パトロールと不協和音・前
不撓不屈4
長安街は天井が低い。
道幅の圧迫感ゆえ人々の往来は尠少。しかしそもそも区画に軒を連ねるのは個人の食品工場群なので、大仰な賑わいが求められる通りでもない。
だが見落とせないのは申し訳程度のスペースを利用して工場に併設された、余り物を格安で投げ売る屋台や菓子屋の存在。ひっそりと営業しているそれらを覗けば廉価で美味しいツマミが山程手に入る。イチオシは叉焼を挟んだホカホカの叉焼包、城外の市場でも人気沸騰のスペシャリテ。
「樹よく知ってるね」
「老豆に教えてもらった」
「あ!その叉焼、陳さんの友達が黃大仙で売ってるんだっけ!5回捕まっちゃった人」
「5回はカッコ悪いから内緒みたい」
「そうなの?不屈のチャレンジ精神、カッコいいけどなぁ。收到收到」
竹串にコロコロ刺さった魚蛋をパクつき路地裏を歩く大地と樹。本日、彗は藍漣の用事について行くとのことで授業に参加しておらず、放課後散歩にはB級グルメに目が無い食道楽が代打でやって来た。康も教室へ顔を見せなかったけれど、九龍城においての寺子屋は在籍も出席も欠席も一切が自由。学びたい者が学べる時に学んでゆくスタイルだ、教会の主催であるため礼拝にだけ訪れたって構わない。慈愛の心、アーメン。
頭上を覆う金網や弛んで絡まる配線を躱し、破損した水道管のせいで点在する濁った水溜りを避けて歩を進める。
樹は周辺を見回した。狭い。子供や小柄な人間が通るのにはさほど問題無いが、大人や大柄な人物には不便だし勝手が悪いだろう。だから教会側も寺子屋にする物件を安く借りられたのか…そして東がこの近辺へあまり足を運ばないのもわかる…あの身長では頭がぶつかりまくってしまう。されど上を見ていたら水に突っ込み靴がシャバシャバになり、下を見ていたら垂れさがった電気ケーブルでうっかり感電する。打つ手無し。とはいえ、来ない1番の理由は長安街に薬屋が無いからなのは確認済みなんだけど───あ、そういえば。
「彗から微信きてた、‘学校の近くならこのタピオカ好飲’って。大地場所わかる?」
携帯を開く樹。壁紙は【東風】の祭壇、そこにうっすらと写り込む3本の腕に大地が注目。
「これさ、きっとグーパンチが宗だよね!親指と小指立ててるのは綠かな?手ぇ振ってるのは誰だろ」
言われて樹はスクリーンを凝視。確かにそうっぽい。なるほど、東へ送る絵文字が勝手にグーパンに変わる謎が解けた。手を振っているのはきっと辰だ。納得しながら画面をスワイプ。彗から転送された写真を表示すれば、店名を了解した大地は‘そこ最近お気に入りなんだ’と笑い、颯爽と道案内を開始。再びのんびりと路地を進む2人。
店舗は閑静といえば閑静、物寂しいといえば物寂しい街路の片隅にあった。素朴な門構えに反しメニュー表はゴッテゴテ、お茶やトッピングの種類がやたらと豊富。品書きと延々睨めっこする樹を店外で待ちつつ、穏やかな風景を眺める大地。
どの茶葉かだけでも迷うのに牛奶入れるかも悩むし。味付けも黒糖か蜂蜜かガムシロか決めなきゃだし。具だって珍珠に仙草ゼリーにフルーツに、とにかく選択肢が多い。前にオーダーしたとき俺ここでも彗に‘呪文?’てゆわれたっけ。思い出してクスリとするその視界の端、T字路のどんつきでふいに小ぶりな影が揺れ、大地は何気なく首を向けた。
あれは…この近所で偶に見掛ける、歳下の女の子。教会が後ろ盾の保護施設で暮らしている。数回しか話したためしはないが───様子が変だ。切羽詰まった必死の形相。ほんの一瞬で通り過ぎてしまったものの、不審な気配を感じ取り、大地は少女を追って道の奥へと駆けた。
「待って!どうしたの?」
角を曲がってほどなく、息を切らせる背中に追い付き手を伸ばす。少女はキャッと悲鳴をあげ脅えた態度で振り返るも、見知った相手に安心したのか、しゃがみ込み泣きじゃくり始めた。
状況が掴めない。大地も隣に膝をついて彼女を宥め、再度どうしたのかと問おうとし───後方から聞こえた砂利を踏む音に身体を翻す。視線の先には、こちらを睨む明らかに友好的で無さそうなチンピラ2名。腕を広げて少女を庇い、同時に、男達から発せられた‘売物が増えた’という台詞へ即座に思考を巡らせた。
人拐い?ここはそんなに危ないエリアじゃあないはずだけど。しかも白昼堂々と?でも、子供を攫うなら昼間がいいのかな…油断してウロウロしてるから。夜にはみんな家に帰っちゃうもんね…無闇に得心する大地を男達は指差し、ボソボソと何か相談している。訝しむ大地へ高圧的な声音。
「お前、最近この辺嗅ぎ回ってるガキだろ。仲間捕まえてるから大人しく来いよ」
大地の表情が強張った。
え?なんでバレてる?派手に動いてはいないのに、ていうか、仲間って誰だ。焦る大地へ男は‘他の連中の事も拠点の事もその仲間に聞いた’と畳み掛ける。が、それを耳にした途端、大地は落ち着きを取り戻すと安堵の溜め息。呆れ顔で少し笑み、ポケットからパチンコを取り出してゴムを引き、構えた。言った。
「嘘でしょ。そんなふうにみんなの情報ペラペラ喋る人、俺達の仲間にいないもん」
カマかけに失敗したと気付いたチンピラ達が舌打ちし距離を詰める。すぐさまゴムを離す大地、発射される小さな鉛玉、康に貰った禮物。
どこでもいい。当たればいい。そう考え撃った弾は上手い具合に片方の男の顔面を捉え、大地は立て続けに2発目を放つ。連れの男も足を止めた。それは数秒の尺稼ぎだったものの───樹が通路を走り抜けこちらへ到着するには充分過ぎる時間だった。
一足飛びで移動してきた樹はその勢いのままゴロツキ共に足払いをかけ地べたへ転がす。1人の鳩尾を蹴りつけ1人の顔面を踏みつけた。ペキペキ折れる肋と鼻骨、ガサッと鳴る手提げビニール袋、‘珍珠奶茶’の印字。
と、破裂音と共に飛来した何かが真横のコンクリートにメリ込んだ。9ミリパラベラム。上方からの発砲…樹は手提げを大地へ預けて耳打ちする。
「大地、その子連れて避難してて。タピオカ飲んでいーから」
言いながら、這いつくばって喚いているチンピラ達の頭を鷲掴み首を180度回転させた。襲ってきた目的はスタンダードに人身売買が濃厚か?まぁ仔細は残りモノに訊けば済む、まずは大地達へ被害が及ばないことが最優先。頷く大地を横目に樹は外壁を駆け登り手近なルーフトップへ。隠れもせず大胆に全身を晒して誘えば、思惑通り再度銃声。真後ろのビル。場所を知らせてくれるのはありがたい───お礼に振り向きざま適当な瓦礫を拾いあげてそちらへ投げると、窓に当たりガラスが砕け人影がサッと隠れた。あいつか。他にも数人固まっている。樹は軽い助走で割れた窓枠へ向かって跳躍すると、吸い込まれるように建物の中へと消えた。