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九龍懐古  作者: カロン
不撓不屈
432/492

蛋撻と葡撻

不撓不屈2






始まりは宋時代に遡る。


かつてここ一帯(いったい)には数多(あまた)の香木が生えており、それを輸出する港が香港仔に開かれた。香港という地名も‘香木が集まる港’の意から命名したとされる説が最も有力。

付近の海域に現れ治安を脅かす海賊への対抗策の砦として九龍烽火台を設置。軍事要塞を作るも、その(のち)阿片戦争やアロー戦争の影響や北京条約により九龍半島は割譲。清国領内でありながら英国領に取り込まれる。しかし辛亥革命に端を発して中華民国が樹立し清朝は滅亡…九龍城の施設管理は英国と中華民国の互いの抗議で実現できず膠着状態に陥り…日本軍の占領によって管理交渉は中断…中国内戦も激化、難民が雪崩込みバラックが建ち始め、過度な居住人口から人々は次第に無計画な増築を重ね巨大なスラムが出来上がっていき────






「ふぁ…」


昼食を終えて午後の授業。机に頬杖をつく(スイ)は、手の平で口元を隠し欠伸を噛み殺した。眠い。お腹が膨れたあとの歴史の話は特に。嫌いじゃないけど、いかんせん眠気が(まさ)る。とはいえ朝イチも朝イチでキツい…2限目くらいが妥当なのかしら…?どうでもいいことを考えつつ、うつらうつらしていると───斜向(はすむか)いの席から大地(ダイチ)が机上へコソッと何かを投げてきた。丸まったノートの切れっ(ぱし)。広げると‘帰りに蛋撻(エッグタルト)屋へ行こう!’と走り書き。(スイ)は指先でハートを作って返事をし、メモを丸め直して後ろの席の(コウ)へと肩越しにパス。少しすれば、コンコンと天板を小さく叩く音。OK啦。(スイ)は重い瞼をどうにか開き、どのタルトを買うか頭を働かせて眠気を飛ばし終業の合図を待った。




大地(ダイチ)、お昼食べたばっかなのによくお腹に入るわね」

「デザートは別腹!(イツキ)も言ってるじゃん!」

(イツキ)は規格外でしょ。(スイ)はテイクアウェイしよっかなぁ、姐姐(ジェジェ)のぶんも」

「今日はデートしてるんだっけ」

「そー!マジ腹立つあのモサメガネ!」


放課後になり、雑談を交わしながら裏路地を進む(スイ)大地(ダイチ)。その後ろを黙ってついてくる人影に大地(ダイチ)は振り返る。


(コウ)はどうする?」

「ん…僕は、何でもいいです…」

「じゃあ食べ歩こっか!ね!」


言うが早いか、大地(ダイチ)は控え目な笑顔を見せる(コウ)の手を引き駆け出した。次の角を曲がれば店はすぐそこ。そのまま走って店頭のショーケースまで辿り着き、焼き立てホカホカのタルトを覗き込む。

ビスケット生地の香港式とパイ生地のマカオ式、前者はイギリス風で後者はポルトガル風。昨今の流行であるベイクハウスの種類はパイ。この店のものはカスタード部分にシュガーやココアパウダーで様々なイラストが描かれていて可愛らしい。ゆっくり歩いてきた(スイ)大地(ダイチ)の隣に顔を並べる。


「生地だけでも迷っちゃうのに、トッピングも柄もたくさんあるのね」

「俺もう決めた!唔該(すいません)、農場牛乳牛油皮の蛋撻に唂咕粉を大熊貓にして港式茶餐廳奶茶つけて下さい!奶茶は凍の走糖で!」

「は?呪文?」


大地(ダイチ)の注文に(スイ)が眉を曲げる横で、(コウ)がおずおずと財布を出した。


「あの、僕が…みんなのも買うから…」


中から小銭やドル札を取ろうとする手を大地(ダイチ)が急いで制止。


「や、自分のは自分で買うよ」

「だって…誘ってもらったし…」

「誘うのは別に普通でしょ」

「アンタいつもお金払おうとするじゃない」


ハンッと鼻を鳴らす(スイ)が腕組み。それから口角を吊り、満を持した様子で放つ。


「ってゆーか。今日は(スイ)が奢ったげる」


このところ、(スイ)(イツキ)から振られる‘何でも屋’の案件を少々手伝っていた。といっても黒い仕事はもちろんナシ。瑪理(マリ)一件(いっけん)の際に街を駆け回る姿を見た(イツキ)が‘いつまでも姐姐(ジェジェ)におんぶに抱っこという訳にもいかない’とボヤく(スイ)普通(・・)の郵便配達や住民の依頼を回すようにしたのだ。加えて(タクミ)もクラブや音楽イベントでのスタッフ不足時に声を掛けてくれるようになり、(スイ)はちょこちょこと入ってくる収入を生活費へと充てているらしい。


「こないだ富裕層(アッパー)エリアの近くでやったフェスのバイト行ったらさ、けっこうお給料貰えたのよね。だからタルトくらい買ったげる」


(スイ)が1番大家姐(おねえさん)だから’と得意顔。(コウ)は瞳を白黒させた。


「え、そ、そしたらいらないです…僕、食べない…」

「はぁ!?せっかく(スイ)が買うつってんだから食べなさいよ!」

「じ、自分のぶんは自分で買う、って…さっき大地(ダイチ)も言ってた…」

「これはそういうことじゃないの、わかんないヤツねアンタ!香港式生地でいい?いいわよね!」


捲し立て、レジへ進む(スイ)。背中を見送った大地(ダイチ)が縮こまる(コウ)の耳元へ口を寄せる。


「こーゆー時はさ、カッコつけたいってことだから奢ってもらったほうがいーんだよ」

「でも…申し訳ない…」

「じゃ後で(スイ)にタピオカティー買お?俺と割り勘で」


悪戯にウインク。戸惑いつつ頷く(コウ)は、それでもまだ視線を彷徨わせている。


(コウ)は長安街に校舎が出来てから寺子屋へ通い始めた同年代の少年だ。大地(ダイチ)(スイ)が新しい教室を偵察に来た(おり)、たまたま一緒に講義を受けたのがきっかけで仲良くなった。

富裕層地域寄りに母親と住んでいるとのことで、家計にそれなりの余裕があるのか、どうにも逐一(ちくいち)お菓子やら何やらを奢ってくれようとする傾向にある。今までに‘友達’といったカテゴリの人間が周囲におらず、プレゼント(これ)以外での親交の深め方がよくわからない模様。‘特別なことはしなくていい’と毎回説明する大地(ダイチ)にもオドオドするばかりで、貰い物には常に5倍返し。先日にも(カムラ)がいくつか入手してきたキーホルダー──ハギハギのリミテッドエディションやで──をお裾分けしたら、返礼品でやたらと値の張るパチンコを買ってこようとオモチャ屋へ向かっていくのを引き止めるのに苦労した。その姿を見た(スイ)が‘(スイ)天仔(てんちゃん)キーホルダーあげる’と提案するのを躊躇(ためら)ったほどだ。


「タピオカ飲んだら暗くなんないうちに帰んないとなぁ、(カムラ)がウルサイもん。(コウ)はお母さん気にしてない?」

「あ、えっと…」

「人(さら)いのことぉ?そんなんずっとあるじゃん、九龍城(ここ)では。姐姐(ジェジェ)も気にしてくれてるけどね」


答え(あぐ)ねる(コウ)に、蛋撻(タルト)を手に入れ戻ってきた(スイ)が発言をかぶせ唇を尖らせる。少し前から子供の急な失踪が多発しており、まぁ城砦での誘拐事件など日常茶飯事なものの以前巻き込まれかけたことのある大地(ダイチ)(カムラ)は連日胃が裂けるほど心配し、(イツキ)は胃が裂けたら(カムラ)がご飯を食べられなくなると心配していた。


「変なのが絡んできたらブッ飛ばして倒せばいいだけでしょ」

「そりゃ(スイ)は強いからそうだけどさ。やっぱ俺も威力のおっきいパチンコ買おっかな?護身用で」

「じゃ、じゃあ僕が買ってきます。前に買おうとしたし」

「「(コウ)は買わなくていいの!」」


ピシャッと重なる(スイ)大地(ダイチ)の声。(コウ)は再び瞳を白黒させ、2人の顔を見比べ慌てて首をブンブン縦に振った。

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