火花とダイヤル・後
待宵暁鴉7
淡く、月灯りの降る城砦。
「待たせちゃいましたね」
「んーん。毎回俺が待たせてるから」
「勝手に待ってるだけっすよ、俺は」
人気のない広場の隅。ベンチに座る燈瑩へ冷えた港式奶茶のペットボトルを差し出す芹は、あれ?と目を見開く。燈瑩の両手に既に同じボトルが握られていたからだ。
「燈瑩さんも買ってたんすか」
「うん、芹のぶんも。急に呼んだし手ブラで来るかなぁと」
「俺が手ブラだったことあります?」
「無いかな」
「でしょ。俺も2本買ったのに、どうすんすか4本も同じ商品で」
「余ったやつ持って帰っていいよ。好きだよね?これ」
微笑む燈瑩に、芹はほんの一瞬瞼を細め…すぐに戻し、礼を述べつつ隣へと腰掛けた。手持ち無沙汰に港式奶茶をベンチへ1列に並べ、肩を竦めてポツリ。
「俺もちょうど…燈瑩さんに用事あって…」
俯く芹のフーディーを、燈瑩は瞳の動きだけでさり気なくなぞる。ゆったりしたマフポケット。二の句を継ぎ倦ねる芹のオーラに、こちらから口火を切った。
「さっき、全合圖に話しに行ってきた」
「誘われてんすもんね。入るんです?」
「入りはしないけど」
けど。後は続けなかったが、続きを理解した芹がペットボトルの隊列から目を離し燈瑩を見た。短い沈黙。それからフッと笑み、困ったように眉を曲げる。
「ヤメにしましょ。聞かなかったことにしとくんで。タダじゃ済まなくなります」
「済まないから来てるんだけどね、こっちも。芹もそうじゃない?」
燈瑩は笑いながら言って、視線を外した。
芹は…一連の騒動に1枚噛んでいる。全合圖の情報網はそれなりに目が細かい。組の人間が何人か殺られた、その実行犯かはわからずとも、ボヤを起こしている火花の一端である事実に間違いはないだろう。いつから大陸の組織と絡んでいたのか?もうこの状況では、詮索する意味もないけど。
俺へ矛先が向いたのは予定外だったのかも。察するに、時期もごく最近。照準が定まった決め手は全合圖からの勧誘か。しかし恐らく端から予感はあって、多分全合圖はきっかけに過ぎなかった。自分で言うのもなんだが、裏社会の有象無象と捨て置くには俺はどうにもこうにも目立ちすぎている。結局どのグループも狙いは同じ…味方につけるかさもなくば消すか。そのせいで芹は事毎に‘気を付けて’と零していたのだ。
尋ねたとて、きっと芹は口を割らない。そういう男だ。だから、ツルんでいた。今だって芹のそんな所が好きだ。
この港式奶茶を、持って帰りはしないとも、わかっている。わかっているけれど───
「ぬるくなっちゃうね、港式奶茶」
「そっすね…」
「持って帰らないの?」
「…そっすね」
───持って、帰ってくれれば、いいなと。少し願っていた。
燈瑩は立ち上がり数歩あるいて、芹になかば背を向けたまま、おもむろにパッケージから煙草を取り出し1本銜えた。場の雰囲気にそぐわず楽しげな芹の声が耳へ届く。
「燈瑩さん」
「ん?」
「前に、みんなで射的で遊んだことありましたよね。なんかの祝いの祭りがあって、九龍でもテキ屋とか出してて」
「うん」
「俺は全然景品取れなかったけど。燈瑩さんデケぇロボットのおもちゃゲットして、そんで通りすがりの子供にあげてて」
「そうだね」
その頃にいくらか共に仕事をこなし、いくらか共に馬鹿をやった‘みんな’は、今は残っていない。九龍に残らずどこかで幸せにやっている、などというお伽噺ではない。会話が途切れ、ポケットを漁りライターを探す仕草を見せる燈瑩に、芹も自分のポケットをまさぐった。
「燈瑩さん」
「ん?」
もう1度芹が名前を呼んで、マフから何かを出した。ライターではなかった。闇の中で鈍く光る…トカレフ。微かに、‘すいません’という呟きが、湿った風に乗って流れる。銃口が持ち上がった。
だが───それより速く、燈瑩がベルトから抜いたベレッタの弾丸が芹の眉間を捉える。響いた発砲音はやけに軽かったうえに乾いていた。例えるなら、生日にでも鳴らす大きめのクラッカーとか、そんな感じ。
芹の身体が──ちょうどあのいつかの祭りで見かけたチャチい作りの──発条仕掛けの人形のように、ぎこちなく横ざまに倒れる。トリガーにかかったままの指が本人の意思とは関係なしに引かれて1発弾丸が飛んだ。燈瑩は別に避けなかったが、特に当たりもしなかった。当たっても構わないと思っていたけれど。
ベレッタをおろし、煙草に火をつけ、紫煙を燻らす。ノロノロと、ふたくちほど吸った。微妙に足が重い。灰を落としつつ、ベンチに寝転ぶ芹へ近付く。額にあいた穴、後頭部から溢れる液体がボロい木製の座板を伝い地面へ滴っている。手に握られたトカレフを眺めた。以前、銃のひとつでも懐に無いと不便かと案じ、自分が渡しておいた物のように見えた。まだ硬直しておらず温かい指を外し回収する。置いて行っても、誰かが持っていってしまうだけなので。死体はそのままにした。置いて行ったら、誰かが持っていってくれるので。
───芹が。俺よりも、新たに出来かけた家族を取るのは当然のことだ。こちらだって本音を言えば、最初から、某か情報が入るかもとの打算で手を差し伸べたフシもある。お互い様だった。それでも芹は迷ってくれ、結果…その迷いが、致命的なものになった。
銃と共に拾った携帯の連絡先やメールの履歴を、申し訳なくも確認。会長や猫の懸念…ここに端緒が見付けられるはず。
アドレス帳を開き、ふと、短縮に登録されている名前に目が留まる。
“燈瑩哥”
聳える違法建築に四方を囲まれた暗夜の中。吸い込んだ紙巻きの先の火種が、密やかに、赤く燃えた。