ジャンケンとストレートアップ・前
待宵暁鴉8
「包、剪、揼…あ。また東の負けだ」
「ヤダァ!連チャンじゃん俺!」
「剪選び過ぎなんだよ東は」
「まぁ普通は揼だよね、出しがちなのって。なんで剪なの」
「だって平和的でしょ、ピース☆」
「パンチと平手打ちなら目潰しが1番暴力的だろ。いいから酒屋行くぞ酒屋」
「猫にゃん、包剪揼の概念おかしくない?つうか酒屋はマズいマジで!!」
濁った水溜まりに乱反射する午下の日差し。雨ではなく水道管の破損が原因のそれを跨ぎつつ、猫の買い出しに誘われた東と燈瑩は晴れでも湿度の高い城砦をダラダラ歩く。道中はじまった包剪揼のルールは至ってシンプル───‘次に行く店舗の会計を、負けた者が全額負担’。
「てか燈瑩が負けの時は頼むの葛菜茶なのにさぁ、俺には景徳鎮なのズルいよぉ」
「自然の摂理ってやつだわ」
「その前に煙草屋さん寄っていいかな、吸いきっちゃった」
「あっじゃあ酒屋やめて煙草屋に変更しましょぅグッファ」
「とっとと行って来い。待ってっから」
戯れ言をぬかす東に光速で肘鉄をブチ込んだ猫は、斜向かいの煙草屋を指差す燈瑩を見送り路地の壁へと背を凭せ掛ける。結わえていないロングの金髪をかきあげ欠伸。
‘買い出し’と称しはしたが実際ただの散歩。別に目的もない。ここまでで寄ったのは冰室、餅家、涼茶スタンド…【宵城】用の菓子を1000香港ドルほど購入し──た際に店員のオバちゃんに‘靚女さんにはオマケ’とキュートな熊猫曲奇をプラスでもらい、支払っている東と隣に並んでいた燈瑩のどちらと懇ろなのかをソワソワされ──たが、それだけだ。煙草屋店主の老婆と談笑中の燈瑩の後ろ姿を見詰めた。
───やっぱり、大陸側と九龍のゴロツキが組んで煩くしてるみたい。いくつか絡んでるグループがあるけど、全合圖も動いてるし段々静かになるとは思う。俺も手ぇ回しとくから一段落ついたら報告する。
数日前の夜半。‘会長と話をした’と電話を入れてきた燈瑩に淡々と語られた猫は、相槌の合間、何となしに尋ねた。
「そのへんの情報、大老がくれたのか」
「ん?や………芹」
思いがけない名前が、思いがけないトーンで返ってきた。その場は‘わかった’と答えて通話を終え、昨日遅くに改めて受けた着信。‘こっちはある程度片付いた。花街でウロチョロやってるのは別の人間っぽいね’。声音はもはや普段と何ら変わらなかったが、とりあえず明日買い物に付き合えと誘った。
燈瑩にはあまり友達がいない。と評すると誤解を生むがそういうことではなく…容姿や権力や金に人々は飽きもせずいつだってワラワラ群がり、そして燈瑩の場合は群がられ方がちょっと顕著だからだ。そのせいで、交友関係自体は広いものの1人1人との深度は常に浅い。本人が瑣末を気にする質ではない為こちらも言及はしないけれど。
───そんな中でも。芹って奴は、それなりに友達だったはずだ。
‘てかさぁ’という呑気な声が聞こえ、猫は鳩尾をさする東へ意識をうつす。
「社公街の角の酒屋行く?品揃えイイし」
「値段もだいぶイイぞ、あそこ。太っ腹だな眼鏡」
「今日はけっこう手持ちあるからね。いつものとこ行ったって燈瑩楽しくないでしょ」
その科白に、猫は流した前髪の隙間から東を見上げた。東はキョトンと猫を見下ろす。
「わかってたのかよ」
「だって珍しいじゃない、猫が出掛けようって言いだすの。何があったかまではわかんないけど」
「俺も詳しくは訊いてねぇ」
首を傾ける猫、東も‘そっか’と壁に寄りかかり話を切り上げた。特に追求するでもなし。東のこういうところも嫌いじゃない、思いながら猫は燈瑩へ視線を戻す。
もうひとつ、気にかかっている部分がある。先の電話で話題にあがった‘別の人間’。細かに把握していない故アバウトな表現を使ったという見解も定めし正しいが…含みがある物言いにも感ぜられた。裏付けるように、俺もここ何日か、どうも連絡が取れない。
天気が急激に崩れる直前に漂う、あの独特の湿った匂い。立ち込める暗雲の気配が、晴天が続いているはずの九龍で…いかんせん鼻をくすぐっていた。
「まぁ、だからよ。とりあえず東は有り金全部出せや」
「えっ!?‘だから’で繋がるの今の話!?」
「繋がるだろ。大人しく財布渡せ、酒買って余ったらツケの返済に充ててやる」
「返済はもう少し猶予ちょうだいよぉ」
「うっせボケ。おいテメェなに曲奇食おうとしてんだ」
ピィピィ騒ぐ債務者のパーカーを半分ひん剥き、熊猫のつまみ食いを目論む胸元へ再び肘鉄をかましてやろうとした矢先───
パンッとどこかで破裂音が鳴って、同時に、鼻先のコンクリ壁が小さく抉れた。