答え合わせと虹色糖果
待宵暁鴉14
騒動から数夜明けて。
日中の熱気もやわらぎ、心地よい風がそよぐ晩方。香港側での住居と仕事先を準備し終えて九龍を出ることとなった楓に、最後の身支度を済ませるあいだ託児所へ預けていた晴のお迎えと城壁外までの道中を付き添う猫。
晴は児童保護施設を運営するジジィ──元【酔蝶】オーナー──の手助けを借りて安全な環境で育てる運びに。やはり母親は戻らなかったが、晴も幼心に諸事情を理解しているようで、楓は‘時間をかけてゆっくりケアしてあげたい’とバツが悪そうに微笑む。
大団円とはいかなかったものの、落とし所として及第点は得られたか。猫は内心でそんな評価をしつつ、道すがら、詳細をかいつまんで伝えていた一連の出来事について楓とポツポツ駄弁る。これからのプランや生活費等の枝葉的な部分へ話題が逸れた折───ふと楓が疑問を投げかけた。
「晴の親の件でお金残してくれた男の子、なんて名前?」
鐶に預かった金は楓へ全額譲渡した。‘貰えない’と断る楓を‘気持ちを汲んでやれ、晴の為にも’と説得し半ば無理矢理持たせた形。その際に名を挙げはしなかったけれど、特に隠すようなことでもない。猫が‘鐶’と答えれば楓はハッとした表情。
「じゃあ、その子も…死んじゃったもんね」
落ち込む声音に猫は疑問符。界隈の噂ではそういう事になっているのか?鐶はそれなりのスカウトだ、花街に既知の女がそこそこの数存在する。姿を見かけなくなりどこかから蜚語が回ったか。脳内で物語を繋げる猫の横、沈んだ声音のまま楓がこぼす。
「大興樓の近くで見付かった子でしょ…?身体、グチャグチャで…酷かったって。顔がかろうじてわかるくらいで」
その科白に猫は僅かに目を見開いた。
「死体見たのか?」
若干喫驚したトーンになったが、楓は現場の惨状に対してのリアクションだと案じた様子で気まずそうな面持ち。
「私は見てないけど。知り合いだったって人から聞いたよ、なんか、どっかの組とお金でトラブル起こして…鐶って子だってゆってたと思う…」
つまり、状況を整理すると───あのあと。船に乗り込めと指示を出したあと、鐶は真っ直ぐ港へ向かわず他の組のアジトへ寄ったのだ。金銭を持ち出す名目で。
家に隠されていた額は確かにやたらと多かった。余剰分などでは絶対にない、ほぼ全財産だったのだろう。それはタイルを剥がし札束を目にした時点で猫も理解っていた。
いや、さりとて、いくら先立つモノが手元にないからとそんな無茶をするか?渦中に再び自ら飛び込むなんて?どうなるかは目に見えていたはずだ。
「仲良かったって娘達、けっこう落ち込んでた。水圍二巷あたりでの喧嘩も鐶くんがやったみたい、だから余計に揉めちゃって…」
楓が続けた言葉に猫は押し黙る。
推測になるが───鐶は、このまま老鼠が消えては無関係の人間が追い込みに合う可能性もある、ならば仕留められるのが1番丸く収まる方法だと考えたのでは。そして、そのついでに水圍二巷での抗争の件も自分の所業としてカブった。花街の女達や俺達に迷惑をかけないために。後始末は手前でつけた、ということ。
鐶がフッかけに行ったグループがどこだかは定かでなかったが、全合圖や興利街のチンピラが揃えていたカードのうちのどれかのはず。であれば、ほどなく──あるいは既に──そいつらも九龍灣の藻屑。やるべきことはもはや別に無かった。
「…そうかよ…」
打った相槌が殊のほか掠れた。晴の養育費を受け取ったことに対しても益々気まずそうな楓に、猫は‘仕方ねぇ’と普段通りの口調で返して煙草を銜える。楓にも1本寄越すと、話題の焦点をずらし、ポポッと煙を流しながら残りの道程をノロノロ歩いた。
晴を拾って、城砦外側の大通り。手配したらしき的士と共に燈瑩が待っていた。市内への運賃も支払い済みなのだろう、気の利く男。察した楓が申し訳なさげに礼を述べる。
猫は花柄のてるてる坊主を晴へと贈る。部屋に遊びに来るたび、物欲しげにチラチラ見ていた露台の掃晴娘。制作者である老人会のお婆もプレゼントに大賛成。晴は人形を嬉しそうにポケットへしまうと、代わりに鞄から何かを取り出した。蓋の部分に愛らしい猫が1匹描かれた木造りの箱。‘お礼に選んだんだよね’と楓が促せば、晴は猫へとおずおず両手で差し出す。中に詰まったカラフルな糖果、‘とーえーと食べて’とあどけない声。
「随分イイもんくれるな。釣りがでちまう」
屈み込んで感謝を告げる猫が‘今度また菓子でもやるよ’と頬を弛めると、晴も小さく笑顔を見せた。
遠ざかる的士が視界に映らなくなった後、未だ街路を眺めたまま、猫はついさっき伝聞した鐶の最期を燈瑩へ手短に語った。アイツも自分のケツは自分で持った、そんなところまでマネをしなくたって良かったのにと吐き捨て薄く笑う猫の隣で、燈瑩は何も言わず晴から貰った飴玉をひとつ口へ含む。
「まぁ、結局想像だから。鐶の本音はわかんねぇけど。お前には色々余計な手間かけさしただけだったな、悪ぃ」
ことさら軽いニュアンスで言って、猫は踵を返し城砦へ足を向け歩き出す。その背を燈瑩が呼んだ。
「猫」
「ん?」
振り返る動作に合わせて揺れる金色のポニーテール。燈瑩はそれを見やり、クスッとすると肩を竦めた。
「なんでもない」
「はぁ?そーゆー焦らしプレイは女とやれや。とっとと言え」
「忘れちゃった」
───なんでもない。忘れちゃった。
記憶の隅、聞き覚えのある文言。猫は眉根を顰めた。
「…同じことぬかしやがってテメェら…」
怪訝な形相で呟くと、キョトンとしている燈瑩へズカズカ近付き胸ぐらを掴む。どうして同様の文句を燈瑩が口走ったのかはわからないが、とにかく、そのフレーズには続きがあったはずだ。
「言えよ」
「なにもないって」
「忘れたんだろ?思い出せ」
「ほんとに呼んだだけ」
にこやかな返事に混じる当惑の色。猫は燈瑩へ凄む、が、いくら押し問答をしたとて反応は変わらないように感じた。どうやら‘忘れた’は軽口で、‘呼んだだけ’が本当に本音なんだろう。他意あらず。
───親父も。俺を呼んだ時微笑っていた。途切れた先を求めはしないが、興味がないと断ずれば嘘になる。けれど。
「………あっそぉ」
無かったのかもな、続きなんて。
ただ呼んで、ただ応えた。それで充分だったのかも。猫は燈瑩の襟を握っていた手を離し胸元を殴った。
「痛っ」
「嘘つけ、痛くねぇだろ」
「痛いって。アバラ折れた」
「ウゼぇヤクザだな…当たり屋かよ…んじゃ慰謝料でP3抜くか、東にツケて。薬屋開くらしいから」
「え、そうなんだ?マトモな店?」
「表向きは。【宵城】帰ったら東の奢りで開店の前祝いしようぜ」
「讚」
「决定」
間髪入れず東へ誘いの微信。‘奢り’の文字に浮かれたレスがすぐについたが、‘誰の’かが判明すると途端に連打で送信されてくるベソをかく眼鏡のGIF。来ようが来まいが伝票はたつ。奴に選択肢は無い。猫は既読をせずトークルームごと消去して、虹色の糖果を囓ると、うるさい着信が入る前に携帯の電源を落とした。