疑惑とシリアル・後
不撓不屈12
珍しく歯切れの悪い彗は、もしかして、までしか口にしなかったが。先を読み取ることは難しくなかった。
「で…でも、彗と殷で全員倒したんだよね?見なかったでしょ…?」
「彗達が倒したの、そいつらんグループのメンツだけだもん」
見なかったでしょ?の主語は、無論‘康を’になるのだが。同じく口に出来ず言葉を濁す大地は、肩を竦める彗を見やり記憶を掘り返す。最初のトラブルが起きたあと。
───彗が居ない時に限ってさぁ!
違和感の正体。逆だったのだ。居なかった、だからやって来た。その日は居ないと知っていたから。
彗の腕が立つのは康もわかっている。ならば狙い目は不在時、けれど、運悪くそれ以上に腕の立つ樹がいた。康は樹のデータは持ってない。‘このへん探ってるガキ’との台詞すら康が向こう側の人間だと仮定すれば辻褄が合ってしまう。康が話を流していたせいだから。学校周辺が静かになったのは、康から得た新たな情報で、半グレ連中が狙うエリアを変えたから。嫌な仮説が大地の中で組み上がっていく。
待って、待って。康はそんなこと出来る性格じゃないよ。ちょっと気弱で控え目で、大人しくて。独りでそんなことをするのは───いや。康が独りって誰が決めた?康にも康の属しているグループと、役目があるんじゃ?寺子屋。子供。誘拐事件。拐う子供にアタリをつけたり、周辺の状況を探る為に寺子屋に通ってた?それが康の役目?いや、いや…。
「全然違うかもだし。これも限定だろーけど3個だけ作りました、とかじゃないじゃん。だから康のとは限んないし」
繕うような彗の言葉に大地はキーホルダーを見る。勿論、3個だけなんてわけはない。ないけど。康は鞄につけたんだっけ?それともスマホ?家の鍵?最近もついてた?なんでなにも覚えてないんだ俺は。
「とにかく!気になったからゆっただけ!暗い顔やめてよ、大地は明るいのがいーとこなんだから」
彗が声を張り、キーホルダーをグイッと大地へ押し付けた。大地は胸元にくっつく満面の笑みの人形をジッと見て、それから彗へ目線を向ける。彗も大地を見ていた。その瞳に、非難の色は映らない。
そうだよ。彗だって心配してくれてる。疑う以上に心配してる、だから俺に打ち明けてくれたんだ。大地はキーホルダーを受け取り、軽く眉を下げて笑う。
「ありがと彗」
「別に彗は何も。ちょこちょこ康と連絡取ってんのだってアンタなんだしさ、会ったら話聞いてやったら?そのへんアンタのほうが上手くやれんでしょ」
暗に‘自分は言い方がキツい’と仄めかし1歩下がる彗に大地は忍び笑い。こういう気遣いが猫に似てる、とかゆったら怒るかな?ライバル視してるもんね。思うそばから‘何クスクスしてんの’と不機嫌に睨まれた。大地は‘何でもない’と答え、顔の高さに手をかざす。小気味良いハイタッチの音が、重く湿った空気を、ほんのわずかに青空へと吹き飛ばした。
彗をバイトへ送り出し、午後の学課。机に上半身を貼り付ける大地は黒板を眺めるも、書かれている内容は頭に入ってこない。康のことが気にかかっていた。白チョークで書きつけられていく文字をとりあえず目で追う。追うだけ。やっぱり頭には入らない。
と、ポケットのスマホが震えた。彗か?伝え忘れたことでもあったかな?画面をチラッと確認。
───康だ。
心臓が跳ねた。学校帰り、時間があれば会おうとの誘いへ、大地はすぐにOKの絵文字をレス。
終業まではあと何分?時計を見る。30分。長い。急に長く感じる、の方が正しいけど。追加で‘いつもの珍珠屋はどうですか’と康の微信。これにも即レス、‘OK啦’。ソワソワしながら授業終了のベルを待つ。
放課後、学友への挨拶もそこそこに一目散で教室を出て駆け足で向かった店先には、特に普段と変わらない康が居た。息を切らす大地を見るや目を丸くしてオドオドしだす。
「ごっごめん、急がせた?いきなり呼んだから?タ、タピオカ僕が奢るよ」
「いや…俺が、急ぎたく、て…急いだ、だけ。タピオカは、ワリカン。ね」
呼吸を整えサムズアップする大地。宣言通りに割り勘で、冷えた港式奶茶を買い乾杯。
「康、全然寺子屋こないからさ。お母さん大丈夫?」
「あ…うん。大丈夫…」
小声で発する横顔は浮かない。並んで座ってはいるものの間にどことなく壁を感じて、大地は体勢をかえるフリでさりげなく距離を詰めた。瞼を持ちあげた康が薄く口を開き、けれどまた閉じて、思い出したように肩掛け鞄をイジり始める。
「僕、大地にプレゼント買ってて。それ渡したくって連絡したんだけど」
ガサゴソやりだす康の手元を覗き込む大地の意識は、しかし、プレゼントよりなによりショルダーの金具部分へ釘付けになった。
ぶら下がってケタケタ笑う、件の異形の者。お揃いであげたリミテッドエディション。
───付いてる。え?なんだ、付いてるじゃん!康のはちゃんとあるじゃん!ビックリした。彗が助けた娘が拾ったのは別のやつだ、偶々同じのを持ってた人が居ただけだったんだ。良かった!康じゃなかった!
「これ、パチンコの弾。前に役に立ったって言ってたから…たくさんあればもっと安心かなって…」
言いながら康は、相変わらず小袋にゴッソリ詰まったガッチガチでピッカピカな鉛の粒を出した。内心で胸を撫で下ろす大地は礼を述べて受け取り、次回蛋撻を奢ると約束。それからまたキーホルダーへ視線を落とす。その仕草に康が不安げな表情。
「どっ、どうしたの?」
「あ…ううん。キーホルダーつけてくれてるんだなって…」
呟き、逡巡したが───伝えた。
「色々さ。事件、起こってるじゃん。それで俺…よくないこと、想像してて。康が何か隠してるんじゃないかな?お母さんのこともほんとは違うのかな?…とか。そんなわけないのにね」
出し抜けなきらいがあったが。言わないのはフェアではない気がした。すると康はあからさまにオロオロしだし、唇を噛んだり目を泳がせたりして掠れた声をしぼる。
「えと…ぼ、僕は…」
言葉に詰まる康が膝のあたりで握り締める拳へ、大地は自分の拳を当てた。
「俺が勝手に不安になってただけ。ごめん。康さ、前もゆったけど、何か問題があったらすぐ話してね。ソッコー助けに行くから」
窺うように大地を見る康は、柔らかく頬を緩める大地に困り顔で頷き、そっと拳を当て返す。鞄で揺れるキーホルダー。大地はもう一度それを見て───
背中からちょこんと生えているタグに、目を止めた。
なんでもないタグ。小さく数字が書いてあるだけの、なんの変哲もない、タグ。
港式奶茶の氷がカランと溶けた。暗くなりだした空を見上げた康が、慌ててプラカップの中身を飲み干し立ち上がる。
「っと…僕…そろそろ、帰らないと。プレゼントも渡せたし…夜になっちゃうから…」
「あ、うん。ウロチョロしたら危ないもんね。お母さんも待ってるんでしょ」
同意した大地も珍珠を喉へ流し込む。店を離れていくらか同じ方向へ歩き、他愛もないことをポツポツ喋り、差し掛かったT字路で笑顔で別れた。
後ろ姿が見えなくなるまで手を振ってから、大地は自分の携帯についているストラップをひっくり返す。異形の者、ノーマル。背面には何も無い。彗に渡されたキーホルダーを取り出した。リミテッドエディション、背にはタグが生えている。書かれている数字。
康じゃなかった。なかった、よね?そんなわけないよ。
同じフレーズを頭の中で繰り返しつつ、彗へメッセージを飛ばす。確かめたい事があった。駄菓子屋に寄るのも忘れて家へと着くと上がキッチンで食事の準備中、‘着替えたら手伝う’と告げて大地は一旦自室へ。飾られているケタケタ笑う異形の者。背中のタグ。
スマホのスクリーンが光った。彗より返信。すぐさま斜め読みし…大きく溜め息をつき、ボフッとベッドに倒れ込む。
そんなわけないよ。ない。ない、と、確かめたかった───のに。
夜風に乗って漂う夕飯の匂い。包丁が具材を刻みまな板を叩くリズム。広東ポップを特集しているテレビの音。全てがどうにも胸に刺さり、上の呼び声が台所から聞こえても、大地は鉛のようになった身体を起こせないままでいた。