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九龍懐古  作者: カロン
不撓不屈
447/492

パッキングとSOS

不撓不屈14






襲撃されたのは製薬会社。香港僻地の工場内から、あらゆるクスリ(・・・)をゴッソリやられた。深夜の犯行だったので工員達は帰宅しており難を逃れ、たまたま用事で内部に居残っていた関連施設の不運な医者が小競り合いに巻き込まれチョロっとお陀仏に。被害額はザッと200万香港ドル。











「ずいぶん()ったな」


鴛鴦茶(ユンヨンチャー)香る午後の【東風】店内、(マオ)がソファでポワッと煙を吐く。向かいに座る(タクミ)も煙を吐きコテンと首を横に倒した。


「ちょっと前の事件だっけ、ニュースで50万香港ドルとか言ってたじゃん」

「認可薬の売上が50万なんでしょ。残りは無認可(・・・)の儲けだから被害届出せないのよ」


(イツキ)のマグカップへポポンと角砂糖を落としながら(アズマ)が笑う。無認可の儲けとは違法薬物のこと。小遣い稼ぎをしているのは何も魔窟の人間だけではない、香港(くに)全体にドッシリ根を張る巨大な黑社会(ユグドラシル)。マグカップの底に沈澱する魔法の白い粉を匙羹(スプーン)でかき混ぜる(イツキ)、マイルドドラッグ。


「俺も改めて九龍城(ここ)のチンピラ洗ってみてんけど。今の誘拐騒ぎの(もと)んなっとる奴らが、その製薬会社(クスリや)叩いた奴らっぽいねんな。最近城外(そと)から流れて来よったグループやから情報薄かってん。富裕層(うえ)と繋がっとったみたいで、九龍(こっち)でもそんエリアうろついとるらしいわ。ほんで…大地(ダイチ)の友達、やけど…」


(アズマ)が仕入れたネタに手持ちのピースを組み合わせてパズルを作ったものの、完成品のお披露目はしづらそうな(カムラ)大地(ダイチ)はテーブルに頬杖をついて、言葉を濁す(カムラ)を見詰めた。

寺子屋は休校だが宝珠(ホウジュ)は講義があるとのことで、(スイ)は手持ち無沙汰な(イン)と夏慤花園(こうえん)あたりで遊んで(・・・)いる。私用で市内へ出掛けた藍漣(アイラン)(のち)に合流するらしく‘夕飯は(レン)の店で!’と微信(チャット)が来ていた。(コウ)のトークルームは未読のまま。


「そん友達が、(さら)う相手にアタリつけとるっちゅうんは…正味…ありそやな。パクった薬ハケさすんに、なんや子供使(つこ)てるぽくて」

「ん?子供にハケさす?」

「パッキングしてるみたい」


差し挟まれた(タクミ)の質問を(アズマ)が引き取った。ボディパッキング、通称コークミュールは、ドラッグを内密に持ち運ぶパックとして‘身体’を使う荒業だ。ブツを詰めた包みを飲み込んだり体腔に隠したりして国境や検問所をすり抜ける。ボディパッカーの中には1度に数百もの小袋を胃袋や腸に収納(・・)し密輸する猛者も存在。無事に任務を遂行出来るかは運次第、仕舞いこむ薬物の総量は致死量を遥かに超えている為、体内で包みが破れれば急激な過剰摂取で中毒になり死に至る。

とにかく───その要領で、捕まえた子供へパケットを大量に仕込んで相手先に送るのだ。ふたつの品物を同時に(さば)けて一箭双雕(いっせきにちょう)。お得なスペシャルビジネス。


「大人のほうがたくさん詰めれるんじゃないんだ」


合法薬物(さとう)が溶けきった飽和水溶液(ユンヨンチャー)を啜る(イツキ)が借問。お猪口(ちょこ)の紹興酒よりマグの港式奶茶(ミルクティー)、マグの港式奶茶(ミルクティー)よりLサイズの珍珠(タピオカ)ドリンクのほうがキャパシティはある。荷拵え(・・・)だって同じでは?

(カムラ)に貰ったパックの不飽和水溶液(レモンティー)へストローをさす燈瑩(トウエイ)が肩を(すく)めた。


「裏をかいてる、ってことじゃない?(パック)ごと売り飛ばすって考えたら小さい子の方が値段つくし。あとは捕まえるのも言う事きかせるのも楽だしね」


薬物がしこたま盗まれれば、香港警察(ジャッキー)は当然密輸ルートに目を光らせる。コークミュールの箱は基本的に大人、ならば逆に幼い子供を使えば万一(まんいち)の事態に陥った(さい)に追及を逃れられる確率は上昇する。

(イツキ)(イン)が倒した人間は所謂(いわゆる)カモフラ。本命の売買に当局の意識がいかないよう、適当な半グレへ普通(・・)人身売買(とばし)の案件を持ち掛けていた。医療関係は上流階級(アッパー)の繋がりが多い、羽振りの良い買い取り先の用意はさして難しくもない。これは燈瑩(トウエイ)も外のルートを(つた)っていくらか裏取り済み。

つまりそちらの誘拐商売は隠れ(みの)、使うゴロツキも捨て駒。やり方の強引さも真っ昼間の犯行という警戒心の薄さも特に知ったこっちゃなし。裏で肝心の取り引きが(とどこお)りなく進めばそれで恭喜(めでたし)、‘アッパーは仕事が丁寧だよねぇ’と(アズマ)が皮肉めいた物言い。大地(ダイチ)は頬杖をついたまま一連(いちれん)の話を聞いていた。


「まぁ…そういうことなら、わざわざ突っつく必要もねぇな。(さば)くモン(さば)きゃ九龍(ここ)にもガキにも用は無くなんだからよ、言い方(わり)ぃけど。近いうちにゴタゴタも収まんだろ」


その連中をどうこうする訳では無いと(マオ)の声。原因が判明したとて、問題を落着(らくちゃく)まで導くのは埒外(らちがい)なのだ。周囲に降りかかる火の粉は払えど街中(まちじゅう)の火消しは請け負えない、当たり前の話。対策としては警戒の手を広げるだけと煙を輪にする。宙に溶ける円環。


(カムラ)(うかが)うような眼差しを向けてきたので、大地(ダイチ)は白煙を追っていた目を伏せ、ポソッとこぼした。


「俺は…何も言えないよ…」


(コウ)について。


性質がなんであれ、属するグループは本人にとって‘仲間’と呼べる(たぐい)のもののはず。どう付き合いどんな判断を下していくかは(コウ)自身が決める事。ただ───(コウ)がそれをやりたくてやっている、そういう風にはどうしても見えなかった。大地(ダイチ)は眉間に(しわ)を寄せる。

この状況ではもはや、母親に関する事情も嘘なのだろう。けれど…あの時。最後に話したあの時に、(コウ)は何かを言いかけた。その‘何か’がもしもSOSであるなら…そんな可能性という名の願望を、どうにも捨てられない自分がいた。


「ダチの事が気にかかんならよ。お前はお前でやってみろ、納得いくやり方で」


(マオ)が投げた台詞へ、大地(ダイチ)は伏せていた瞼をあげた。納得いくやり方?俺が?迷惑じゃないか、そんなことは。(コウ)へのイメージだって勝手な私見に過ぎない。言ってしまえば全ては俺の‘ワガママ’なのだ。ソロリと不安気に目線を動かし部屋を見回す。しかし誰もが、(カムラ)でさえ、その(マオ)の意見に賛同する表情を見せてくれていた。


───(さだ)めし、仲間は見棄てないよ。


スマホで寄り添うストラップ。‘仲間’。そうかな。そうであってほしい。俺だって、きっと(コウ)の仲間で()れているはずと、信じたい。


「…うん。次に会ったら、もっと…ちゃんと訊いてみる。ありがとみんな」


このまま終わらせたくはない。決意のこもる大地(ダイチ)の言葉に、(カムラ)が‘せやな’と短く応えた。明らかに心配性かつ過保護な気持ちを無理に抑えて出したことが丸わかりな声音だったものの、キリッと某熊猫(パンダ)さながらの凛々しい顔付きを作る(あにさま)へ、弟は目尻を下げ明るい笑顔を返した。








されど───思い通りに進まない現実は、(コウ)の足取りを追わせてはくれず。ゆっくりと着実に日々は過ぎ、ほどなく宝珠(ホウジュ)が香港での座学のコースを修了するという段階になっても(いま)だ連絡は途絶えたまま。鳴らない携帯をタップする毎日を送る大地(ダイチ)は、今日も今日とて探偵団事務所(スイのいえ)(おもむ)いてはソファに転がり盛大な溜め息。

窓から吹き抜ける涼やかな風。ベランダより聞こえてくる(スイ)藍漣(アイラン)の会話。藍漣(アイラン)は近々、上海へ()つ様子。(スイ)が付いていくかどうかをひたすら悩んでいる…(コウ)のことが解決出来ていないからだろう。宝珠(ホウジュ)(イン)も香港を離れてしまう、会おうとすればすぐに会える距離ではあるが…今夜は借家の中をいくらか整理するので九龍城(こちら)にはまた明日あたり顔を出すと言っていた。


日課の微信(チャット)(コウ)へ送信。画面に並ぶ何日分もの‘哈囉(ハロー)’スタンプと、一方的(いっぽうてき)なくだらない雑談。

このまま終わらせたくはない。そう、思っているけれど…駄目なのだろうか。(コウ)の中ではもう、終わってしまったことなのだろうか。再三の溜め息。意味なく文章をスクロール。指の動きに合わせ移動するメッセージの吹き出しを無為に眺めていた大地(ダイチ)は───




「あっ!!!!」




大声をあげてガバッと起き上がる。意識を(とら)えたのは、まず、突然シングルからダブルに変わった吹き出しの隅のチェックマーク。要するに───‘既読’。


そして、間髪入れずに飛んできた、SOSの絵文字だった。

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