後宴とユアオフ
陰徳陽報17
「で!東さん、超ばっちりキマってたって訳ですよぉ!」
「薬がね、薬が。てゆーか何回目よアンタ?それ話すの」
「わ、私は…聴くの好きだから…」
おやつ時の食肆、バタバタ身振り手振りで解説をする瑪理を呆れ顔で眺める彗。寧がオズオズ間に入る。
あれからいくばくか経ち、件のオーナーはどうやら九龍城砦から出て行ったとの噂──と呼ぶには信憑性の高い筋からの情報だったし実際あのフロアは空き店舗になっていたが──を聞いた。イベントが開催しやすい無法地帯を棄てどこへ向かったかというと…なんのことはない、お隣の香港島らしい。
どうも樹の警告が‘カタコト’だったのが効いたようで、一連の事件は広東語地域の人間の仕業ではない───つまり大陸や台灣の奴らの画策だと支配人は考えた。このまま九龍に居ても再び襲撃に遭ってしまう、されど敵は大陸ないし台灣の者、かといって澳門はまた勢力図が異なる、とくれば、逃亡先は消去法でおのずと香港島側になる。もちろん城砦外ではキチンと警察が機能しているため従来通りのショーの運営は厳しくなるが、国家権力が目を光らせていれば逆に我が身も守りやすい。苦渋の決断。
「上手いことやったわね、月餅」
「演技派ですね樹君も」
「ん?んー…うん…」
彗と瑪理の賛辞へ曖昧に返す樹。あの時の喋りは全然そういうつもりではなく、普通に言い淀んだだけだったので。けれど後で聞いたら、東は樹のカタコトを耳にした時点でこの結末を予測し北京語を使ったとのことだった。商売上の利害関係で九龍を目にかけている近隣諸国の黑社會、とでも印象づけば成功。製薬系か売春系か人身売買系か不明瞭だが、そこは好きにとっていただければ別にいい。これなら城塞内の住人は疑われもせず安泰である。東の正体も特にバレてはいない様子、‘道中寡黙にしてたもんね!’と山田は得意気。物静かな東というのは、どうにも不思議な感じだが。
話し終えた瑪理は、壁際で紫煙を燻らす藍漣をソワソワと見る。彗もその視線を追った。気付いた藍漣は灰皿で吸い殻を揉み消し、2人に近寄るとワシャワシャと両方の頭を撫でた。
「よしよし。頑張ったな彗、瑪理」
「えへへ…藍漣さんイイ匂いしますねぇ…」
「瑪理毎回これ目当てでこの話してんでしょ───ってちょっと!なに姐姐の胸に埋まってんのよ、セクハラやめなさいよ!」
藍漣の胸元に顔を埋める瑪理を押し退け、腰に抱きつく彗。羨ましそうに見詰めていた東へ藍漣は‘お前は夜にな♡’と悪戯に笑う。白目を剥く妹分。
「山田なんて腎臓売っ払ってきたらよかったのに!!」
「やだぁ、提示額低かったもん。売るならもうちょい高値で売りますぅ」
腎臓は相場が意外に高いんだと微妙に方向性のおかしい反論をする東の後ろ、厨房から蓮がオヤツを持って登場。
「薑汁撞奶出来ましたよぉ、糖水と芋圓と涼粉も!皆さんどうぞ!」
色とりどりのスイーツをドシドシ卓へ並べ、せっかくのお見送り会なので!と鼻息を荒くする。手厚い歓待を受けて、来週でも再来週でもいつでも戻ってきますよと瑪理は照れて頬をかく。
騒動が起きている最中、動物関係の仕事がしたいとの瑪理の言から猫が市内の知り合い──いつものジジィ、元【酔蝶】オーナー──をあたってくれていた。すると以前瑪理が保護した鳥を引き渡した人物が顔見知りに居たらしく、バードガーデン近辺のペットショップの仕事を紹介してもらえたのだ。仕入れた動物には最後まで責任を持つ優良店、顧客からの評判も良い。そしてそれに伴い瑪理は城砦を出て新しい職場の近くへ宿を移す運びに。瑪理が行ってきた‘慈善事業’については鳥好きのオヤジ連中の間で話題になり、愛好家達は孫娘を迎え入れる気分さながらに瑪理の到着を待ち侘びているとのこと。
「私の知識なんてまだまだですから、先人の方々に色々ご教授いただかないとですね」
控え目に意気込む瑪理。
金魚街、花墟道、雀仔街…あの辺りに店を構えたり集ったりしている中高年は、基本的に世話好きだ。ネガティブではあるものの素直で性根が優しい瑪理は可愛がってもらえるだろう。そのネガティブさだって、環境を変えてみれば払拭していけるかも知れない。勤め先へと縁を繋いでもらった瑪理は猫にペコペコ頭を下げたが、‘今回の件で手を借りた礼だからペコペコすんのはやめろ’と怒られた。ついでに‘猫にゃん俺には何お礼してくれるの’と訊ねた東はボコボコ殴られたが、ツケが一旦チャラになった。だったらもっとツケときゃよかったと東は密かに思った。
菓子を食べ終え、名残惜しいので結局夕飯も皆で囲み、食べて、呑んで、酔って転んだ瑪理はピンヒールを折り、それがすっ飛んで東のデコへ見事に刺さり、蓮が‘ヒール片っぽじゃ歩けないでしょう’と犬耳のついたサンダルを貸してくれ、さらにダラダラ喋り、日付けがかわる少し前、やっと城砦外の大通りまで数人で見送りに出た。
「お世話になりました。本当に」
言いながらバックパックを背負い直す瑪理。送りに来た人間も瑪理の荷物も──荷物は所持品ほぼ全てを教会へと寄付したせいだが──少なかった。付き添いは樹と彗と寧の3人だけ。大袈裟な事にはしたくないという瑪理たっての希望もあったけれど、まずそもそも大袈裟な引っ越しでは全く無い。九龍と雀仔街など目と鼻の先だ。
それでもやっぱり寂しさを拭えない寧が、しかし、新たな門出を祝いたい想いとの狭間で気の利いた言葉を選び取れず、瑪理の上着をギュッと握る。瑪理は微笑んで言った。
「寧ちゃん。ご相談なんですが、私のバイト先で、寧ちゃんの作った曲をBGMに流してもいいでしょうか?」
「え…その…大丈夫なんですか、私の作った歌なんかで」
「もちろん!とびきり素敵ですよ、寧ちゃんの曲は!」
はにかむ寧が頷くと、瑪理はおもむろに十字のネックレスを外して寧の首へとかけた。
「じゃあ、こちら。お代です」
使用料など貰えないと目を丸くする寧へ、瑪理はどうか受け取って欲しいと小さな両手を自分の両手で包む。
「お下がりなんて嬉しくないかも知れませんが…覚えていてほしいんです。いつも、どこにいても、私は寧ちゃんを応援していると」
まぁすぐ遊びにくるんですけどね、と犬耳のサンダルをパタつかせて眦をさげる瑪理。まごつく寧の背を彗がポンと叩き、樹も肩に手を置いた。瑪理は‘ありがとう’と笑む寧を抱き締め、彗に飛びつこうとして避けられ、樹とハイタッチを交わすと、的士に乗り込み夜更けの街へ走り去っていった。
テールランプが見えなくなるなり、すぐさま魔窟にUターンする彗。
「ほらぁ、ちゃっちゃと食肆戻ろ!東と姐姐置いてきちゃってるから!吉娃娃じゃ番犬になんないもん」
「東も藍漣もそんなに食べないと思うけど」
「料理が残るかどうかの心配してるんじゃあないのよ」
ハンッと片眉を曲げる彗へ首を傾げる樹。またもや違ったらしい…彗に対しての回答をことごとくハズしてしまうな、俺は…?正解はわからなかったが、とにもかくにもハズレだったので、大人しく彗の跡をついていく。足早に路地を進む彗に腕を引かれる寧がクスクスと口に手を当てた。
その胸元で。ささやかな願いと約束を湛えた十字架が、柔らかに注ぐ黄金色の月明かりを浴びて、淡くあたたかな光を放っていた。