グロウアップと限定版・中
不撓不屈7
ポツポツと灯り始めた街の明かりも遠く、人気の無い波止場では薄暗い波間に数隻の小型船舶が揺れている。追いかけた先で辿り着いたその廃れた港、別のチンピラと落ち合った男の背をボロい倉庫裏より眺めて上は思案。
アジトに行くんとちゃうかったな。何の話ぃしとんのやろ?微妙に遠くて聞こえん。もうちょい近寄ろか?バレるやろか。ちゅうか、こない辺鄙なとこ来るゆーことは、まさかこいつらお買い物の相談だけやなくて今から取り引きする気ぃかな。んなこたないか。な、ないわな?頼むで…?
そこへ、早速その願いを裏切るかのごとく、1台の軽自動車がやってきた。車外に出たのはこれまた仲間らしきゴロツキ…と、それに連れられた女の子。10歳くらいだろうか。どうみても楽しいお出掛けという雰囲気ではない。足取りの重い女児の細腕を男が乱暴に引っ張る。上の額へ冷や汗が浮かんだ。
待て待て!始まっとるやん!こんままどっか運ぶっちゅうこと?小っこい船しかあらへんし、近場の島?いや、こいつらの行き先はどこでもええねんな。問題はそこやなくて。そこやなくて────
「ちょっ、まっ、待ちぃや!!」
張り上げた大声に半グレ共が振り返る。勢い任せに飛び出して向かい合った上は、怯えた瞳の少女へ出来るだけ力強く頷くと男達を睨み付けた。その姿勢とドシンとした体型──やかましいわ──は堂々たるものだったが、正反対に、頭の中は饅頭祭りばりの大混乱。
やってもた…乱入したかてどないするつもりなん俺は…なんやええ言い訳でもあるんか?こいつらを止めれるような?やけど放っとかれへんし。ホンマにさっきの自分に説教したい、悪いことゆわん、ゆわんから保険の為に誰かしらに何かしらの連絡を入れとけと。しゃーない。次に活かそ。次…次があれば。この場を生き残れれば…。
取り留めない思考を纏め、うるさい心臓を無理矢理鎮めて言葉を押しだ───す前に、相手の懐から拳銃が出て、ついでに1発弾も出た。頬の横を掠める弾丸。微動だにせず上は前を見据える。その風体にチンピラは少し眉をあげ、照準を外すと口を開いた。
「何だよ?どっかのチームの奴か?」
腹の座った上の態度に身構え、用件を問う。静寂。一陣の風にヒーローマントさながら靡くストールを口元まで引き上げ直し、上は心の中で叫んだ。
早いて!!!!
即撃ってくんなや、わんぱくかお前!!肝ぉ縮んだわ!!当たらんでよかった…固まってもた…またもや額に浮かぶ冷や汗。しかし、今にも泣き出しそうな少女と目が合い、唇を引き絞って再度頷く。
落ち着け俺。この子にキョドっとるとこ見せよったらアカン。考えろ。いらんこと言うたら風穴あくぞ?どないしよ?参った、思い付かん。やけど黙っとるわけにもいかん。何か上手いこと、何か。取り留めない思考を再び纏め、うるさい心臓も再び無理矢理鎮めて言葉を押しだ───す前に、今度は低く唸るエンジン音が鼓膜を叩き、視界の端に某か大きな影が映った。
目映い光を放つヘッドライト。猛スピードで疾走してきた平たい車体は、見覚えのある瑪莎拉蒂。夜に溶けこむ黒いボディが船着き場とチンピラ連中の間へドリフトしながら滑り込む。砂埃を巻き上げ派手にタイヤを鳴らし急停車したそのクーペの助手席側、ウインドウから身体を出すとハコ乗りスタイルで窓枠へ腰掛けた彗が溜め息。
「なんで饅頭が居るのよ」
「え!?そっちこそなんで居るん!?」
目をカッ開く上。その驚嘆は、次いで運転席のドアから降りてきた人物を見て更に上書きされる。
「久方振りだな。息災か?」
片手を上げてサラリと挨拶を述べたのは───殷だ。
「んん!?そっちもなんで居るん!?」
「騒々しいわね平安饅頭!色々あんの!」
喚く上に‘説明は後’と彗。頭上を通り越して成される会話にチンピラ連中が首を右へ左へ動かし、今度は彗と殷に的を定めて‘誰だ’とがなる。殷は扉を閉め数歩進み、ボンネットの前に立つと軽く肩を竦めた。
「見知りおく必要は特に。再びまみえる事は無いからな。まぁ、しいていえば其方のヒーローの連れ合いだ」
楽しげに笑うと上を顎で示す。それから背面へ提げている2本の短刀へ手をやり、片方を抜き出すと切っ先をゴロツキへ向けた。張り詰める空気。
は?なんなん?どういう状況やねん、これ?倒すんか?このまま?ど、どう加勢したらええんや?言うて俺もう敵さんらの眼中にあれへんっぽいけど?けど…やるで。やるで、俺やって。俺の加勢が要るんかは置いといて…上は手汗をかいた拳をひっそり握る。
と、一触即発のムードなど微塵も意に介さずといったマイペースな彗の声が響いた。
「あ!てか、兄様も銃弾斬れるんでしょ?」
唐突なクエスチョン。発言の意図を全員が掴み損ね、殷もキョトンとし訊き返す。
「も?」
「猫目が斬ったって、アンタもイケるって言ってた!」
「咦…恐ろしいな彼奴は…」
渋い表情で呻く殷。勘考。
突拍子もなさ過ぎる。そして、猫の恐ろしい処は‘斬った’という事実もさながら‘アイツもイケる’などとプレッシャーをかけてくるあたりだ。そんな荒唐無稽な離れ業は些か厳しいが、出来ると評価されては無理だと答えるのも格好がつかない…彗の弾んだ口調から察するに此は‘やってみてよ’という要求なのだろうし…扨措き猫め、奥義云々と揶揄ってきておいて、貴様が1番必殺技じみた芸当を熟すじゃないか。
殷がフゥと息を吐き胸元に指で十字を書くとその仕草に頭を捻る彗。
「なにそれ」
「願掛け」
「基督徒じゃないんじゃなかった?」
「ない。ただの気分」
不敬じゃんと指差す彗に難しい言葉を知っているなと殷が感心すれば、彗は馬鹿にすんなとふんぞり返った。横道に逸れた会話に苛立った半グレが銃口を持ち上げる。
「無駄話してんなよ」
「あぁ、すまん。いつでも撃ってくれ」
応じて殷は刀を構え直し、1度グルリと首を回す。ヘンテコな雰囲気が場を包んだ。
‘いつでも撃ってくれ’?もしやこの男、発射された弾を斬る気か?チンピラ連中も上も盛大な疑問符を浮かべるさなか、彗だけは、キラキラと双眸を輝かせ期待に満ち満ちた眼差し。半身へザクザク刺さる冀望の視線に苦笑いしつつ、9ミリ口径を注視する殷。下唇をチロリと舐めた。
数秒の間。
引き金にかかっている男の指が微かに動く。瞬間、殷は僅かに瞼を細め────
振り下ろすように刀身を奔らせた。