ジャンケンとストレートアップ・後
待宵暁鴉9
狙撃。
驚いて仰け反った東が水漏れでヌメった地面で足を滑らせひっくり返り、後頭部を強打。猫はもちろん助け起こすことはせず、大の字の東をほっぽったまま手近な階段の陰へ一旦身を隠した。銃弾が飛来した方向を窺う。煙草を入手しお婆は店内へ仕舞ってきた燈瑩が、パッケージの封を切りつつ横へしゃがみ込み状況を尋ねた。
「え?東やられたの?」
「ビビってコケただけ」
唇を曲げ、煙草を1本頂戴する猫。襲撃犯は追撃をしてこない。東を助けに行くのを期待してるのか?怪我をしたり逃げ遅れたヤツを救助に来た仲間を狙うのは鉄則───いや、なら1発目で頭付近は撃たないか…死んだら助けにこねぇもんな…それともなんの意図も無いのか。よくわからん。襲撃自体は動転するようなことでもない、実のところむしろ、アプローチをかけてくるのを待っていた。
燈瑩が目線で位置を問う。猫は顎先で正面の建物を示した。みたところ、今自分達が居るこのビルとは中2階あたりで内部が繋がっているようだ。‘15秒’と言い残して階段を足早に上がっていく燈瑩、猫は遠ざかる靴音を聞きながら銜えた紙巻きへ火を点し、ひとくちふかす。4秒。地べたに仰向けで転がる東と目が合った。‘なんでほっとくんですかぁ’と全面に書いてある顔。7秒。もうひとくちふかした。12秒。そろそろ出るか。おもむろに立ち上がり、物陰を離れ東へ歩み寄ると、再び向かいの建物へ首を向けた。
───15秒。
ガシャァン!と景気の良い音と共に、ガラス片と男が1人、3階の窓から降ってきた。
下に乱雑に捨てられていたゴミ袋の山へと背中より突っ込む男。続けて、割れた窓にヒョコッと覗く燈瑩の姿。襲撃者が射線に現れた猫へ気を取られている隙に後ろから蹴落としたらしい。秒数はキッチリだが手法は雑である。
ゴミ山に近付く猫。転んだ拍子にぶつけた頭をおさえてヨタヨタついてきた東が、男を見て口を開く。
「あら?お前、あの金髪の娘のツレ?」
「んだよ眼鏡の客か。巻き添え喰わすなや、ダリぃな」
東の言へ猫は盛大に舌打ち。東が興利街で女を巡りチンピラと殴り合った末、ご機嫌なツラになっていたことはまだ記憶に新しい。奇妙な方向にねじ曲がっている右腕を左腕で庇いギャアギャア喚くチンピラ。引っ叩いて大人しくさせたりしているうちに、のんびり降りてきた燈瑩も男を覗き込む。
「折れちゃったね。早く病院行ったほうがいいよ」
ニッコリ笑うと、骨折した箇所を庇っている手ごと踏みつけた。響く悲鳴に‘近所迷惑’とハの字眉。早く病院行ったほうがいいとは、とっとと襲撃の理由を話せの意である。内容によっては行き先が病院から空の彼方に変更される可能性も十二分だが。
男は東を見て、お前を狙ったんじゃない、いや狙ったんだけど、など支離滅裂にアワアワ言いだした。纏まりの無い喋り口にベルトのベレッタへ指を伸ばす燈瑩を猫が掌で軽く制す。今日の燈瑩は虫の居所がよくない…運が悪ぃなこのチンピラも…思いながらついた溜め息と、チンピラの‘ターゲットは金髪のアンタ’という声が重なった。
「金髪美人好きってこと?」
「黙れヤクザ」
「巻き添え喰わさないでよねぇ」
「黙れクソ眼鏡」
軽口を叩き合う傍ら聞いたチンピラの事情は、こうだ。
いくらか前。花街をウロついていて知り合ったとある筋に、‘【宵城】店主の近辺を探ってきてくれ’と依頼をされた。頼んできた人物は大陸側の者と付き合いがある女衒、九龍の女を中国に売り払ったりしていると。前金で小銭をもらったチンピラは、自分の彼女──例の金髪美人サン──周りに波紋が広がることも懸念し、こちらから懐に入ればさしあたり身の回りは安泰ではとの打算をもってそいつと結託。‘バックの組織がデカい’と嘯いていたが実際の処はわからない、いくつかのチームを股にかけ方々へ良い顔をしている様子。
的は俺、じゃあ結局‘中’か…猫は不機嫌そうに首を傾けた。
「お前、周り探りてぇっつーだけで何で撃ってきたんだよ」
「…こいつ見たら、ムカついちまって…」
男が東をチラリ。‘俺あれ以来あの娘と遊んでないよ’と眼鏡はあっけらかん、猫は呆れ顔で男へ質問を投げる。
「なんて名乗ってた?その女衒」
「それは、言えな」
「鐶だろ」
言い淀む男の台詞をバッサリ斬った猫に、燈瑩と東が視線を飛ばす。
返答は特段いらなかった。男の表情でわかったので。さしたる意外性も無い、燈瑩の話を耳にして、同じようなモンかと予想は立てていた。立ててはいたが───当たらなければいい、とも考えていた。
まったく…全合圖の拠点移動も一因であるにせよ、転がる時は全てが一気に転がっていく。そしてルーレットよろしく、ウィールを走った話は見事に読み通りのポケットへ。カジノであれば喜ばしいけれど、あいにくここは葡京娯樂場ではない。外れてくれりゃあよかったのにな…猫はひとつ息を吐く。
「鐶ぁ今、行方不明だから。テメェの女には迷惑かかんねぇと思うぜ。鐶が言ってたグループの名前教えろ、俺らが手ぇ打っといてやる」
‘こっちは全合圖とやり取りしてる’と燈瑩が駄目を押すと、パワーバランスを勘定した男はポツポツとチーム名を白状しだした。ひと通り訊いた後、猫はシッシッと手首の先を振り追い払う仕草。
「はい、お疲れサン。帰っていいよ。しばらくどこにもちょっかいかけねーで大人しく暮らせや」
「あら?見逃すんだ。寛大ですねぇ」
「こいつ興利街の奴だろ、近場で殺っちまうと面倒ぇから。この街路も目立つしな」
茶化す東の脛を蹴り、猫はチラホラ野次馬が集まる路地をヒョコヒョコ逃げていく男の背を見やった。と、脛をやられて同じくヒョコヒョコしている東に財布を渡される。
「なんだよ」
「寄るんでしょ、酒屋。湿布代くらいは残してくれると助かりマス」
「あそぉ。善処するわ」
「俺またドンペリのラベイ飲みたいな」
「燈瑩もなかなか遠慮を知らないよね!俺に対しては!」
「そう?遠慮してるつもりなんだけど」
「心配すんな眼鏡、足出たらツケとくから」
「これも!?」
「‘善処’だろ」
雑談の間に、猫は携帯を取り出し鐶との微信画面を開く。表示は変わらず未読。もう1度小さく息を吐いて、絵文字をひとつ送ると、東の財布と共に袖口へと戻した。