不撓と再見
不撓不屈17
その出来事以降。製薬会社の1件がめくれるのを嫌ったか、康のグループの残党は城砦を離れたらしく九龍内での揉め事はパタリと止んだ。大目的はあくまで薬を捌くこと、他は瑣末、端くれが数人死のうが報復したりはしないのだ。利益と損失の勘定。
魔窟からしてもそれは同様。いくらかの被害を被ったとて、根城を出て追いかけ回すほど住人達は正義感に溢れていない。厦門で火花が散ろうが深圳でボヤが起きようが、預かり知るところではなく。この事件はゆるやかに閉幕と呼べるものになっていった。
「いいの?こんなにいっぱい」
「余りモンだから。残りゃ家に持って帰れよ。饅頭、ダイエットしてんだっけ」
【宵城】裏手。お菓子が大量に入った大袋を両腕で抱える大地に猫は──わざと──気の無い態度。
先日一旦簡易的に作った康の墓へ、今日はお供え物と新しい墓石を置きに行く。場所は大帽山。事情を小耳に挟んだ陳が、わずかばかりの所有地に康をお邪魔させてくれた。住人を増やしてしまい申し訳無さを滲ませる大地に、‘賑やかなほうがきっといい’と陳はウインク。運転も任せてくれと意気込むが、運転は老豆の鳥目を心配する息子の役目になるだろう。
猫は気遣ってくれている。納得いくやり方でやってみろと焚きつける形になったことで、どことなしに監督責任を感じている、そんな雰囲気が垣間見える。大地はなるべく確りとした声音になるよう努めて口を開いた。
「ありがとう猫。背中押してくれたから、ちゃんと向き合えた。最期まで」
猫は些か驚いた面様で、こっちこそなかなか掴めなかった一連の騒動のヒントを貰ったと礼を返す。眉尻を下げる大地。
「俺は別に、なにもしてないよ。みんなのおかげだし」
気付いたのは彗で。情報を元に方々を探したのは上で。ニュースを持ってきたのは東で。裏をとったのは哥で。俺の力ではない、なにひとつ。
止めを刺してくれたのだって藍漣だ。いつだって庇われている。彗も似たような悔しさを抱えている。彗は特に、樹と歳も変わらず、更に同じ‘師’を持つ者なのに、どうして自分がこちら側なのだという歯痒さが拭えない。香港を離れる前に挨拶がてら九龍城へと顔を出してくれた殷と宝珠に、康との結末を伝える合間、愚痴と葛藤をこぼしていた。
半ば不貞腐れる彗の手を握って宝珠が伝えたこと。
「私も…悔しいなって感じる時がたくさんあるよ。だけど、護ってくれてる人達の気持ちを大事にしようと思ってる。もっと返したい、もっと追い付きたいって、悩んじゃったりするけど。自分にやれる事を一生懸命やって、それで、今よりずっと成長できたら…今度は誰かを護れるのかなって」
彗ちゃんの求めてる答えじゃなかったね。ごめんね。言ったあとで詫びる宝珠の手を、しかし、彗は握り返していた。その姿を思い返しつつ猫へと心の内を語る大地。
「でもさ。俺も、背負えるところは背負いたいから。いつも頼ってばっかりになっちゃってるけど、全部任せていいって、そういう訳じゃないと思うから。頑張るよ。俺なりの方法探して力になる。甘いのはわかって、る、けど…」
無力感に声が揺れたのが自分でもわかり、大地は瞳を閉じて俯いた。瞼の裏が熱い。ダメだ、泣く。泣きたくないんだってば。唇を内側に巻き込んだ。
共に問題を解決してくれる人が増えて、いくつかのミッションもこなして、誰かを助けられて。だから俺は多分…勘違いをしていた。やっぱり追い付いていなかったんだ。実力だって、経験だって、思慮深さだって。
藍漣や上の話題を耳にする康の表情が複雑なのを見た時に。やたらと贈り物をしたがる様を不思議に思った時に。伝えたいことがあるんじゃないかと感じた時に。発せられていた無数のサインを読み取れなかったのは、自分の未熟さだ。
‘お前のせいじゃない’と藍漣は彗を宥めた。彗のせいじゃない。でも、結末に辿り着いてしまう前に俺にはまだまだやれる事があったはずだ。猫だったなら。哥だったなら。上手くやれたよね。俺が、気持ちも腕っぷしも、全部弱かったから。
静かに聞いていた猫は、何かを懐かしむように目を細め、ぶっきらぼうに放つ。
「まぁ…力が強かろーが、想いが強かろーが、出来ねぇ事も上手く行かねぇこともいくらでもあんだわ。強ぇっつうのはな…」
大地の髪をクシャリと撫でると、眉を曲げて笑った。
「それでも諦めねーで何度もゴロゴロ転がってる、お前の兄貴みてぇな饅頭のことだ」
ゆくりなくも告げられた称賛に大地は顔を上げ、潤んだ瞳をしばたたかせる。‘寧ん時の貸しはこれでチャラな’と付け加え、とっとと行けと肩を叩く猫。近くの珍珠屋で樹が絶賛待機中、食べ物を持っていくなら飲み物もあってしかるべきとの大食漢の優しさ。頷く大地へかったるそうに手を振り、城主は天守へと引っ込んでいった。菓子の袋を抱え直して待ち合わせ場所へと急ぐ大地。
樹と合流し東を拾い、陳の桑塔納で大帽山までガタガタ道を進む。
彗は不在。藍漣に付いて上海へ向かったからだ。藍漣は今も現地のストリートチルドレン達の生活の手助けをしており、彗も協力するとの名目で同行した。‘自分にやれること’のひとつ。かわりにキーホルダーを預かった。宝珠と殷が追加で──陳の分まで──用意してくれたニューフェイスの‘教祖様’。
丘に着き、石彫師を中心にワヤワヤやりつつ墓石を仕立て、手土産を添える。カプカプと笑うストラップ。プレゼントを飾ったきり墓前にしゃがみ込んだままの大地へ、‘桑塔納で待ってる’と東と陳が気を回す。その場に残り、大地に並んでしゃがんだ樹が、小さく言った。
「また会えるよ」
大地は樹に首を向ける。赤柱の浜辺で宗を見送った際、‘また会えたら’と言いかけ口籠った樹に、匠は‘また会える’と返したのだと聞いた。大地は正面へ視線を戻しゆっくりと紡ぐ。
「康…また会おう。会って、また仲間になろう。俺がいつか…そっちに、行った時に」
一陣の風にキーホルダーがカタリと動く。康の返事かな。そんな独りよがりな解釈をして、黄金色の夕陽に染められていく墓石と景色を、いつまでも眺めていた。