久闊とコソ練・前
不撓不屈9
「もー!来てるなら連絡してよ!」
「正式に決定したら、と思ってたんだけど。バレちゃったね」
楽しげに頬を膨らませる大地、宝珠も口元へ手を当て柔らかく笑う。
夕飯時の食肆。突然やってきた彗と殷の姿に皆が目を丸くしている最中、ほどなくして宝珠までもがヒョッコリと来店。それから少女を家へと送り届けた上、陽気な小物屋へ陳と共に手伝い──という名の遊び──に行っていた樹と匠も合流し、あっという間にいつものメンツで賑わう店内。久々の再会に張り切る吉娃娃が腕によりをかけてご馳走を準備し始める。
九龍を離れて以降も勉学に励む宝珠は、また新たに薬膳の知識を増やすため殷に付き添ってもらい香港へ出向いていたとのこと。
目的は漢方医により行われる講義の見学、気になる講座がいくつかあり短期のコースに通うことも検討中。受講と相成ればしばし市内へ宿を取り滞在するので、その折に城砦の面々へ連絡をしようと考えていたらしく、この鉢合わせは若干のフライングではあったものの。
「だが通学を決めたのだろう?」
「はい!とても有意義な座学でしたから!なのでその間は九龍城へも度々お邪魔させていただきます」
テーブルで壽眉茶を啜る殷の言葉に頷く宝珠は椅子の背に寄りかかり皆を見回す。朗らかな笑顔。隣にくっついていた寧が控え目に、けれど嬉しそうにその中華服の裾を握った。
先刻───火花が散ったのは一瞬だった。彗の背後に居たのが殷であり、攻撃を寸手のところで受け流したからだ。
宝珠を目的地まで送ったあと、見学会が終わるまで手持ち無沙汰な殷は城砦周辺を当所なくウロウロしていた。すると街外れで偶然彗を発見、その動静から誰かを尾行しているのだと悟り、良かれと思い極力ひっそり近寄ってみたところ…振り向きざまに三節棍をお見舞いされたうえ、‘ビビらすな’やら‘足音が静か過ぎる’やらの文句をワヤワヤ喰らう。暗殺稼業の弊害。
その後、手短にあらましを説明され事情を把握。近くに停めていた車を拾って現場へと向かい、さしあたり遠巻きに様子を窺う予定だったけれど───男達が商品を引き連れてきたことに加えて飛び出してくる上が見えたことにより計画変更。そのまま眼前まで乗り付けたという運び。
「兄様、銃弾斬っててガチすごかった!瑪莎拉蒂のライトも割れたけど!」
「ヘッドライトの話はやめてはくれないか…傷むから…」
「何が?心?懐?」
「どちらも」
素直な感想と客観的な事実、プラス素朴な質問を口にする彗。殷が辛そうに掌で目元を覆う。
「まぁ弾丸が斬れたのは偶々だよ。此度は構える猶予も頂戴できて運が良かったな、前回はこうは行かなかったし」
「ん?ちゃうちゃう!前回は俺が不注意やってんて!」
上がポヤポヤと手を振り口を挟んだ。
前回とは、いつかの廃墟での攻防戦、撃たれかけた上を庇って殷が射線に立った時。向けられた銃口、その弾を即座には去なせないと殷は推し量り───そして窮地を救ったのは宝珠が放った一矢だった。
「あんとき出来ひんかったんは俺が急に助けてもろたからやんな」
「いや、実力の問題だから。それに元を辿れば貴様に助けてもらったのは此方だし、苦境を打開したのも自分ではなく宝珠だろう」
‘自分は皆に絶えず感謝の念がある’と真摯な眼差しで微笑む殷へ、上は面映ゆそうに咳払い。宝珠もはにかんで頬を染めた。彗が宝珠の脇腹を肘でつつき、真似をした寧も二の腕あたりを指でつつく。両側からツンツンつつかれ照れ笑いをする宝珠。
「でもさぁ彗だってさっきすごかったんでしょ、高い壁ヒョイッて越えて」
「別にぃ。殷のフォローがイケてたから」
料理長がサーブした鵪鶉蛋燒賣を箸で刺し、蒸籠をヒョイッと越えさせて口へと放り込む大地。名指しされた彗が素っ気なく答え、宝珠が脇腹を肘でつついた。寧もやはり真似して手を伸ばす。可愛らしいじゃれあいを見ていた殷が破顔し朗々と語る。
「宝珠は幼い時分、高所がとても好きでな。木だの屋根だの様々な場所に登りたがるものだから、よくああして戯れていて。毎回降りて来られずに半ベソになっていたけれど」
懐かしさを孕んだ面差し。反してスンとした宝珠の顔には‘半ベソは言わなくてもいい’とあからさまに書いてあった。
副料理長は蘿蔔絲酥餅を卓へ並べたついでに彗の頭をひと撫で。藍漣に倣った労い。間髪入れず高速のアッパーカットが飛んできて命中、舌を噛み無言でしゃがみ込む。厨房からデザートを取って出てきた匠が足元に丸まるスーシェフに気付かずつっかえた。
「うわ危ね、何?どしたの?」
「別にぃ。彗がすごいって話、してただけ」
新作のアヒル型流沙奶黃包──今週から餐牌に参戦した愛くるしいニューフェイス──を片手に首を傾げる匠へ、彗はポニーテールの毛先を指へ巻きつけつつ膨れ面。匠は‘そうなんだ’と相槌を打つついでに彗の頭をひと撫で。‘すごい’に対する称賛。その仕草を視界の端に認めて焦る東。
あっ!!匠ちゃんそれはマズいアッパーされちゃ───…ってないな?あれっ!?なんでぇ!?
ご満悦の彗はエッヘンと腕組み。上機嫌。うってかわって真逆の反応にハテナマークをポコポコ生やす東の斜め上、宝珠がわずかに羨ましそうな表情をしているのを目に止めた殷が、此方の妹も褒めてやってくれと匠へ茶化す。反してスンとした宝珠の顔には‘閑言は言わなくてもいい’とあからさまに書いてあった。
樹は匠が運んできたアヒルをまばたきの間に全羽吸引。すると席へ腰掛けたばかりの匠は再度立ち上がり、空皿を持って厨房へと帰っていく。残された未使用のフォーク。そこで樹は、提供された2皿のうち1皿は匠の分だった事実に気が付きハッとした。毫も疑わなかった…両方俺のだと…ショモショモしながらテーブルの上の蘿蔔絲酥餅を抓む。心做し小さくなる背に宝珠がクスリ。
「樹さん、食物を吸い込んでは消化によくありませんよ。糖分の摂り過ぎにも注意をはらわないと」
「俺も気を付けたほうがいいかなぁ。お菓子いっぱい食べちゃうもん」
「ふふっ!でも大地君は樹さんほど食べないでしょ?ところで兄様の必殺技練習ムービーご覧になりますか」
「ゴフッ」
幸運曲奇を割る手を止めた大地へ、宝珠は心躍る提案。茶を噴く殷。
「なにそれ!!見る!!」
「え?ほ、宝珠…ちょっ…」
「余計な事ばかり仰るからです」
俄然興味を示す大地が駆け寄り、ピシャリと殷を制した宝珠のスマホを喜々として覗く。彗と寧も画面を凝視。ティーンエイジャー達がこぞって見守るなか、満を持してお披露目されるコソ練動画。
樹はこぼした茶を拭きもせず狼狽えている殷の肩を優しく叩き、匠が連れてきてくれたおかわりのアヒルをそっと1羽差し出した。