テイクバックとイーグルアイ・後
陰徳陽報16
瑪理が目玉をカッぴらき妖怪じみたツラをするので、彗は1歩後ろに下がった。
「なにアンタ、怖」
「出来ません!!上手くいきませんよ!!」
「いいわよ失敗したって。モサメガネの腎臓えぐれるだけだから」
「良くないでしょう!?」
「2個あるから平気じゃない?」
「駄目ですって!!おっ、落ちこぼれなんです私は…何やってもそうで、せっ性格も暗いし…友達もちょびっとしか居なかったし…」
「ちょびっとでも居たんでしょ。今もみんなが居るじゃん」
「皆さん友達で居てくれるんですか!?」
「じゃなきゃアンタの立ち位置なんなの」
「え、手駒とか」
「マイナス思考やば」
彗は膝に肘をつき頬杖。かしましい押し問答の横で携帯をイジる樹は東に微信、中2階からステージを観ている旨を伝えた。と、数秒も経たずに震えるスマホ。即レス。
〈好快過嚟〉
すぐ行く?どこへ?そう樹が返信をしかけたのと、観客席から歓声が湧き上がるのは殆ど同時だった。ステージへと視線を向ける。
「あ、アズ…山田」
現れたのは東だ。【宵城】から借りた重ための黒髪ショートのウィッグ。メガネとパーカーはお家で留守番中。本日1人目の出演者、あえて順番をそうしてもらったのかな…思いつつ樹が支配人に目をやると、アタフタした様子で東を見ている。あれ?予期せぬシチュエーションか?樹が発した呼び名に‘東さんはコードネーム山田なんですね’と瑪理がヒソヒソ。彗は眉根を寄せた。
「アイツ、髪長めのほうがワンチャンあんのかしら?ビジュ的に」
「私は山田さんなら短いほうが好きです」
「1から10まで趣味真逆ねアンタ!てゆーかいいの、それはとりあえずどうでも」
ボソボソ発する瑪理の腰からナイフを抜き、手に握らせる彗。瑪理は眉尻を下げ俯く。
「で、出来ませんって…しっ、失敗したら、怒られますもん…」
「誰に?」
彗がキョトンとし、瑪理は恐る恐る上目遣い。誰にって…両親に。周りの人間に。店のスタッフに。みんなに…。
「怒んないわよ、誰も」
小首を捻る彗。樹もコクコクと首肯、その両目はキュッと瞑られていた。ウインクではない、下準備だ。配電盤が壊れたあとの停電の暗闇にそなえて。瑪理は彗と樹、そして東をオドオド交互に見る。
失敗してもいいのか?怒られないならやってみようか?どうせ失敗する、私はいつもそうだから。
挪亞のように明るくもない。寧のように前も向けない。彗のように自信もない。樹のように強くもない。匠のように話せもしない。藍漣のように堂々とも居られない。猫のように気も利かない。何も出来ない。駄目な奴。そう言われ続けてきたし、実際そうだった。そんなもんだ私なんて。そんなもん…そんなもん…
────本当に?
パンッ、とよく通る音がステージより響いた。東が手を鳴らしたらしい。集まる観客全員の注目、ハッとした瑪理も舞台に立つ東を見やる。ぶつかる視線。両手を合わせたポーズのまま東は不敵に微笑み、僅かに瑪理へと顎を引く。
東は瑪理から目を逸らさずに、台上に用意されていた道具をひとつ取った。おおきめのダガー。数回クルクルまわして、ナイフを持った腕を前に伸ばすと、ピッと反対の掌を切ってみせた。水を打ったように静まり返るフロア。息を呑む瑪理、隣で小さく‘痛っ’と彗の呟き。傷口から滴った血が東の足元へポタリと落ちると、それを合図に爆発的に沸くギャラリー。
解体役の医者はどこに行った?まさかこの男、手ずから腎臓を抉り出すのか?わからない。わからないが、とにかくなんでもいいのだ、面白ければ。そんなオーディエンスの熱気の中心で、東は笑顔のまま会場をグルリと見渡し、また瑪理へ向き直った。瑪理は唇を引き結ぶ。
‘アンタの価値って他人が決めるわけ?’
─────いや。いや、違う。
東が愉快そうにナイフを掲げると、客席の興奮がよりいっそう高まった。悪趣味な期待が会場を包む。ボルテージは最高潮。
「行け!ボブ!」
彗に背中を叩かれ、空気を揺らす歓声の中、瑪理も奥歯を噛み締め立ち上がる。
どうせ失敗するなんて、言い訳で。失敗してもいいように保険をかけていただけなんだ。罵られても傷付かないように。事なかれ主義でやり過ごせるように。
さっき彗が口にした、‘役に立った’の一言。嬉しかった。藍漣の褒め言葉も。駄目だなんて、そんなもんだなんて、全部言い訳で。本当は…
東が腕を振りかぶり、瑪理も同じく、腕を振りかぶった。寧と絡めた小指が熱くなっている気がした。短く息を吸い狙いを定める。
本当はずっと…
「───っ、喰らえ!!大殺三方!!!!」
成功させてみたかった。
呪言と共に放たれたナイフは瑪理の指先を離れて綺麗な軌跡を描き、観客達の頭上を飛び去ると配電盤のど真ん中に吸い込まれた。Bull。電気系統がショートしホールは暗転、演出なのか事故なのか判断をつけられずザワつく人々。瞼を開く樹。
視える。
機材を足場に飛んだ。席の仕切りや人の頭をいくつか踏んで左奥のロージェへ。数人居た黒服を片端から瞬時に殴り倒し、状況を把握しようと手摺りから身を乗り出している支配人の襟元をひっ掴むとそのままステージ中央へ引きずり落とした。床に後頭部をぶつけてのたうち回る男へ蹴りを1発、仰向けの胸を踏みつける。そこで樹は‘しまった’という顔。
伝える科白をキチンと考えていなかった。
微妙な表情で固まる樹の姿は暗闇のおかげで男から見えていなかったが、無言のままでは話がおかしい。思考を回転させる。どうしよう。どうする。ええと、ええと。
「あー…お前が、主催者…だな。花街、とか…色々にも、薬流れてる。女、消えたり…みんな、迷惑してる。困る。管理、出来ないなら、もうやるな」
─────下手くそ過ぎる。
しかし他に述べようも無かった。相手が黙りこくるのでどうしたもんかと樹が逡巡していると、もう暗所に目が慣れたらしい東がトコトコ寄ってきて男の右耳朶をダガーでピッと削いだ。男は小さい呻き声を出すも返事をしない為、左耳朶も遠慮なく頂戴。ブレードの腹でピタピタと頬を叩き朗らかに確認。
「懂了吗?」
ん?東、なぜ北京語?しかも普段よりガラが悪い。疑問符を浮かべる樹の足の下、刃先が鼻の頭へ滑らされる直前でやっと了解した支配人。‘なんかやったらまたくるからね’とダメ押しし、そいつをそのままステージに残すと2人は観客に紛れて彗と瑪理のもとへ。東の傷口に顔をしかめる彗。
「東、掌痛くないわけぇ?」
「いったいよ!!泣きそう!!俺、打撲は得意だけど切り傷ムリなのよね」
泣きそう、と言いつつケラケラ笑う。‘打撲は得意’もよくわからないが。瑪理がくれたハンカチを傷口に巻く東へ訊ねる樹。
「東、ハイじゃない?」
「スプライ以外も貰ってしこたま喰ったから元気でちゃって♪プラセボと間違えたかもって疑った手術係が何個か自分で試して舞台裏でブッ倒れたよ、幸运幸运」
だから東は単独で出てきたし、主催者もアタフタしていたのか。ちょっとやそっとの薬では東に効きはしない、しこたまという表現はあながち間違っていないのだろう。樹は東のカーゴパンツのポケットへ視線を落とす。
「パンパンだね」
「お土産いっぱい入ってるから♪」
言いながら東がチラリと覗かせたのは多種多彩なドラッグに加え携帯電話が数台。上手い具合にオーガナイザー側の人間の物をパクってきた模様。実際問題オーナーが大人しくなるかどうかはまだ不明…諸々の情報を抜いておけば事が起きても次は対処が簡単になると舌を出す。
「東さん流石です!!キマってますね!!」
「キマってるの意味違くない?てかぁ」
パチパチと拍手をする瑪理の肩を小突いてツッコむと、彗は笑って拳を持ち上げる。
「アンタも相当キマってたわよ。ナイス、瑪理」
樹と東も片手をあげた。瑪理ははにかみ、ボブは嫌ですってとボヤきつつ、それぞれの手に拳をコツンと当てた。
非常灯が点り照らされる舞台、へたり込むのは両耳が血に塗れた重ため黒髪ショートのオッサン。彗は礑と東を仰ぐ。そういえばヅラが無くなっている…アイツに被せてきたのか…‘俺の方が似合うでしょ’とウインクする東へ苦虫を噛み潰したような形相を返す。
茫然とする男を見て、オーディエンスは声をあげた。悲鳴───ではない。喝采。これは意図的なサプライズだった、との解釈。
東は再度手を叩いた。リズミカルに数回。それを皮切りに人々は次々手拍子をはじめ、ついには割れんばかりの大音量へ。内臓を抉り出すお膳立てのコール。大勢の期待の眼と声援に晒され、ステージでオロオロと青ざめる主催者。カルト的な熱狂。盛り下げる訳には絶対にいかないトップバッターがこの場をどう切り抜けるのか気になりはしたが───見届けるのは今回の任務の範囲外。混乱に乗じて、4人はホールをあとにした。