に。両腕を胸の前にクロスして掲げて、中指と親指をくっつけたハンドサイン。必殺技でも放ちそうな様相。いや、仏像の体勢に意味があるのは重々承知だが…なんとなく…何か違う。大地のモノマネ力の問題ではなく。
キメ顔で‘天仔ビーム’を撃ちだす大地に笑いかけながら、燈瑩は窓際で白煙を流した。
「立ってるほうが幅とらないからじゃない?大事なのは周りのスペースだから」
先日、老人会の帰りがけに衝鋒槍でナンパをしてきた輩の足跡。重ための銃火器が出回っているルート、【獣幇】の周辺、九龍灣をウロつく貨物船、諸々を洗い直すうち───どうやらあの港の一画は小規模な武器取引に使用されていることが判明した。目隠しのシートやフェンスは文字通りに目隠し。中心となっているのは【天満會】の構成員、中にチマチマと設置されたいくつものプレハブは作業員の詰め所ではなく武器庫兼販売所で、せっせとなされていたのは建築仕事より即売会がメインらしい。
「工事ずいぶんハイペースだったね、片手間なのに」
「ハリボテなんだろ。金が勿体ねぇしそこで長く武器屋開くつもりでもねぇんだろうし」
肘掛け椅子で幸運曲奇を割る樹の意見に、大地の隣で寛ぐ猫がペダリングをしつつ答えた。東が床でピィピィと鳴く。負債を清算していないのではない、支払いが済んだ当日にまた博打で大負けをしてフリダシに戻っただけだ。
「どうせ尻尾切んなら仏像も捨てることになるんだしよ。おい大地、ビーム撃つなら東に撃て」
「えいっ!喰らえ天仔ビーム!」
「痛だだだだだだ!!!!」
大地の技名呼称を合図に、東を高速で踏み付ける猫。10HITover。
樹の指から曲奇のおみくじを取った匠が、肘掛け部分に軽く腰を降ろし内容を読みあげた。[大吉!好彩嘅顏色:你鍾意嘅顏色!]。‘えらい適当やん’と上の声。
「自由で好じゃん、俺オレンジ♪燈瑩は?つか結局【天堂會】自体は動いてんの?」
「うん、けど今回はかなり慎重にしてるし【天満會】が引っ張られても【天堂會】は逃げ切るだろうね。んー…黒かな…」
付け加えれば、詐欺やら何やらで金策をしている主要メンバーは元より香港側の裏社会の人間。そこからいくらか下っ端の半グレの層が存在し、次いで表社会の住人ではあるがヤンチャな連中、さらにくだって一般人へとピラミッドは広がっている様だが…そこまでいってしまうともはや事件の核心にはなんら関係がない人々だ。そもそも、‘ヤンチャな者達’レベルの時点ですら裏稼業を耳にしていない協賛者の割合が多いと推測される。
「だからやっぱり関わってないと思うよ、妮娜さんの娘さんは。しいていえば首突っ込んでるのは芸能関係の人だね、前情報通り。五顏六色の社長も焦ってるっぽい」
燈瑩は愉快そうに喉を鳴らした。夜職界隈出身の若社長、表向きはクリーン。裏では金に困っている女優やアイドルの卵、グラビアモデル等々をターゲットとしたAVや風俗店への斡旋事業が得意分野。陽の一件で脅しをかけられ多少は懲りたかと思いきや、またぞろ悪事を働いていた様子。
上はいつぞやの若社長のテレビインタビューを回想した。信念を貫き…笑顔とハートで勝負します…光る白い歯。ホワイトニング。と、匠が自分へ向けておみくじを振っているのが視界に入る。社長の歯列を脳内から追い出し‘茶色’と返答。樹が目を見開いた、瞳に映る豆沙の文字。
「でね、工事現場のほう覗いてみようかなぁって。【天満會】がどうこうってより普通に武器商の範疇だし」
楽しげな表情で続ける燈瑩。どうも今週末に大仏のお膝元でフリーマーケットの開催予定があるとのことだ。樹は両眼をカッぴらいたまま首をグリンと斜め後ろに倒して窓辺へと振り返り、燈瑩を凝視。呻くように単語を発する。
「それ。行く。俺も」
「えっ?な、何で?」
急なホラー味に燈瑩が珍しく吃った。‘この前の襲撃の際の対応を匠から聞いた’と眼力を強める樹。鬼魅山房。燈瑩が匠へ視線を移すと、患者仲間は大黃鴨を模したチョケた面構えで椅子をギシギシさせた。指に挟んだ煙草の回転数があがっている。
一連の流れを眺めていた大地も鉛筆を手の中でクルクル回す。こちらは面白がっているというわけでは無い。その素振りから内心を読み取り勘案する猫は、‘俺も煙草吸いたいデス’と休憩の許可を申し出た東に対して、特に面白くはなかったものの──普通に鬱陶しかったので──踏んでいる足のペダリング数をしめやかにあげた。