はじめましてと指ハート
落花流水2
「お会いできて光栄だわ」
ニッコリ笑ってお辞儀をする老婦人。こちらこそ!と元気よく頭を下げる大地、樹も会釈を返す。陳がウキウキと全員分の湯呑みを用意し始めた。
樹と大地がジャマイカなフリマへ赴くと、軒先で見知らぬ人物がせっせと棚の整理をしていた。控え目に声をかけた大地へ女性は柔らかく挨拶。気付いた陳がカウンターより──ヒョコヒョコ膝をかばいながら──すっ飛んできて間へ入り、こちらが大地くんに樹くん!こちらが妮娜さん!と意気揚々と自己紹介のお手伝い。
店内の簡易椅子に腰掛けさっそく仲良く雑談を交わす大地と妮娜。手土産の文山包種を淹れに立った陳とレジ番を交代した樹は、その光景を眺め勘案。
この人が妮娜さん…今日来るとは聞いていなかったけど…老豆が呼んだのだろうか?店長の気掛かりと関係してたり?ジッと見詰める樹に妮娜は説明を補足。
「ここのお店は陳くんと樹くんたちが綺麗にしてくれたんでしょう。私が作った小物も置いてもらっているし、1度キチンとお礼を伝えたくて。ワガママを言って陳くんに連れてきてもらったのよ」
彼女は城塞の片隅に自身でスナックを構えているようで、酒や肴の仕入れから接客に至るまで全てをワンマンで切り盛りしておりなかなか忙しい日々を送っているらしい。普段は老人会にもあまり顔を出せないが、本日は偶のオフ日で陳ともタイミングが合った為、共にこちらのフリマへ足を運んだ…とのことだった。‘本当にありがとう’と礼を述べる妮娜へ樹は‘たいした事はしていない’と首を横に振る。ていうか───陳くん。とても新鮮な呼び方。
大地が宝探しをするかのような瞳で店内を見回し、ワクワクした面持ちで尋ねた。
「どれが妮娜さんの作ったやつなの?」
「そこにある折り鶴とか、折り紙風船とかの飾りね」
答えて指をさす先のラック、吊り下げて陳列してある紙細工たち。色とりどりのクレープ紙と組紐で製作された華やかな代物…玄関の扉や窓の枠に飾りたくなるような愛らしい品々だ。椅子から離れてラックへ近付いた大地はしげしげと作品を鑑賞し、すっごく可愛い!ひとつ買っていこうかな!と声を弾ませる。どうやら龍睛魚が気に入った様子、ミルズの友達候補。
「この子がいいかなぁ、赤くて目立つし縁起も良さそうだし。でもこっちの黒龍睛魚もカッコいいから迷っちゃう」
「ふふ。実はね、金魚は五行では‘黒か白が縁起が良い’なんて言われているんですって」
「え、そうなんだ?」
「赤は火をあらわす色だから。水槽のお水との相性の関係で」
「そっか、泳いだら火が消えちゃうのか。けど赤い金魚さんってたくさん居るのに…あの子達みんな火が消えちゃってる、て訳じゃないと思うけど…こないだ金魚型の提灯もいっぱいあったよ?中秋節で」
得心するも疑問符を浮かべる大地へ妮娜は優しく返答。
「そうね、大地くんの言う通り。風水のアドバイスはあくまでアドバイス。私は自分の心が‘素敵’と感じた物を選べば良いと思ってるわ。赤は魔除けのカラーでもあるし、それになにより、朱色の金魚さんってとっても可愛いもの」
そう言って口元に人差し指を立てた。‘じゃあやっぱりこの子にする’と手に取る大地、妮娜は‘包んでくるわね’と店の奥へ小さな龍睛魚を運んでいく。
嫋やかな雰囲気、所作にもどこか品がある。王が真顔で語っていた‘おばぁちゃんだけどまだまだ可愛い’に納得する樹、妮娜と入れ替わりで急須を片手にフロアへ戻った陳へ大地もその旨についての同意を耳打ち。若人からの賛辞に老豆は満面の笑みで湯呑みへ茶を注ぐ。
ほどなくして、リボンのかかった小袋を小脇にフロアへ戻ってきた妮娜は代金を払おうとする大地を制しパチリとウインク。
「これはプレゼントさせてもらえるかしら。飾るなら西の方角が鴻運かも」
「え、いいの?ありがとう!」
「ささやかでごめんなさい。よかったら樹くんもひとつ選んで」
妮娜の申し出に樹は改めて陳列品を見る。居間に置こうか?それとも寝室?どの部屋が西側だっけな。いや、金魚以外だと吉方位はまた違う?なんにもわからない。
「妮娜さんは風水に詳しいんだ。俺、全然わかんなくて」
「私も詳しいとまでは言えないけれど。好きなのよ」
樹の台詞に妮娜は眦を下げる。
「こうした可愛らしい子達を飾ると良い気分になれるでしょう。それだけでも嬉しいのに、その子達がもしも幸せな出来事まで招いてくれるならもっと楽しいじゃない。私にとっての風水は‘毎日をちょっぴり豊かにしてくれるおまじない’ね」
‘毎日をちょっぴり豊かにしてくれるおまじない’か。なるほど、そう考えると面白い。頷く樹。
熱々の茶が冷めるのを待っている大地は再度店内をグルリと1周し、所狭しと並べられた商品をまじまじ観察。鍋敷きからエコバッグまで何でもござれのハンドメイド日用品。
「全部すっごく上手だね」
「老人会には若い頃から内職のお仕事をしていた人が多いのよ」
「妮娜さんも物作りのお仕事してたの?」
「ううん。私が昔やっていたのは、1ドル試写のお店とか」
「なにそれ!めちゃくちゃお手頃価格の試写会じゃん!」
ケラケラ笑う大地へ微笑む妮娜。横で陳がコンマ数秒固まったのを目に留めた樹は、以前花街で耳にした話を思い出す。
かつて九龍城砦ではストリップショーが非常に盛んだったが、市街で新たに生まれる多種多様なポルノ産業におされ段々と衰退。続々出てくる‘人体写生’や‘美女の靴磨き’などの幅広い商売の中、当時の最先端と持て囃されていたのが‘1ドル試写’である。
まずは映画を売買する会社を装い9名程度が入れる小規模な試写室を作成。この設定と10人以下の制限は、映画館とみなされ当局の監視下に置かれてしまうという事態の回避手段。そして、やってきた客達から電気代や管理代の名目で1香港ドルずつ徴収し試写をさせるのだ。上映時間は5分間。熱中するには当然物足りず、人々は何回も何回も連続して鑑賞することになり、都度1香港ドルを支払わねばならない。その繰り返しで運営側は金を稼ぐシステム。
まぁだから、つまるところ、‘1ドル試写のお店’とはアダルトなビデオの放送部屋だ。そちらの系統の業種に就いていた風には全く見えない…人に歴史あり…思いつつカウンターで頬杖をつく樹へ、妮娜は大地の目を盗み悪戯にウインク。樹もウインクで応じる。
───抱えてる感じしないな。トラブル。
楽しげに会話を続ける大地と妮娜を見やり樹は頭を捻る。老豆もほんわかした空気、問題については知らなさそう。店長が気にしてることってなんなんだろ?と、今度は大地が妮娜の目を盗み、こっそりハンドサインを飛ばしてきた。指ハート。仲睦まじい様子の陳と妮娜をチラチラ交互に視線で示す。
大地の仕草の意図が微塵も掴めなかった樹は、とりあえずもう1度、得意のウインクで応じてみせた。