火花とダイヤル・前
待宵暁鴉6
「だっからさぁ、なんで楓ちゃん来てる時に呼んでくんないわけ!?」
「うぅぅるっせぇ野郎だなテメェも…」
城砦端、件の茶餐廳。‘芋角も豉汁蒸鳳爪も味が良かった’との燈瑩の評価で足を運んだお昼時、奶茶と煙草の香りが混ざる店内で東がギャアギャア声を張る。猫は両耳を塞ぎ顔を顰めた。
「教育に悪ぃからだわ」
「俺よか燈瑩のほうがマフィアで教育に悪いじゃん」
「目につくんだよお前は。このまえも丸めたドル札鼻に突っ込んだまま便所から出てきたじゃねーか」
「えぇ、あれは別にいいじゃない猫にゃんしか居なかったんだから」
「人ん家で粉吸うなつってんだ」
「とにかく次は呼んでよぉ。楓ちゃんもそうだけど晴ちゃんだって可愛いんでしょ」
「は…?正気か…?」
「ドン引くのやめて!正気です、しっかり10年待つよ!」
「あそぉ」
本題と余談の混ざった会話を重ねつつ料理を食む。オススメ点心以外にもいくつか頼んだけれど、メニューはどれもお手頃価格で良心的な1軒。‘高ぇとこでもなんでも好きな飯屋選べ’と打診する猫に、東が‘美味しいならそのファミレス行こうよ’と意見した末のチョイス…礼で奢るには安上がりだが…金に無頓着な黒縁眼鏡。そういう性格も嫌いではない。猫は啤酒の栓をライターの底で抜き、東へ王冠を飛ばす。鼻先にヒットしピィッと鳴き声が聞こえた。
「鼻、じゃなくてよ。耳には入ってねぇの?クスリの話」
「んー?んー…花街の特定の何か…ってのは無いね。晴ちゃんの親がやってたドラッグもポピュラーなやつだし」
鼻尖を摩る東がいうドラッグとは、晴の鞄より出てきた袋いりのラムネ。元の自宅に散らばっていたパケットのうちのひとつ。楓が発見し、中身を通常の駄菓子と入れ替えて、取り出した錠剤は猫へと持ってきた。手掛かりになるか?とのクエスチョンに対し東のアンサーは、‘九龍で相当数が出回っている品なのでルート特定は難しい’‘薬の部類としてはだいぶヘビー’‘母親はかなりの中毒だったのでは’といったもの。
豉汁蒸鳳爪をよりわけ、東は皿にいくつかのちいさなシマを作る。
「問題起きてる範囲、案外狭いのかもねぇ?起こしてる奴も小グループとか個人とかで」
それは猫も思っていたことだった。方々バタついてはいるものの全体を見れば規模はコンパクト、九龍を流れる空気にそこまでの変化は無い。だとすれば…発端は大陸側であぶれてしまった輩か。もともと城砦内に居た人間と手を組みチョロチョロしているのだろう。かといってヤツらも派手なことは出来ない───全合圖が睨みをきかせているからだ。そもそも全合圖と悶着があった連中の可能性もある。
「ま…ちっと燈瑩に任せっか、そこは…」
「燈瑩なにしてんの?今日」
「パンツの色聞きに行ってる」
「んん!?誰の!?」
途端に血相を変える東を無視し、猫は酒瓶の残りをひと息で呷ると、啤酒を追加オーダーするため店員を呼び止めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
予想の範疇ではあった。
中流階級区画の組事務所。空になりかけた燈瑩のロックグラスへ老齢の男が酒を注ぐ。テーブルを挟んだ向かい合わせのソファ、東からの‘誰のパンツ?’などという破茶滅茶にどうでもいい微信を消去しつつ燈瑩は眉尻を下げた。
「申し訳ないですよ、大老手づから」
「客人に手酌をさせる人間がどこにいる?それに、仲間は皆対等というのが私の理念だ。注がせてくれ」
柔和な、しかし威厳のある声音と佇まいで男が微笑。目元と口元に刻まれるシワにはただ歳を重ねただけではない年季が入っている。全合圖、会長───燈瑩とは仕事上でいくらか付き合いがあった人物。彼が話し合いの場を持ちたがった理由は主にふたつ。1つは単純な引き抜き、事業を拡げるにあたり優秀な人材が欲しかった。もう1つは…九龍城でパチパチ煩くしている、火花の話。
「我々も世話になっていて。既に数人」
言いながら会長も己のグラスを傾ける。空になりかけたので、今度は燈瑩が酒を注いだ。
全合圖の構成員が世話になった──要は燃された──城砦の火花に、燈瑩も既知の火薬が混じっていると、そんなような話。
改めて、誰だと訊ねる必要は特段なかった。今回この忠告を受ける前から薄々わかってはいた。確信に足るものを持ち得なかっただけ───燈瑩は細く溜め息をつく。
「借りになりますか、これは」
「私がそんなにケチな男に見えるかい?」
こんな些細なことを貸しにはしないと会長は破顔、燈瑩も口角を吊る。
「貸しにはしないが…全合圖への勧誘の件、検討してくれると有り難いな」
「自分は大老にお声掛けいただけるほどの人材じゃありませんよ」
「断り文句だろう」
「本音です」
全合圖は拠点を九龍から元居た大陸へ戻そうとしている最中だ。それに際し、城砦の目星い人間を引き抜き、ホームへと連れて帰りたがっている。穏やかながらも圧のある会長の眼差し。鈍色の瞳を燈瑩も見返した。たっぷりの間の後、燈瑩は再び眉尻を下げる。
「その些細な問題…片付けておきます。今後も九龍側からお手伝いしますので、ご容赦くださいませんか」
「城砦から出る気は」
「今はまだ」
「何か理由が?」
理由。僅かに瞼を伏せた燈瑩に会長は声のトーンを明るくし、両手を顔の横に掲げた。
「詮索する男は嫌われてしまうな。この質問は無かったことに」
「いえ。しいていえば女々しい野郎だってことですよ、自分が」
燈瑩も視線と声のトーンをあげる。会長のかざすグラスにグラスを合わせ中身を飲み干すと、‘用事を済ませてくるのでお暇します’と腰を浮かせた。
「相変わらず仕事が早いね。そこも買っているんだけど」
「ご連絡いただければ、いつでも力添えさせてもらいます。微力ですが」
二言三言挨拶を交わし事務所をあとにする。それから馴染みの店を数軒回り、老人会にも顔を見せ、普段通りに近況をうかがって歩いた。何通も届く東の微信はフルシカト。そして涼やかな風が街に夜の気配を運ぶ頃、ついにベソをかく眼鏡のGIFになったメッセージを──ちょっぴりクスッとしながら──やっぱり消去して、いつもの広場の近くでアドレス帳の短縮を押す。
…短縮に入れるくらいではあったんだけど。
───俺は、燈瑩さんのこと好きなんで。
思ううちに通話が繋がる。聊か間を置き、燈瑩は、ゆっくりと口を開いた。
「お疲れ様。芹、今時間ある?」