思い出話と腹八分
落花流水3
獅子舞レインボーにダンサブル火龍、お月見ウサぴょんも好評のうち販売期間を終了し、次なるイベントへ向けて新作アイデアを練る王に付き合う大食漢。お馴染みの鶏蛋仔屋店内、本日は生地のフレーバー研究。現時点で腹におさめた試作品は10個ほど。新たに焼き上がったひとつを受け取りさっそく齧りつく。胃の残容量は8割強、まだまだ序盤。
「ほーひえば。妮娜はんひ会っはよ」
「え!?そうなの!?いつどこでだい」
「ひのー。フヒマ。老豆が連へへひは」
大食漢の言葉に王は鶏蛋仔を作る手を止めてカウンターへと上半身を乗り出した。どうだった!?可愛かったでしょ!?と鼻息荒く捲し立てる。
「長い髪の毛、片方に流してウェーブさせてさ。シルバーなのがまたゴージャスで。仕草も話し方も品があるし!いつもニコニコ目尻下げてて穏やかだけど、性格には芯が通ってるのよ。でも若い時はちょっとツリ目だったの!気の強そうな瞳に、ボンキュッボンでタイトな服が色っぽかったな…今はふくよかになってそれが逆にセクシーなんだよねぇ。最近は前と違ってフンワリしたワンピースなことが多いけど、もちろん似合うし。胸は相変わらずボンで…」
若干鼻の下を伸ばしつつ、妮娜の魅力を熱く力説。港式奶茶を喉へ流し頷く樹。
「うん。あと、飾り作るのが上手だった。折り紙みたいなのも。それと試写室やってたって」
「あー…そうね、折り鶴とか…試写室ね」
「トラブルはなさそうに見えたけど」
「陳、なんか言ってたかい?」
「んーん。老人会では話でてないんじゃないかな」
「そっかぁ」
カウンターの上で組んだ両腕に顎を乗せ思案する王。入り口の──パズルさながら砕けたガラスをどうにかこうにか組み合わせガムテープで貼った──扉へ目を向け、ちょっと外へ出ようと樹に促す。戸をくぐって軒先に立つ王の横へ樹も並んでしゃがんだ。どこかで割れた水道管から流れでた水が足元を濡らしている。王は胸ポケットから出したタバコに火をつけ煙を少し肺に溜めると、薄く吐きながら静かに続けた。
「俺はたまに妮娜姐さんのスナックに飲みに行くから、そこでチラッと聞いたんだよね。ま、姐さんが口滑らせただけって感じもするけど…俺らそれなりに付き合い長いし。姐さんも周りのヤツに心配かけたくないだろうから、俺も陳には訊くに訊けなくて…」
だから老豆に話すのに乗り気じゃなかったのか。付き合い長いってどれくらいだろう?みんなの昔のことも気になる。思いつつ鶏蛋仔をモグつき相槌をうつ樹。その心情がモロに顔へあらわれたらしく、王は‘別に面白くはないけど’と前置きし遠い日の記憶を語る。
若かりし頃の妮娜が1ドル試写室を構えていたビルは割合と大きく、各階には様々な風俗店が入居していたらしい。面倒見のよかった彼女は他のフロアの女性陣とも交流があり、周りの店舗を手伝うことも。王が知り合ったのはその時期で、飲み好きだった王がフラリと訪れたスナックで彼女が接客をしていたことがきっかけ。かつては陳も──尿酸値に問題などなかったので──ちょこちょこ酒処へ顔を出しており、3人で飲み明かす夜がしばしばあった。
「妮娜姐さんは客の野郎共の憧れでさ、俺も陳も例に漏れてなかったよ。俺は馬鹿やる性格だから、飲むたび馬鹿やって、どーにかこーにか姐さんを笑わせたりして。気ぃ引きたくてな。今も変わってねーわ、姐さんからのガキ扱いは…ガキだからよぉ…」
自嘲気味に煙を吐く王の雰囲気と口振りが変わった。年を取って丸くなった人となりが、やんちゃをしていた頃のものにふと戻った感じがした。樹は王を見上げる。‘でも’と唇を尖らせる王。
「陳は違って。アイツと俺ぁもっと前からツルんでたんだけどな、揉め事ばっか起こしてた俺と正反対でアイツは和やかな奴なんだわ。のんびりしてて。当時の俺は陳のこと‘男ならもっとビシッとしろや’とか思っててよ。けど、そこに居てくれるっつうのも大事だったんだよな。優しく寄り添ってさ。姐さんみたいに周りに気ぃ遣っちまうタイプの人には特に、そーいうホッとさせてくれる男が必要だってことに俺は気付かなくてなぁ」
まぁだから、結構モテたよ陳は。その王の呟きに、樹の脳裏によぎる大地がしていた指ハート。
「じゃ老豆と妮娜さんがくっついたの?」
「いや。姐さんは淡水樓のオーナーとくっついた。淡水樓は姐さんが店やってたビルなんだが、そこが取り壊しになるかもつってな?別の階に入ってたストリップ劇場とか風俗の子達もわんさか路頭に迷いそうになって。だからみんなの居場所を守る為に、前からアタックしてきてたオーナーと結婚したんだよ。‘淡水樓を残してくれるなら’って。旦那も歳はだいぶ離れてたけど悪ぃ男じゃなかったし」
淡水樓?首を傾げる樹に王は笑う。
「もう無いよ。店の娘達も大人になって、旦那も死んで、姐さんはビルを手放して。今は解体されてただの空き地」
姐さん自身の子供はいつの間にか独り立ちして城砦外で暮らしてるみたい。そう付け足した王は沈黙の後、溜め息。
「本題はそこでよ…ここんとこ【天満會】っつーのが九龍に来てんだろ?そいつが…」
【天満會】。タイムリーな話題だ。樹は再度首を傾げた。二の句を継がず逡巡する王。たっぷりの間。それからガリガリ頭を掻くと、樹と同じようにしゃがみ込み足元の水溜りにタバコを浸した。ジュッと火種が鳴く。
「いや。ヒトの事情を勝手に話すもんじゃないよな。みんなが知ってることはいいけどよ、そうじゃねぇことを第三者がペラペラ喋るのはフェアじゃねーわ。ここまで含み持たせといてすまん」
眉をハの字にする王へ、樹は‘かまわない’と答える。手持ち無沙汰に吸い殻で水溜りをかき混ぜている王の指先に視線を落とした。
───けどさ。水漏れするってことは、水が充分行き渡ってるってことだから。
以前そう陳が言っていた。九龍には、城砦に生きている人々には、俺の知らない‘歴史’が山ほどある。妮娜が王へ口を滑らせたのだとすれば、それは、2人の関係性があってこそなのだ。俺は俺で別のアプローチの仕方───この場合は【天満會】。そっちの情報を集めてみよう、役に立つかも知れないし。
そんなようなことをポツポツ伝える樹。王は眉毛の端を下にひいたまま‘多謝’と返し、深呼吸をして力強く膝を叩く。
「よし!一服したし気合い入れ直して生地研究の再開といこうか?樹くんまだまだ胃袋に余裕あるでしょう」
「うん。8割くらい空いてる」
「思ったより空いてるなぁ!」
腕をブンブン回して元気よく店内へと戻っていく王。樹も鶏蛋仔の最後のひと欠片を口に放り込み、その跡を追った。