グロウアップと限定版・後
不撓不屈8
銃声。奔る刃。それに重なり何かがパリンと割れる音。殷が少し変な顔をし、彗は瑪莎拉蒂のフロントを見て‘あっ’と声を漏らした。目を皿にする上。
えっどうなったん!?刀振ったんは見えてんけど他はわからんかった、今の表情とパリンてなに!?ケガ、は…しとらんっぽいな…?チンピラん照準がハズレたわけやない…っちゅうことは…?
「やば、マジで斬った!!兄様すっご!!」
興奮した様子で騒ぐ彗が車体を揺らす。砕けたヘッドライトの欠片がポロポロ落ちた。
あ、パリンてあれ割れたんや。弾の切れ端当たったんやろか。やから変な顔したんやな、斬れた後までは構っとれんもんな───ってホンマに斬ったんか!?兄様すっご!!
ワンテンポ遅れて慄く上の見詰める先、殷は彗の方へ首を向けチラッとライトを確認。バキバキになったレンズにちょっぴり悲しげに眉を曲げたものの、気を取り直して賛辞へ答える。
「唔該。でも…まぁ…」
「ん?」
「正直、身罷るかと案じた。2度は御免被りたいな」
「ほんとに正直ね」
‘拒否ればよかったじゃん’とニヤつく彗に、殷は‘それじゃ格好つかないだろう’とまたも正直な台詞。彗がケラケラと声を立てる。目の前で起こった出来事を飲み込めず困惑する半グレ連中が、呆気にとられて2人のやり取りを見ていた。
───チャンス。
上は全速力でドスドス走ると子供を捕まえていたチンピラへタックルをかます。不意を突かれてバランスを崩し倒れ込む男、少女が腕から離れよろめいた。自身も地べたへ転げるも、少女を腹のクッションでポヨンと受け止める平安饅頭。
隣の輩が我に返り銃口の狙いを殷から上へと移した───が、次の瞬間、ピストルは手首ごと宙を泳ぐ。クルクル回転する手首を見ている持ち主の眼前には既に距離を詰めていた殷。血が滴った双剣に切り飛ばされたのだと気付いた時には当然手遅れ、返す刀が頸動脈を撫でる。赤黒い噴水がひとつ。
慌てた残りの1人がナイフを抜き出すも、何をする暇もなく、側頭部にブチ当たった彗の三節棍の一撃で地面へと沈む。首元を殷の刃先が薙ぎ、ふたつめの噴水も出来上がり。得物を腿のホルスターに収めた彗へ今度は殷が賛辞を送る。
「流石だな。速いじゃないか」
「まぁね、兄様にゆわれてもちょっと悔しいけどぉ」
不満気だが自慢気な彗の声調に殷はククッと喉を鳴らし、それから、上に伸された男へと短刀を突きつける。
「さて。幾つか尋ねさせてくれ」
へたりこむ男は殷が二の句を継ぐ前にペラペラと内情を謳いはじめた。流行りの人身売買に乗っただけ、金に釣られて、このガキが必要なら返すし他の子供が欲しけりゃ拐って寄越す、これまでにかなりの数を売り払ってきたからお手の物だ、仲間は今から船の鍵を持ってくる奴で最後、そいつを殺してクルーザーをくれてやってもいい。
聞いていた殷は冷ややかな目付き。予想以上にどうしようもないな、そんな所感が雰囲気に表れた。男は小さく舌打ち。
「お前だって善悪どうこう語れる立場じゃないだろ」
さばかれた死体を見やる。殷も視線を辿って血の海を眺め、首肯。
「確かにな。だが、自分が事を為す理合いは正否の問題ではなくて、恩義と尊崇に拠るものなんだ。意に沿えずすまない」
言ってニコリと笑う。柔和と物騒の混在。
その時、路地のあたりに人影が現れ殷と彗は暗がりへ目を凝らす。それを好機と捉えた男が動き拳銃を拾い上げる、と同時に、殷は男へ向き直りもせず素早く首を掻き切った。みっつめの噴水。彗と眴せし、女児を腹に抱えている上へ告げる。
「上、貴様を見込んで娘は任せる。頼むぞ」
「ん!?お、おう!!任しとき!!」
焦りながらも胸を叩く上に頷いて、彗と連れだち駆け出した。事態を察して踵を返し逃走する小男。‘船の鍵を持ってくる奴’だろう。男は入り組んだ城砦の道をチョコマカ奔走、なかなか内部構造に詳しいようで上手い具合に追跡を躱し、竹材で編まれた簡素なハシゴをよじ登りルーフトップへ出るとすぐさま足場を蹴倒した。
ハシゴが崩れた直後に追い付いた彗は頭上を仰ぐ。敵の姿は何十階も先の彼方などではなくほんの数階先の位置…されど周囲を見渡すも登れそうな取っ掛かりが無い。いや…自分が登れそうな取っ掛かりが無い。奥歯をギリッと噛み締める。
だから!!悔しい悔しい、悔しいんだってば!!樹ならいけるのに。殷もやってのけたのに。彗だけ‘出来ない’なんて、そんなこと────
「彗!」
立ち尽くす彗を抜き去り、正面の壁へと背を凭せ掛けた殷が呼んだ。軽く膝を曲げ両手の指を組む。排球のレシーブに似た体勢。ハッとした彗は数歩下がり、靴を脱ぎ捨て助走をつけた。地を蹴って、組まれた手の平へ片足を乗せ踏みこむ。
そんな格好つかないこと────
「言えるわけないでしょ!!」
彗が叫んで飛びあがると同時に、殷は両腕を打ち上げるように振って跳躍の補助をした。ルーフトップよりも遥か高くへ舞う身体。彗は空中で三節棍を組み立てると半身を捻り、逃げ切ったと安堵していた男の鼻っ柱へ着地とともに鉄棒の先をめりこませた。もんどりうって屋上から落下する男。
殷は降ってきたそれに近寄り二言三言話すとサクッと噴水を制作。よっつめ。塀をつたい降りてくる彗に手を貸し、厚底を履きなおす横顔へ再びの賛辞。
「見事だな」
「まぁね、兄様が手伝ってくれたからぁ」
「お前の実力だよ。ところでまずいのかな、死体は」
「このへん人居ないし平気じゃない?こーゆーのはだいたい端っこ寄せときゃOK啦って燈瑩ゆってた」
「成る程」
胡乱なアドバイス通りに噴水を路隅へ寄せ、上のもとへとUターン。港の枯れた噴水達も倉庫の角へ引きずった殷は少女を宥めている上へ愛車のキーを投げる。
「その子を家に帰してもらえるか、車は後で適当に戻してくれたらいいから。小蓮の店で落ち合おう」
了解した上は女児を後部座席へ促す。袖口で涙を拭う少女の髪をポンポン撫でて、革張りのシートへ座らせる彗。少女はその手に何かを握らせた。‘拾ったやつだけど。これしかなくて、ごめんなさい。’そう蚊の鳴くような声で発する。精一杯の礼品らしく、礼などはしなくていいと断る彗の指を離さない。彗は眦を下げ、心ばかりのプレゼントを大事に受け取った。
テールランプを見送り、人心地。普通にありがちな事件だった…探偵団の活動と直接は関係ないかしら…思いつつ、彗は掌を開き贈り物を目にして───息を呑んだ。即座にそれをパーカーのマフに突っ込むと、‘食肆へ行こうか’と歩き出す殷の後ろを事もない面持ちでついていく。
ポケットのなか。雑にしまわれたリミテッドエディションのそのキーホルダーは、大口を開けて歯をむき出し、ケタケタと愉快そうに笑っていた。