パトロールと不協和音・後
不撓不屈5
「じゃあ別に何でもなかったってこと?」
片眉を曲げ凍奶茶を啜る彗、プラカップに刺さった太めのストローをガジガジ齧る。隣に座る樹もLLサイズの抹茶牛奶を勢いよく吸い込んだ。無限胃袋へ旅立っていく黑糖珍珠の群れ、一路順風。
「バックに何や大っきい組ついとる、っちゅうんでも無いみたいやし。使いっパシりの奴らやっててんな」
テーブルを挟んだ向かい側、胃薬の袋をカサカサやりつつ上が唸る。ソファに座る大地は幸運曲奇の紙をカサカサやった。隣で寛ぐ猫が割れた曲奇の欠片を酒の肴にポリポリ齧る、祝你好運。
騒動から数日後の【東風】。
樹が全員の首を回転させたついでに聞き出した情報は予測通りで、目的はベーシックに誘拐からの人身売買。羽振りの良い買い取り先と繋がっているとのことだったのでそちらの名前も頂戴したが、上が調べてみたところ実態のない架空の組織。けれど一介のチンピラが命を賭けてまで虚偽の情報を吐くとも考えづらい…ということはハナから偽のグループ名を教えられていた可能性が濃厚。よくあるパターン。
襲撃者達は、商品を道端で追いかけ回したり樹の介入に慌てて撃ってきたりと仕事に関して手際が良いとも手慣れているとも評せない連中だった。単純に小金を欲していたゴロツキが駒にされたのだろう。気になるとすればその‘羽振りの良い買い取り先’についてだけれど。
「まぁ香港でも澳門でもぎょーさんあるからな、そんなん。最近活発になっとるチームがおるかも知らんけど。九龍の人拐いやってこれで収まるわけちゃうやろし、ちょぉ様子見とくわ」
頻発する一連の誘拐は、その規模からして全て先頃の半グレ達の仕業ということはないはずだ。胃薬を白湯で流し込み上はタンッと湯呑みを置く。大地が知り合いの少女を救ったことについて、褒めてやりたい気持ちと消えない心配とがせめぎあい、悩める兄の膨らむ心労は胃袋へとドシドシ溜まっていた。
…割には一向に痩せないな?と彗は疑問を抱いたものの、ストレスで太るタイプなのかと結論づけて大地へ視線を飛ばす。大地もまばたきで呼応。上の体型についての目配せではない、‘少年探偵団’の活動についてだ。姐姐には話を通すとしても…上にはやっぱり言わずにおくか。思いつつ樹を見やる彗。
「てか樹、毎回ホイホイ弾避けるのね。チートじゃん」
「ん?んー…ホイホイでもないけど…チートでもないよ。猫だって斬ってたし」
「はぁ!?」
「やめろ、それこそたまたまだわ」
樹の言に、彗は猫へグリンと顔を向けた。城主は紹興酒の瓶を傾け不機嫌なトーン。
「ありゃ撃つってわかってたし、それなりに間があったからやれただけだ。じゃなきゃさすがに出来ねぇよ」
尾と十の一件で東を──不本意にも──護った際。正面に居た男の発砲するモーションがかなり早い段階で見えていた、だから割り込んでガードが可能だったに過ぎない。条件揃えやぁ殷とかもイケんじゃねぇの?そう気怠げに呟き酒を呷る。彗がふぅんと唇を窄めた、ご機嫌斜め。
「とにかくな、昼間やからとか人通りあるとこやからとかで安心出来やんから。俺ももっと気ぃ張っとくしみんなも頼むわ」
「別に饅頭は引っ込んでていいわよ。学校の方には大体彗が居るもん」
「引っ込んどれ言われて引っ込んどれんのやって饅頭も!心配やねんから!」
「じゃ引っ込んでて雪人」
「アダ名の問題ちゃうねんな!」
ワヤワヤやりだすダルマと妹分。騒がしくなる店内。そんないつものラリーをBGMに、ドリンクを空にしてしまい新たな甘味を求める樹は猫に近寄るとしゃがみ込み、伸されてフミフミされている債務者へ鬼節の余り物の菓子をどの棚にしまったのか淡々と尋ねた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「それで、康がくれた弾が超役に立った!マジでありがと!」
明くる日。何日か振りに寺子屋へ姿を見せた康へ向け、両手を合わせる大地。母親の体調が芳しくなく看病をしていたという康は些かやつれた様子で、大地は樹にわけてもらった鬼節限定スイーツの小袋を渡し‘お母さんと食べて’と感謝の念を伝える。
「あ…じゃ、じゃあ僕も、またなにか持ってくる…」
「駄目だよ!お返しが終わんなくなっちゃうじゃん!それより」
康の返礼ラッシュを躱しサッサと話題を切り替えた大地は、チンピラが口走っていた言葉について相談。‘他の連中の事も拠点の事も聞いた’はフカシ───だが、‘お前この辺嗅ぎ回ってるガキだろ’というのは当てずっぽうで出てくる台詞にしては核心を突いている。本当に知っていたのでは?噂が広まってしまったのかも。
「康には迷惑かかんないはずだけど。一応注意しといて」
「う、うん。えと…でも、よく嘘だってわかったね…」
「ん?アジトとかのこと?だって俺達、捕まったって殴られたってみんなのこと喋ったり絶対しないもん」
さも当然といった態度の大地へ、そっかと頷き俯く康。丸まる背中に不安げな雰囲気と戸惑いの気色を認めた大地はキュッと康の手を握る。
「康もさ、もし何かあったらすぐ話して。そしたらソッコー助けに行くから。ね?」
小指を立てて指切りを促した。康は縮こまったままチロリと大地を見ると、目蓋を伏せてあげてを数回繰り返す。それでも変わらない大地の眼差しに、ようやく嬉しそうにはにかんで、そっと小指と小指を絡めた。
午後の授業を終えて。
母親のもとへせかせかと帰宅する康を見送り、大地と彗は寺子屋周りを散歩。先日の事件以来これといって問題は起こらず周囲は平穏。探偵達を労う藍漣からの小遣いを携え、樹に教えてもらったB級グルメをつまみ歩く。牛肉球の串を銜えた彗が大きく伸びをした。
「平和ね平和、今日もトラブル無ぁし」
「良いことじゃん」
「良いことだけどぉ…彗も犯人見つけたらボッコボコにしてやるつもりだったのにぃ…ったく、彗が居ない時に限って出てきちゃってさぁ!」
大地の意見へ同調しつつ、されど悔しそうな面持ちで伸ばした腕をブンブン回す。‘樹にも猫にも負けたくない’と書いてあるフキダシが頭上に浮いているのが見て取れて大地は笑ったが───突如として生じた違和感に、思考が囚われた。
明確に理解している訳ではなく。ただ、何かが何となく引っ掛かった。どこが引っ掛かったのかも定かではない。何がおかしかった?今?その正体を探るより早く耳に届いた魚蛋も食べよう!との彗の誘い。意識をそちらへ割き、再び笑顔を返す大地。
湿度を含み纏わりつく城砦の空気。ベタつく風が撫でていった指先に、ほんのわずか、ピリッとした痺れが走った。