駘蕩と相談事・後
落花流水5
差出人自体は娘ではなく、香港の【天満會】本部。どうやら妮娜の娘は会の一員であり、他メンバーと共に地域でのボランティア活動や孤児への支援に尽力しているようで、手紙には役員からのお礼の文言が毎度ツラツラと綴られているそう。‘ご家族様の多大なお力添えに感謝いたします───天満會’。
娘さんって、独り立ちして香港に住んでるんだっけ。【天満會】と【天堂會】は別物なのか?それとも改心してマトモな組織になったのか?しかしあからさまな外面の良さは逆に不審だ。とっつきやすさを露骨にアピる手口は前にもやっていた戦略だし、おいそれとは信じられないな…キャラとかグッズは可愛かったけど…いまだ大地の部屋に鎮座しているらしいBIGサイズ天仔ぬいぐるみを思い出す樹。
「港にも銅像、建ててるでしょう。九龍に来るなら私も支援してみようかなと思ってるんだけど」
小首を傾げる妮娜へ、樹も同じ動作。この場合の支援とは───恐らく金銭面。要は、お布施。そうなると正直雲行きが怪しい。【天満會】が本当に慈善団体であるなら冇問題ものの、どうにも【天堂會】の影や裏事情アレコレが頭にチラついてしまう。
「娘さんは何て言ってるの?」
「ん…相談してないのよ。娘には…」
バツが悪そうに答える妮娜。樹はとりあえず頷くだけに留める。そこはまだ踏み込むべきじゃない、そんな気がした。妮娜が取繕うような明るいトーンで話題を変える。
「樹くんは陳くんのこと老豆って呼ぶのね」
「ん?うん。陳おじちゃんじゃ語呂が悪いし…あと…」
樹は逡巡し、それから、なるべく軽い声音になるよう努めて口を開く。
「俺は、父親と仲良くなくて。母親が死んじゃった時に家に居場所が無くなって、それで九龍に来たから。今は陳おじちゃんが老豆みたいな感じ。周りに居てくれるみんなが、俺の家族」
こちらの事情を先に伝えたほうが相手も話しやすくなるかも。そんな考えで打ち明けただけなので、樹としては特段重いということもなかったけれど、聞いていた妮娜はわずかに神妙な顔付き。言葉を選んでいる様子。
あれっ?失敗したか…サラッと言ったつもりだったが、匠みたいに上手くはいかないな…唇を内側へ巻き込む樹。目力が入ってしまい妙にムンッとした表情になった。その仕草に妮娜も頬を弛め、樹の湯呑みへお茶を注ぎ足す。
「樹くんは、どう思う?」
「なにが?」
「お父さんのこと。答えづらい質問だったらごめんなさい」
若干緊張したような声調で妮娜が訊いた。湯呑みを受け取った樹は中身をひと口啜り、再び小首を傾げる。
「どう思うとかは別に無い」
「腹が立ったり許せなかったり、しない?」
「しない。父親は父親で俺は俺だから。俺は今の暮らしが好きだし、それでいい」
答えながら───ふいに樹の脳内でチラリと疑問がわく。
父親は息子をどう思ってるんだ?
いや、けど…どう思ってもないか。生まれた時点からさして気にかけず、消えたとて探しもしない。子供は他にもわんさかいるし…宗だってそうだった。
だけど、東は【黑龍】抜けて俺のこと追っかけてきたって言ってたな。許可を出したのは龍頭───父親のはず。そうなると?
「あれっ!妮娜さんが来てるじゃない!」
路地の奥から響いてきた元気な声に樹は思考を中断し視線を移した。トタトタ走ってくるのは陳、手には大きなビニール袋。後ろに見える匠の両手にも同じ袋が提がっている。
「妮娜さんもお菓子持ってきてくれたのかい?私もいっぱい買っちゃったから、みんなで食べよっぁ痛たたた」
小走りが効いたのか、陳はベンチに辿り着くやいなや膝頭を押さえて前屈み。腰を擦る樹と背中を擦る匠。
「老豆、走ったら膝によくない」
「うぅ…そうだね…」
「つうか甘いモンも駄目じゃん。ほんとは」
「それは言わない約束だよぉ」
お酒は控えてるもんと反論する陳がプウッとむくれた。妮娜が真似して頬を膨らませたので樹もそれに追従。1人だけやたらめったら空気を取り込みはち切れんばかりに膨張している樹へ、匠が小さく‘雞泡魚?’と言った。
戦利品をドサドサ簡易テーブルへ広げ、サカサカ全員へと取り分けると、パタパタ新しいお茶を淹れに向かう陳。忙しない。老豆のお世話は匠へ任せて装飾を直す作業に戻る樹に、脚立の下へ身体を寄せた妮娜が密やかに囁く。
「ありがとう樹くん」
「え?俺なにもしてないよ」
「ううん。してくれたわ。私、王くんと改めて話してくるわね。下手に隠して心配かけてるようじゃダメだもの」
陳くんにもね、と目配せをする妮娜。礼を言われる理由はいまいちわからなかったが、樹は指でオーケーサインを作り、目配せともウインクともとれない某かを返した。