ふくよかとダイナマイト
待宵暁鴉5
「靚女さん!豉汁蒸鳳爪も追加で!」
「よく食べるね、芹」
「燈瑩さんが食わないんすよ」
城砦端、とある茶餐廳。‘この店の芋角がここ一帯では群を抜いて美味い’との主張に誘われ軽く茶でもしばくつもりでやってきたのに、次から次へと点心を注文する芹にいちいち取り分をよそわれてしまう燈瑩は、ビュッフェさながらになっている自分の皿をどうにかフラットに戻す作業に追われていた。
鴛鴦茶と煙草の香りが混ざる店内。古めかしい歌謡曲を流すテレビのチャンネルを常連とおぼしき客がザッピング。ちょうど昼ドラの時間帯、画面に映るソープオペラ。主演は台灣の人気俳優。愛憎劇をBGMにポツポツ挟まれる世間話の途中、芹が声を潜める。
「そーいやアレ知ってます?十仙店で売ってた小籠包の」
「具材?」
「っす。狗ならまだしも」
中身に、細かくなった人が詰まっていたとの巷談。燈瑩はふと手元の餃子に視線を落とす。‘ここのはちゃんと豬ですよ’と芹がニヤついた。
臓器を売る狙いではなく死体隠蔽が目的のバラバラ殺人というのは、こと九龍に関してはほぼゼロに近い。わざわざ解体して秘密裏に処理せずともスラムの路地にでも転がしておいたらいいからだ。なので九龍で起こるそれはよっぽどの怨恨、もしくは、大陸から来た奴らの仕業。
大陸では──無論ケースバイケースだが──500元でも包做人が雇える。依頼料だけみればむしろ九龍城砦のほうが相場が高いかもしれない。動機は恨みつらみが過半数を占め、殺しのやりくちは皮を剥いだり顔を潰したり四肢を切り落としたりと残忍なものが頻繁に報告されている。
そういえば、九龍城の中でも過激派と悪名高いチーム【天狼】も大陸側の出身者が多い気がするな…メンバーや内情の些細を把捉してはいないけれど…燈瑩は思いつつ餃子を囓る。うん、豬。多分。
「あの小籠包は包做人の仕事じゃないでしょうけど…大陸の奴らはヤベーのもいますし。燈瑩さん、ゴタゴタにはあんま首突っ込まないで下さい」
たしなめながらパクパクと点心を口へ放る芹を暫く見詰め、燈瑩はフンワリと言った。
「でも城砦内の大陸の派閥は全合圖が抑えてるじゃん、今のところは」
「燈瑩さんファミリーじゃねぇでしょ」
「誘われた。こないだ」
「え?マジですか」
全合圖は中国側から城砦へ一時的に進出してきたグループだ。新参の年若い集団などではなく数代続くそれなりの規模の組織、現在の龍頭も界隈では名が通っており、九龍に流入してくる大陸側マフィア達への抑止力となっている。抑えられる側からすれば眼中釘と言ったところだろうが。
「入るんすか、全合圖」
「どうかな。ていうか芹、腰落ち着けたければ紹介しようか?今なら口利けるよ」
「俺は…んー…」
煮え切らない返答をし、芹はテーブルに届いた豉汁蒸鳳爪をつつく。プルプル震えるコラーゲンのかたまりはかなり山盛り、3人前は優にありそう。プルプルをひとつ抓む燈瑩。テイクアウェイでもうひと皿頼もうか?家の居候───上と大地への手土産に。
大地が標準を大幅に下回る体格なのに反して上は随分スクスクふくよかに育っている。同じ物を食べてるのにな?量にそんなに差があったかな?ともあれ栄養不足よりはいい。晴にも今度何か届けてあげよう、菓子ばかり渡してしまうから健康に良い物を…食生活がよろしくない俺が言うのもなんだけど…。
「てか。ますます気を付けて下さいね、そーゆー事情なら」
「ん?うん」
「いつも返事だけじゃないっすか」
呆れた声音の芹は非難の目付き。こちらの方がいくらか歳上なのにも拘らず、どうも小言をいわれてばかりだ。悪い気は全くしないが。燈瑩はクスリと唇の端をあげた。
「やけに心配してくれるね」
「俺は、燈瑩さんのこと好きなんで」
真似して口角をあげる芹。一拍置いてから、プッと噴き出すと、つられて燈瑩も同じように笑った。
同じ頃。午後の天日が差し込む部屋に白煙がふたつ漂う。ひとつはポワポワ整った円環、ひとつはウニャウニャしているものの、どうにか丸と称せる形。
「上達してんじゃねーか、タマ」
「ポポポってやってるからね」
「うるせぇ野郎だな」
ベッドで胡座をかく猫は、虎柄の絨毯に転がり得意顔の鐶へ舌打ちし、煙草で灰皿のフチを叩いた。揺れる黄丹色の羽織。
「猫、いつもの服どしたの?黄色のやつ」
「破けた」
「ってことはまたケンカだ」
「売られたから買っただけ、押し売り被害。損害賠償も請求してぇわ」
「絶対賠償金以上にボコったでしょ」
「知るか。自分がザコなの棚にあげて眠てぇこと言いやがるからだよ」
絡んできたのは吸収した店の関係者、‘ヨソから来たくせに幅きかせやがって’だのなんだのとほざかれた。お決まりのイチャモン。【宵城】が九龍で1番の店になることが気に食わないらしい。
「なりたきゃテメェがなりゃいいだけだろ、テメェの店デカくして俺を退かしてな。突っかかってくる暇あんなら努力しろっつの」
心底疎ましげに放つ猫に鐶は笑み、首を傾ける。
「でもさー…みんながみんな、猫みたいに出来る訳じゃないからさ…」
猫は視線を鐶へ向けた。一瞬、何かを憂う雰囲気を感じたのだが───鐶は普段通りの悪戯な笑顔。
「他には?北宝樓のほうとか南条四巷らへんは最近どう?」
「そんなにケンカばっかしてねぇよ、俺も」
「してるじゃん」
「ったく…好きだよなお前、そういう噂」
「お仕事の役に立ちますもん♪」
ニコニコと面白そうなネタを強請る鐶にいくつか与太話をしたあと、猫は弾みで楓の話も振った。母親が消えてしまい取り残されてしまった子供。勤め先は長安路あたり、何か知っていることはないか。
「お店の名前は?」
「銀麗宮とかつったかな」
猫の回答に考える様子の鐶。タマもタマで、幼い時分より家族が居ない…晴について思うところがあるのだろう、‘なんかわかったら教える’と頷く面差しは浮かない。猫は話題を切り替えた。
「こないだのシャバ…シャイな感じの女。バイト先見つかったぜ」
「え?ほんと?」
「ショーパブのスタッフ。待遇も悪くねぇみてぇ」
東が馴染みの店舗を紹介し、裏方として働く運びになった模様。華やかなショーガールではないが…舞台裏を支える人手が足りないという店側の言い分と東のひとことが上手くコンボした大団円。
「キャストじゃなくてもオッケーしたんだ、あの子。その人なんて言って説得したの?」
「‘こんな可愛くてダイナマイトバディな娘、表に出ちゃったら客が大騒ぎになる。俺なら黙ってない’って」
ガタイの表現の言い回しに‘なるほど’と頷く鐶、猫は半目で煙を吐いた。あの黒縁眼鏡の良い所はそれが嘘ではない所…奴が女性の外見判断に用いるメーターは‘可愛い’‘かなり可愛い’‘メチャクチャ可愛い’の3段階。全て本心からの発言、世辞は皆無、曇りなき眼でスムーズに信頼を得ることが出来る。
「ダイナマイトバディ、勉強になった」
「そこはそうかも知んねぇな」
鐶の評価に珍しく同意しつつ、猫は露台の向こうの千切れ雲を眺め、たまには東に飯でも奢ってやるかとうっすら思った。