老鼠と黄猫
待宵暁鴉11
老鼠を捕まえた。
酔った席での与太話。与太を耳にした女は東が通う飲み屋の嬢、偶然居合わせた席であがった話題。口を滑らせた泥酔客をそれとなく誘導し、‘ネズミ捕り’をしたチーム名を上手い具合に引き出してくれた。客自体はそのグループのメンバーではなく、城砦によくいるチンピラの1人。大陸側の人間の動向を窺っているうちにフンワリと流れてきた情報が本。猫はすぐさま、新規にドローしたカードと手元にあるカードを照らし合わせた。
AA。
「水圍二巷らへんが拠点だと思うのよね」
虎柄の絨毯にゴロゴロ転がる東が言う。他人様の部屋でデカい図体を転がされては非常に鬱陶しいが、知らせを持ってきてくれたのは有り難い。猫は自身もベッドでゴロゴロ転がりつつ白煙を吐いた。
「よく知ってんじゃねぇか眼鏡」
「あそこって、前にちょっと大きめの売人グループが住処にしてたとこなの。海近いから仕入れが楽で。でも香港との取引でミスってメンバーほぼ全員警察にパクられちゃって」
以降空いていたその場所に、なにやら新規のチームが住み着いたとの噂を聞いたと東。窓際に凭れ紙巻きを銜える燈瑩が眉をあげる。
「あれ?そのへんの人達、小規模だけど台灣とドラッグのBUYやってない?」
「あら、そうなの」
「港で最近ちょこちょこ見かける小型船舶がいて。台灣と行き来してるやつで、荷物が薬っぽいんだよね…俺もしっかりは把握してないけど…」
九龍での拠点は水圍二巷じゃなかったかな。言いながら煙をふかす左手には、綺麗に整った包帯。
あの日、楓と晴が帰ったあと。前日の買い物の際、猫に預けた財布を返してもらうのを忘れていた東が【宵城】に顔を出し、‘このままでいい’と断る燈瑩を‘駄目だ’と押し切り傷口をキチンと縫って治療した。以降、逐一経過を気にしてくる藪医者へ患者は終始面倒そうな表情。先程も取れていたまま放っておいた包帯をきっちり巻き直されたうえ、ちゃんと薬を塗れだの傷口を保護しろだの小言をボヤかれた。‘東ただのジャンキーじゃなかったんだな’と猫が感想。
閑話休題。その捕まった老鼠が、恐らく、鐶。
あちらこちらの連中へ良い顔をしていれば、遅かれ早かれそうなる。たまたま件のグループが1番先に痺れを切らしただけ。しかしこの界隈の小チームは小競り合いの真っ最中、潰し合ったり全合圖に飲まれたり、プレイヤーは着々と減っている…そのうち手駒が無くなればテーブルは勝手に静かになるはず。今BETをするのは好手ではなかった。
猫は仰向けで天蓋を見上げる。
例えば俺達が仕掛けてフルモンティにしたとして───相手は後ろ盾も無い小団体、報復もなく諍いはそこで終了。やれないことはない。ないが、正直、得もない。
傍観者に徹して事が終わるのを待てば済むのだ、もしもわざわざ仕掛けるとすれば、その理由は‘鐶を助けに行く’1点のみに絞られる。晴の母親はどのみち還らない、もう1度探すとは告げたが実際それは売り飛ばされたルートを特定するという意味に過ぎないし、事後に周辺を洗えば片が付くことだった。
「どうしよっか?」
燈瑩があまり気の無い調子で訊いた。猫は天蓋を見上げたまま煙をポポッと吐き出す。続けて‘逃がしたければ’との声が聞こえ、首を回して燈瑩へ視線を移した。
「何とかするけど、今日なら」
「手間だろ」
「別に。今夜ちょうど中国から俺の取引先のタンカー来る予定あるし。乗っけて送り返せばとりあえずバレないんじゃない?」
猫は吸い殻を揉み消し起き上がると、黙って枕元の酒瓶を傾けた。
燈瑩はきっと本音では、何もせずに鐶の処理を半グレに任せておけば、花街及び【宵城】周辺の状況は収まりがつきメデタシだと思っている。もちろん口にしないが。そして、その選択肢が正しいと、心胸では自分でも感じている猫がいた。
鐶を逃がしたとてどうなる?燈瑩に面倒をかけさせる意味はあるのか。そもそも九龍の女を売り飛ばしていた輩を助ける必要は?
「まぁ、行ってみようよ。晴ちゃんにも約束したし」
逡巡する猫に笑う燈瑩。真相は判明していないのだから本人に聞けばいい、結果、逃がすにしろ逃さないにしろ───‘60kgくらい増えたって超過料金とらんないしね’と軽口。
「ネズミを取るのが良いネコでしょ」
茶化すように言って口角をあげる燈瑩に猫はフッと笑む。
「わりぃな、燈瑩もガキ2人抱えてんのに」
「子持ちみたいな言い方に聞こえるね」
「はぁ!?どの娘との子供だよ!?」
「東はどういう思考回路してんのほんとに」
燈瑩となんやかんや言い合った後、東は‘で何時に行くの?’と疑問符。暗くなったらかなとの返答にオーケーサイン。猫が怪訝な顔をした。
「あ?テメェも来んのか」
「薬ネタでしょ。蜻蜓の気配がするもん」
「斯芬克斯だったけど」
「蜻蜓だってば」
「同じだろーが」
「こーゆーのは、危なそうなほうが美味しいモンなの。女の子と一緒♪」
「あっそ」
シシッと笑う東をあしらう猫。さりとてこの眼鏡、相手がドラッグ絡みの組織ならば自分がいたほうがスムーズではとの見解もあって同行するのだろう───おこぼれを狙う下心が大部分だとしても。
やはりそういうところも、嫌いではない。猫は唇の端を吊る。
「てゆーかドンパチやっても燈瑩はなるべく左手使わないでよ」
「何その無茶振り、もう縫ったんだからいいじゃん」
「治るまでは俺の患者ですぅ。他のケガにも注意して下さい」
「…ダルっ…」
「ダル!?」
「うるせぇなお前ら、酒でも飲んで静かにしてろ。ラベイ開けてやる」
「猫にゃんは俺にツケる気でしょう!!」
喧しいヤブ医者の叫びを右から左へ流し、猫は時間潰しの1万香港ドルを取りに、スタスタとバックヤードへ向かった。