ランタンとムーンケーキ
火樹銀花1
ムーンケーキフェスティバル。
秋の夜長を彩る中秋節──別名ムーンケーキフェスティバル──は中国の歴史に根ざした活気溢れる祝祭。期間中にはあちらこちらでイベントが催され香港中が大賑わい、家族や友人は一堂に会し、ランタンを灯して月を見上げ月餅に舌鼓を打つ。城砦内でも立ち並ぶ出店、踊る火龍、各所で売られる限定のお菓子。
「寧ちゃん何時くらいに来るの」
「や、俺が迎え行く。もーちょいかな?‘支度終わったら微信する’ってゆってた」
午後の【東風】、いつものメンツ。茶器に湯を注ぐ店主の借問へ大地がソファからスマホを振る。
どうやら本日は、寧から大地へ‘富裕層地域寄りの広場に飾り付けられたランタンを見に行かないか’とのお誘いが入ったらしい。夜を照らす無数の提灯はスタンダードな熊猫や兎型、趣向を凝らした金魚に飛行機、果ては点心や北京烤鴨など非常にバリエーションが豊か。近年では人気のアニメキャラも登場し若者やお子様連れにも大好評。〈維多利亞公園では高さ12メートルの巨大なランタンがお目見えしており点灯時間は23時まで、週末の来訪は混雑が予想されます───香港経済新聞〉。
大地の隣で酒瓶を呷る猫が疑問を投げる。
「あのランタン屋のジジィどうしてる?西城路曲がったとこの。暴れてねぇのか今年は」
「大丈夫みたい。この前お店寄ってちょっと話してきた」
返答する燈瑩の眼前には上にしこたま山積みされてしまった中秋節限定月餅。‘西城路のランタン屋?’と猫へ訊き返す上が取皿から目を離した隙に、樹は素早くテーブルへ手を伸ばし2つほど口内へと吸い込んだ。ナイスアシスト。
「あん人むっちゃ穏やかやんか、俺もあっこで提灯買うたことあるで」
「ああ見えて昔はそれなりのチームのアタマ張ってたみたいでな。今でも売られた喧嘩は全部買ってるぜ、去年も他の屋台とシマの奪り合いでやりあってよ」
「ホンマに!?そない過去おくびにもださへんやん」
「つけてるex自慢してぇ奴ばっかじゃねぇだろ、そりゃ」
掌をヒラヒラ振る猫。カウンターで煙草をふかしていた匠が‘そういや’と眉を動かす。
「西城路つったらこないだアイツ見たわ、えっと…何だっけ名前…最近、映画の主演男優賞とった奴。富裕層側の花街にコソコソ消えてった。杏雅楼あたり」
「あらヤダ!いつもテレビで‘女には全然興味無いです’みたいな態度してるのに!」
「ポーズだろポーズ。だからわざわざ九龍城で遊ぶんじゃねーか」
ワイドショーのキャスターさながらオーバーリアクションをきめる東へ猫は呆れ顔。‘お前そこらへんよく行ってねぇ?’と、山積み月餅をチマチマ齧る燈瑩へ再度話を振る。
「うん、俺も見た。キャバクラのVIPで1人でアルマンド10本開けてた」
「パリピじゃん!てかなんでVIPん中の様子わかったわけ、個室だろ?覗いたの?」
愉快そうに笑う匠へ燈瑩もクスリと笑み、肩を竦める。
「トイレですれ違った時‘一緒に飲も♡’って誘われてついてったから。あの人、顔が好みなら性別なんでもいいっぽい。また来るねって言ってたけど俺キャストじゃないしどーしようねぇ」
「にゃはははっ!!そういう面白れぇ話はとっととしろよ!!」
高らかに響く閻魔の笑い声。‘師範も笑ってる場合じゃないんじゃないでしゅか’と余計な口を挟んだ蓮は飛来した紙扇子をデコに喰らった、お約束。額をおさえしゃがみ込む吉娃娃を眺めて頬杖をつく上。
「杏雅楼ん周りって高級そうな服とか靴とか売っとる店増えたやんな。匠、スニーカー見に行っとらんかったか」
「行った。けど城砦でハイブラなんか出してたら危ねーよな、強盗されちまうじゃん」
「まぁ富裕層地域寄りならギリいける思うとるんちゃう?ちゅうかパチモンやないんか、正味」
「同じ工場で作ってる横流し品だから偽物じゃないし品質も一緒!って卸してる奴が言ってた。そもそもハイブラでもそんな素材良いとかでもねーやつ多いし」
「詳しいやん。ほんなら逆にハイブラと…あー…ローブラ?どこがモノちゃうんや」
「靴なら中敷きを固定する糊っぽい」
「地味過ぎやろ」
剥がれにくさが劇的に違うのだろうか。だとしても数十倍の値段をつけるのは流石にボッタクリな気がするが。自分の履いているローブラ量産品のペタンコ中華靴を見やる上は、ふと、ズボンの丈が若干短くなっていることに気が付いた。え?洗濯で縮んでんか、これ?否、まさか…また太っ…?その上の視線を追った猫が顎で裾部分をさす。
「饅頭もツンツルテン着てねぇで新調したらどうだ」
「ツンツルテンは放っといてもろて!!痩せるつもりやから!!」
「何か1着買いに行く?俺もネクタイ欲しいんだよね」
「えっ燈瑩ネクタイすることあんの、スーツでもラフなイメージなんだけど」
プンスと湯気を出す平安饅頭へ提案する燈瑩に、匠が首を傾げた。‘マフィアだってネクタイくらいするよ’と揶揄う燈瑩の後ろから猫が茶々をいれる。
「イジめると10g体重増えるぜ、匠」
「撃たないでしょ匠のことは」
「‘は’?東ならどーだよ?」
ラフなマフィアは一瞬考え、それからククッと小さく喉を鳴らす。頷く猫。
「120g増しか」
「全弾は酷くなぁい?」
「いや…血が出るから減るかもしれない…」
「お、イイとこ気付くな樹」
東の嘆きを閃きで上書きしスルーした樹を褒める閻魔。と、大地の携帯に寄り添う異形の者が震え、微信の受信を知らせた。
「あ!寧が準備出来たって、俺行ってくる!帰りは…えーと…」
「ええよ、遅なっても。富裕層地域側は治安悪ないし」
「ついに過保護卒業か饅頭」
「ほんまイチイチ突っつかんでもろてええですか!!ちゅうか猫は行かへんの?珍しい地酒出よるで」
「行かねーよ、今週は【宵城】も祭り。合わせてイベント打ってっから。酒の調達は蓮に任せる」
言いながら袖口より抜いた札束を蓮へパス。ご指名を賜った吉娃娃は額をさすさすしつつも張り切って敬礼、ブンブン振られる尻尾。じゃあついでにテキ屋行こうぜと匠が燈瑩へ打診、射的で景品チャンス再。
「俺らは月餅買いに行きましょっか。樹、まだ狙ってるやつ色々あるんでしょ?」
「うん。社交街のと和祥樓のと金安飯店のと富里路のと桂記酒家のと」
「行こや行こや、全部行こや。俺もスカウトした娘らに配るお菓子探しとんねん」
東の言に場所と店名をツラツラ並べだす樹の肩をポンポン叩く上。信頼と実績の九龍ミシュラン、選ぶ品物はお墨付き。
こうして、一行はそれぞれ、お祭りムードに浮き足立つ街へとのんびり繰り出した。