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九龍懐古  作者: カロン
落花流水
464/492

駘蕩と相談事・前

落花流水4






穏やかな陽光、そよぐ(ぬる)い風、(ゆる)く流れる広東ポップス。ほんのりラテン調にアレンジされた曲に耳を傾けつつ入り口の装飾を貼り直す(イツキ)。レゲエなフリマは本日ものんびり営業中、出勤(・・)しているのはいつものメンツ───万屋(よろずや)、DJ、それに老豆(パパ)


(イツキ)くんごめんねぇ…私が不甲斐ない膝なばっかりに…」

「全然。俺こういうの好きだし」


脚立の下からショモショモ見上げてくる老豆(チャン)へ、万屋(イツキ)は作業の手を()め顔を向ける。


店を彩るラスタカラーのポップな飾りたち。先刻、天井付近のモールがいくつか取れかかっているのを見つけた(チャン)は修繕しようと店の裏手からボロい脚立を引っ張り出してきた。張り切って腕をまくりステップに足をかけたものの───間髪入れずにまたストンと元の位置に帰還。口を横に結んで、膝へと両手を置きサスサス(さす)っている。段差をあがる動作が思いのほか厳しかったのだろう。痛風。

バトンタッチした(イツキ)は軽々と最上段へ登りお仕事開始。(チャン)は応援団にジョブチェンジ、謝ってみたり励ましてみたりやんややんやとチアリーディング。


老豆(パパ)、腰も痛くなるんじゃない?ずっと上向いてたら」

「だって、頼むだけ頼んでそっぽ向いてる訳にもいかないじゃないか」

「別にそれはいいよ。でも腰痛はよくない」

「優しいねぇ(イツキ)くんは」


(イツキ)の心配りに(チャン)がクフクフ笑う。ならお茶でも淹れてこようかとウインク、意外にフサフサな睫毛が揺れた。(イツキ)ウインク(まばたき)を返す。バックヤードへ引っ込む(チア)、聞こえてくる(タクミ)との雑談。シニアが集まる音楽同好会のメンバーが演奏した二胡音源を今風(・・)にリミックスし、店内BGMに使えないか?と相談しているようだ。

老豆(パパ)もなかなか顔が広いよな…(ワン)より聞いた昔話を思い返す(イツキ)。‘アイツはのんびりしてて(なご)やかな奴’‘結構モテたよ’。親しみやすさは(かね)てより。その人柄が人望を集めるのか…何となく、相手の毒気(・・)を抜くような、そんなオーラが(チャン)にはある。


装飾を数個くっつけ直した頃、茶器をお盆に載せた(チャン)がトテトテ戻ってきた。パイプの長椅子へ置くと自身も腰掛け、急須を(かたむ)けて熱々の茶を湯呑みへ(そそ)ぎ、ひとくち。薫りを楽しみニパッと笑う。


「うん!(アズマ)くんがくれたこの文山包種、ほんとに美味しいねぇ!」

「この前、鳳梨酥(パイナップルケーキ)一緒(いっしょ)に食べた。内湖樓で売ってた黒いやつ。いい感じだった」

「あら、じゃあ買ってこようか?もうすぐおやつ時だし」


(イツキ)のスイーツ情報に乗っかる(チャン)。張り切って宣言し降ろしたばかりの腰をあげるものの───間髪入れずにまたストンと元の位置に帰還。口を横に結んで、膝へと両手を置きサスサス(さす)っている。急に立ち上がる動作が思いのほか厳しかったのだろう。痛風。


老豆(パパ)、膝痛いんでしょ?俺行ってくる」

「いやいや、私が言い出したんだし私が行かなきゃ!今(イツキ)くんは装飾(それ)やってくれてるじゃない、散歩も健康に良いからね」


(チャン)(イツキ)の打診へ首を横に振り、グッと(こぶし)を握る。ガッツポーズは気合い充分なものの、気合いで尿酸はどうにもならない。きっと鳳梨酥(パイナップルケーキ)のみならずたくさんお菓子を買ってきてくれるんだろうし…帰り道の荷物を加味すると1人で送り出すのもな…悩む(イツキ)。と、奥でラジカセをいじっていた(タクミ)が‘俺ついて行こっか’と立候補。気を遣わないでと再度首を横に振る(チャン)へ近寄り、ちょうどタバコが切れたから♪と肩を組む。(イツキ)はついさっき(タクミ)が新品のソフトパックを1箱開封したのを目撃していたが、それは言わずに‘行ってらっしゃい’とだけ声をかけ、店を出て行く2人の背中へ手を振った。








大家好(こんにちは)。お邪魔してもいいかしら」


少し(のち)、梯子を降りて茶を飲みつつ休憩をとっていた(イツキ)は聞こえた柔らかい挨拶に振り返る。声の主は美味しそうな手土産を持った妮娜(ニナ)だった。先日(チャン)と連れ立ってやってきて以来、彼女は時間を見つけてはこうして甘味片手にちょこちょこ遊びにきてくれる。店内を覗く妮娜(ニナ)へ、(イツキ)は‘老豆(パパ)(タクミ)と買い物中’と説明。


「多分すぐ帰ってくる。待つ?お茶あるし。時間があれば」

「そうね、お言葉に甘えて一服(いっぷく)させてもらおうかな」


快諾する妮娜(ニナ)はパイプ椅子の端へ(つつ)ましく着座。楚々(そそ)とした(たたず)まい。‘妮娜(ニナ)(ねぇ)さんは客の野郎共の憧れでさ’‘俺も(チャン)も例に漏れてなかったよ’───またも(ワン)より聞いた昔話を思い返す(イツキ)。隣に座り、新しい湯呑みへ茶を()いで、控え目に(たず)ねた。


「俺よく(ワン)さんの鶏蛋仔(ワッフル)屋行くんだけど。3人って昔から仲良いんだね」

「あら、(ワン)くんの?美味しいって評判なんでしょう」


(ワン)くん(・・)(チャン)くんに続き、こちらも新鮮な呼び名。思い出話を聞かせてもらったと答える(イツキ)に微笑み、妮娜(ニナ)は製作した紙細工たちが並ぶ壁際のラックを指差す。


「若い頃に勤めてた飲み屋さんでは、日系のお客様も多くて。流行(はや)りものや文化を少し勉強してね、(チャン)くんや(ワン)くんとも折り紙でけっこう遊んだわ。誰が1番上手に折れるか!なんて言って」


(チャン)(こと)のほか器用に折るので、どうしてもヘンテコな仕上がりになってしまう(ワン)が毎回ふてくされていたと妮娜(ニナ)は愉快そうに語る。そういえば折り鶴の話題を出した時、(ワン)の返答がちょっぴり濁っていた気がする…そのせいだったのか…?思いつつ(イツキ)は、(さき)ごろお裾分けで頂いた紙細工を玄関へ吊るした事を報告。妮娜(ニナ)が嬉しそうに手を叩く。


「緑色の田雞(カエル)さんね。緑には癒しの効果が期待できるの、五行の元素のひとつでもあるし。(イツキ)くんは緑色が似合うものね」


その言葉に(イツキ)は服の襟元をつまむ。似合うかどうかは気にしたことがなかったが、物を選ぶ時に──自分の名前が名前なので──緑系統の色をチョイスしてしまう(ふし)はあった。普段使いの帽子や鞄に、羽織(はお)っているベストもそう。


「確かに俺、緑ばっか買ってるかも。気が付かなかったけど。似合う色で良かった」

「いいのよ、もしも似合わなくっても。好きなものを身に着けるべきだから」


目尻を下げる妮娜(ニナ)。なるほど、これも自分の心が‘素敵’と感じた物を選べば良いってことか…金魚しかり…納得し、周りのメンツの服装を(おもん)みる(イツキ)(アズマ)はよく赤着てる、(マオ)は黄色が好きっぽい。燈瑩(トウエイ)はだいたい黒。大地(ダイチ)の好きな色わかんないな?でも粉紅(ピンク)とか合いそう。(カムラ)は…なんだろ…饅頭にちなんで白、いや、茶色か。中身の餡子(あんこ)。ん?平安饅頭(ラッキーバンズ)はハスの実餡だからやっぱり白?そんなことない、小豆餡だってとっても美味しい。奶黃(カスタード)も最高。次の長洲饅頭節(まんじゅうまつり)でもたらふく食べたい、大食い大会へ出場するかは未定だけど───


(イツキ)くん。(ワン)くんから他にも何か聞いた?その…私が、トラブルを抱えてるとか…」


挟まれた妮娜(ニナ)の質問に、(イツキ)平安饅頭(ラッキーバンズ)へと飛んでいた意識を引き戻す。こちらを見詰める妮娜(ニナ)はどうにも申し訳なさそうな雰囲気。


「トラブルがありそうとは聞いたけど、内容は聞いてない。店長、【天満會】がって言ったとこでやめてた。‘勝手に人の事情喋るのはフェアじゃない’って。でも心配はしてるみたい」

「そうなのね。ふふ、(ワン)くんらしいわ」


(イツキ)の返答に妮娜(ニナ)が口元を押さえてクスクス笑う。表情に屈託はないが、されど、申し訳なさそうな雰囲気は変わっていない。(イツキ)妮娜(ニナ)へ向き直った。


「えっと…もし俺が役に立てることあったら、ゆって欲しい。俺、店長にも老豆(パパ)にも仲良くしてもらってるから。だから…何か出来るなら力貸したい」


気が向いたら、教えて。そう締め括る(イツキ)妮娜(ニナ)(しばら)く考える素振り。‘そんなに大袈裟なことじゃないんだけれど’と断りをいれ、遠慮がちなボリュームでポツリとこぼす。


「最近ね、お手紙が来るの。【天満會】から───娘の名前と一緒(いっしょ)に」

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