偶々とヒマラヤン・前
待宵暁鴉12
「で、こいつはお近付きの印にってこった」
暮夜。水圍二巷。
壁が剥がれてボロさが目立つ建物の地上階。簡素だがそれなりの広さの部屋で、草臥れたソファへ腰を沈めつつ土産のボトルと錠剤をローテーブルへと置く猫。並んで尻を落ち着けている出資者が‘もう開けて飲んじゃおうよ’と笑う。
招き入れはしたもののまだ訝しげにこちらを見ている半グレ共、片手では足りないが両手では余るくらい。1人で──眼鏡は喧嘩では役に立たないので──やってもいいが…多少話したい事もある、燈瑩が船の準備を終えて来るまで待つか…猫はバックレストへ背を預ける。
【宵城】で泡物を抜いたのち引っ張り出したブランデーを‘それは持って行こう’と東が言い、クスリをいくらかくっつけお宅訪問の手土産にした。土産と口八丁でエントランスはパス、薬物関係の仕事の話をしにきたという東の挨拶は傍から聞いていてもよく出来ており疑う余地は無し。安定のペテン師。
ジャンクな会話の合間、いくらか気を許した様子のチンピラ達も何やら酒を勧めてくる。パッと見はウィスキーのロック。ひとくち啜った東が瞼を細め、数秒口に溜めて味わう素振り…それから一気に飲み干した。猫に振り向き首を傾ける。
「ブランデーまだあるなら、ウィスキー俺がいただこうか?すげぇ旨いから」
その言葉に、猫はグラスに残ったブランデーを喉へ流しウィスキーへと手を付けた。
「出された酒は貰うのが礼儀っつーモンだ。お前はお代わりおねだりしろよ」
旨いとは、混ぜ物が入っているという意味。ニュアンスからして某かのドラッグ…サービスだかトラップだか知らないが。どちらにせよ東が呷るなら毒ではない。普段の暮らしぶりはさておき、そういった面ではコイツは信用に値する。わかったと頷く東は調子よくおかわりを頂戴してまたそれもペロッといった。この眼鏡、薬も酒もかなりザル。
適当な頃合いで、花街をチョロついていた老鼠のネタを振る。アイツにはほとほと困っていた、どこのチームかわからないが捕まえてくれて感謝してるとオーバーリアクションで述べる東に半グレ連中はどこか自慢気。東は続けて自然にワザとらしく問う。
「あら、もしかしてオタクらがやってくれたのかしら」
「たまたまな。そこらじゅうウロつき回って鬱陶しかったからよ、女もなかなか連れて来ねぇし」
向かいに座るリーダー風の男が返答。聞くにこいつら、ドラッグのルートが思うように開拓出来ず、新事業にも手を広げていた様子。猫が口を開く。
「上手くいってんのか?人身売買は」
「ボチボチだな、アイツも情報は持ってくるけど女はほとんど持ってこねぇから拐う手間がかかっちまって。子持ちならガキもトバせつってんのに置いてきやがるし」
「…あそぉ。んじゃーあんま使えなかったっつう訳だ、その老鼠は。もう殺ったのかよ」
「いや、次の人身売買で一緒に売っ払っちまおうと思って海濱道の倉庫にしまってある。殺るよかはちっとでも金になるだろ」
海濱道。すぐそばの海沿い、この水圍二巷と同区域。そうかと短く了解する猫の横で‘薬もそのへんにしまってんの?’と東、架空のビジネスの構想をツラツラ乗せる。よく舌が回る詐欺師。リーダーの回答は係。
さて…用事は済んだ。酒も質問ももう空だ。あとは燈瑩がとっとと来れば───と、真後ろでタイミングよく開いた入り口の扉。猫はバックレストに凭れたまま仰向けに首を反らせた。上から覗き込んできた燈瑩へ渋面。
「遅過ぎんだろ燈瑩、ちょうど良かったけど。終わった?」
「どっちよ。終わった、そっちは?」
「終わった」
燈瑩が仲間だとはわかっているが話の内容はわかっていない半グレが、説明を求めるような雰囲気を醸す。猫は首を正面に戻し部屋を見渡した。ハンッと鼻を鳴らし足を組む。
「おい、倉庫の鍵持ってんのどいつだ?とっとと寄越せ」
顎で指図する仕草。横柄な態度、輪をかけて横柄。男達が‘何を言いだすのか’とキレ気味にがなる。心底煩わしそうに返す猫。
「トレジャーハントが面倒じゃねぇか」
言葉が終わった時には既にふたつほどの銃声、次いでソファから蹴落とされ床に転がる東の悲鳴が室内に響いていた。
男が発砲音に気を取られた一瞬の隙に、眼前にはローテーブルの上でしゃがみ込んだ猫の顔。少し血が跳ねた金色のポニーテールが揺れる。血が跳ねた?男の脳内で生まれた疑問を遮り、両脇で出来上がっている噴水より勢いよくふきだした赤い液体がフロアに降り注いだ。
「やっぱお前が持ってんの?リーダー面してんもんなぁ」
ニタリと笑む閻魔。慌ててキョロキョロ周囲を確認する男の視界には地べたに倒れる仲間の死体、首を掻っ捌かれたものとデコに穴があいたもの、合わせてよっつ。部屋の奥に居た残りの2人が焦ってピストルを構えた。薄く硝煙を立ち昇らせている燈瑩のベレッタと射線が重なる。猫は男の髪を引っ掴んで、血塗れの脇差しを首筋にあてた。
「早く出せよ、鍵。後ろの奴のポッケか?それとも死体のか?」
人質というつもりでは全く無かったが、それを見た仲間がトリガーに指をかけたまま躊躇した。誰も動かず暫しの沈黙───を破る、気の抜けた‘いってぇ’という声。
「猫にゃんなんで蹴っ飛ばすのよぉ…」
言いながらモサモサ起き上がった東に燈瑩が顔を向ける。好機と捉えて引き金を絞りかけた1人の鼻っ面が、それより早くパンッという音と共に弾けた。崩折れる身体へ見向きもせず照準を隣の1人へ合わせ直した燈瑩は、パーカーの埃を払う東へ溜め息。
「邪魔だからでしょ。なんで起きてくんの」
「そんな冷たい言い草あるぅ!?」
「ちげぇよ、親切心。危ねぇからどけてやったんだわ感謝しろ」
「嘘でもちょっと嬉しい」
てゆーか、とズリ落ちた眼鏡を整えて胸元のドックタグを指差す東。
「俺ピッキング出来るよ、鍵無くても。道具あるし」
「あぁ?早く言えや薬中」
んじゃあコイツらにゃ用ねぇなと猫が肩を竦めるのと同時に、再度燈瑩のベレッタが吠えた。瞬く間に味方が全滅し取り残されたリーダーは視線を泳がせる。
「お前ら…何の恨みがあって…」
「ねぇよ別に。テメェらは売り飛ばした人間に恨みあったのか?同じだわ。要するに───」
花街のイザコザ。薬物。人身売買。全合圖。シマの奪い合い。老鼠捕り。各々ドローしたカードはランダム、そして出来た役をオープンした…それだけ。要するに。
「───たまたまだよ」
平坦な猫の声と共に、脇差しの刃先が、男の喉元をスルリと滑った。