最終戦と「倍あげる」
喧嘩商売4
「えーっと…樹、なんでそっち側にいるの?」
燈瑩が戸惑いながら話し掛ける。
樹は実は【獣幇】のメンバーだった、という訳ではないはずだ。驚いた東が煙草を口から落として手の甲を燃やし熱ち熱ち言っている。
樹はこの上なくイイ顔をしながら答えた。
「お金貰った」
普通に買収されていた。
明快な理由に燈瑩はそっかと頷き、吸いかけの煙草をくわえたまま樹に歩み寄る。
東が慌てて叫んだ。
「燈瑩お前、樹にケガさせんなよ!!お前ほんとに…ほんとに!!ケガさせんなよ!!」
「うるっさいな」
東の過保護な発言にため息混じりに笑い、俺がケガするっつーのと呟いて歩いていく燈瑩を見て大地が猫に耳打ちする。
「なんで哥がケガするの?哥のほうが強くない?」
「ん?そりゃ、銃撃戦ならな。武器無しなら話は別だ。今までの喧嘩の感じから見立てると、こういうステゴロだったら…」
言葉を切って、猫は広場中央の2人に視線を向け、続けた。
「多分、樹のほうが強い」
燈瑩は煙草を弾いて捨て、樹は大きく伸びをする。もはやお馴染み鶏蛋仔屋が今日一番張り切った声で告げた。
「それでは【獣幇】対【東風】【宵城】、大将戦────始め!!」
開幕と同時に、パァン!と大きな音が鳴る。目にも止まらぬ速さで繰り出された樹のハイキックを燈瑩が瞬時に上げた腕で受け止めたのだ。
樹はハイキックの脚を引き体勢を低くして足払いをかけた。燈瑩はそれを飛んで躱し、着地で身を屈て追撃の蹴りも避けるとバク転して少し距離をとる。
一歩で間を詰めてきた樹が、恐ろしい速度で打撃を加えた。それを全て見切り対応していく燈瑩。パパパパパンと小気味良い音が響く。
ラッシュが続き、ほんの僅かの隙に踏み込んだ燈瑩が回し蹴りを入れるよりも先にそれを察知した樹は3メートル程後ろに跳ね、再び距離があいた。
その間ほんの十数秒。呆気にとられていた観客達が、爆発したように歓声をあげる。
「待って、全然見えない」
東が眼鏡のレンズをゴシゴシ擦るが、おそらくそういう問題ではない。スピードが早過ぎるだけだ。
猫はガリガリと頭を掻いて考えた。
まさかこうなるとは…完全に計算外だ。まぁ樹が燈瑩を本気で負かしに来ることは無いと思うし、燈瑩も樹相手にガチの殴り合いはしないはずだが。
しかしこの勝負、落とし所が見付からない。こちらも負けるつもりはないし、向こうもそうだろう。
解決策が不明である。
もう仕方ねぇ、どうにかして上手くやってくれ燈瑩。そう思い猫は、がーんばーと熱のこもらない声援を送った。
「がーんばーって何よ…」
それを聞きながら燈瑩は樹を見詰めて思案する。
ケガをさせるなと言われても、樹が相手では加減が難しい。あまり手を抜くとこっちが大ケガをしかねない……単純な喧嘩では樹の実力のほうが上回っているのだ。
一呼吸置いて樹が前進し、勢いよく風を切る左後ろ回し蹴りを放つ。それを掻い潜り、燈瑩は2発目の右ハイキックをその足を掴んで止めた。
と、樹は掴まれた右足を軸に飛び上がり左足を燈瑩の首に絡め、フランケンシュタイナーよろしく身体をバク宙のような形で回転させる。
同じタイミングで地面を蹴って跳んだ燈瑩は、その回転に合わせて前宙をしてロックを振り切り、着地すると共に即座に樹に向き直った。
既に起き上がっていた樹が燈瑩に連打を叩き込み、またはじまるラッシュ。
無数の打撃を全てさばくと今度は燈瑩が回し蹴りをいれ、それを伏せて回避した樹は横に跳躍して壁を足場に高く駆け上がり真上から踵落としをお見舞いする。
額で交差させた腕でガードした燈瑩はそのまま腕を払って樹を数メートル後ろへと飛ばした。いや、樹が自分から跳んだのか。
再度距離をとる2人。
「なんなのアレ?やばくね?」
息つく間もない攻防戦に東が目をしばたたかせつつこぼした。訳のわからない早業だ。
オーディエンスからは止めどない声援が聞こえている。最初はほとんど【獣幇】側だったであろう観客たちも、今や【東風】【宵城】を讃え始めていた。
猫も心の中で親指を立てる。いいぞ燈瑩…大将戦に相応しいぜ。
なんなら相手が樹で逆に良かった。そこいらの人間じゃこんな試合は出来なかっただろう、素晴らしい盛り上がりだ。
猫はギャラリーに混ざってもう一度、がーんばーとエールを送った。
「また言ってる…」
猫の声にそら笑いしつつ、燈瑩は状況を打開すべく悩んでいた。
決着をつけなければ話にならないのだがお互い降参するわけにもいかない。
…いや、樹はそうでもないのか?
お金貰ったって言ってたな。【獣幇】に肩入れしているというより、いつもの雇われの喧嘩屋バイトをしているだけか?東に言った‘予定’ってバイトのことだったのか。
【獣幇】の為じゃなく小遣いの為なら、樹は最終的に金が入れば別に負けてもいいのでは。
そう考え付いた燈瑩は敢えて樹の懐に入り、話しが出来る近さでの戦闘へと切り替えた。手数は自然と多くなるが、油断せずいなせばいいだけだ。
攻撃を避けながら小声で聞いてみる。
「樹…いくら貰う予定?」
「3万香港ドル」
返事をしつつ樹が右腕を振りかぶる。燈瑩はそれを寸手のところで掴み、そのまま樹を引き寄せて耳元でボソッと囁いた。
「倍あげる」
樹の動きが止まる。
完全なフリーズ。燈瑩は、その額にピンッと、軽くデコピンをした。
樹がフィルムのコマ送りのようにゆっくりと後ろに倒れていき────ドサッ、という音と共に地面で大の字になる。
無言の時が流れた。
鶏蛋仔屋は2人の顔を交互に見て……どうやら樹が起き上がらないことを認めると、思い切り腕を振り上げて宣言した。
「そこまで!!勝者──────────
【東風】【宵城】!!!!」
静寂。だが勝敗が決まったことを飲み込むと、ギャラリーからは割れんばかりの喝采が沸き起こる。
「なんだそりゃ、燈瑩何か言ったな」
「樹ぃ!!」
ケラケラ笑う猫と、樹に駆け寄る東。
最後のあまりのあっけなさに首をかしげつつ、それでもここまで楽しんだ観客達は皆一様に拍手をしていたが、納得が出来ない様子の【獣幇】の下っ端がわらわらと出てきて怒鳴った。
「おい、お前らグルだったのか!?元からそういう手筈だったんだろ!!!!」
「あ?んな訳あるか、こっちも知らねぇで参加してるっつーの。そもそも【獣幇】のメンバーじゃねぇ奴がなんでチームに入ってんだよ?金で雇ってねぇでテメェらだけの力で勝負しろや」
猫も下っ端たちに向けてがなる。
口は悪いがもっともな言い分。互いの威信を賭けての決闘のはずなのに、部外者に頼るなどもっての外である。
「おいレフェリー、2勝で俺達の勝ちだよな?観客にも楽しんでもらえてたみてぇだしなぁ。約束通り【獣幇】のシマ貰うぜ」
周囲からの【東風】【宵城】コールの中、猫が結果の発表をうながすと鶏蛋仔屋はなぜか気まずそうな顔をしている。
猫は眉をしかめたが、ふと先程の大地の言葉を思い出した。
‘光明街の鶏蛋仔の店長だ’─────。
光明街の鶏蛋仔。樹もよく行く店だ。
さては、鶏蛋仔屋…助っ人を探していた【獣幇】の半グレに樹を教えたな。
樹は店主と仲良くしていると言っていた、何でも屋の一環として喧嘩商売をやっている事も話していただろう。紹介とまではいかずとも、繫がりの一部になっていることは間違いない。
樹に目をやると猫の考えを察したようで、だいたいそんな感じ、といった表情を見せていた。
関係性を知らず特に悪意は無かったにせよ、鶏蛋仔屋は気まずいだろう。
「…全部とは言わねぇよ。1・2店舗で手打ちだ、プランもあるからまずは話を聞け。それと【獣幇】、レフェリーイジメんじゃねぇぞ。グルだとか金だとか文句あんならまたいつでも勝負受けてやるよ。正々堂々だ」
猫にしてはあり得ないほど優しい発言に、樹は驚き燈瑩はヒュウと口笛を鳴らした。
そんなにおかしなことではない、猫は身内には甘いのだ。この判断も樹と大地のお気に入りの鶏蛋仔屋を守っただけの話。
それに領地に関してはもともと、半グレの縄張りの店舗を少し戴ければ良いと思っていた。無闇に手を広げても面倒事が増えるだけだ。
つまり、譲歩したと見せかけてその実、当初の予定通りなのである。
「え?なんや、終わったん?」
目を覚ました上が散り散りになる観客を見てキョロキョロした。とりあえず今日は解散、半グレたちも渋々引きあげていくようだ。
猫は上の肩をどつき、【宵城】に帰んぞ、呑もうぜと言って歩き出す。
祭りが終わり、静けさを取り戻す九龍。
日が沈んだ街に月が輝きはじめていた。




