テイクバックとイーグルアイ・前
陰徳陽報14
「きた」
イベント当日、宵の口。
食肆で液晶を眺めていた樹は、短く発するとスマホをテーブルに置いた。四方から微信内容を覗き込む面々。東が寄越したメッセージに記載されていたのは建物の住所、どうやら祭りはそこの地下で開催されるようだ。顎へ手を当てる猫。
「やっぱ富裕層地域だな。あの辺、んなデケェ会場あったか?」
サンプル画像に映っていたフロアはそれなりの広さだった、地下というのだから普段は隠されているのだろうけれど───続けてもう1通受信、〈未找到龍頭〉。断片的な情報を繋ぎ合わせるに、ホールの管理人とイベントを取り仕切っている主催者は同じ人物らしいが…それが誰かまでは判明していない様子。もう1通受信。追加情報かと思いきや、眼鏡に手足の生えた妙ちきりんな生き物が陽気に踊っているGIFスタンプ。全然いらない。猫があからさまにムカついた顔をした。
「あれ?その場所知ってるかもです」
樹が踊る月餅のGIFスタンプでも返そうかと悩んでいると、ビル名を目に留めた瑪理が身を乗り出す。
「SMキャバクラの変なオーナーが使ってた店舗では」
「お前SMにも居たのかよ」
「フッ、伊達にクビになりまくってる訳じゃありませんよ」
「ドヤんねぇでいいから早く話せ」
炒魷魚を得意気に語る瑪理へ説明を促す猫。聞くに、瑪理は容姿を買われてそのSMキャバクラへ──女王役ではなくあくまで客に酒を注ぐ普通のキャストとして──スカウトされたものの、富裕層地域の客には当然の事ながら医者や金持ちがめっぽう多く、雰囲気に怖気づき上手く対応が出来ず、なかなか馴染めなかったので首を切られたと。‘インテリこわいです’と下唇を出した。
「だけど私がクビになったあと、お店自体もけっこうすぐ畳んだって聞きました。過激さがウリでもあり非難されてもいまして。でもハコは残ってるはずです。もともとショーの為の舞台とかありましたから、ちょっと改装して使ってるんじゃないですか?オーナーも変わらずに」
SM趣味のオーナーは店舗経営者からVIPだけを招待するイベントのオーガナイザーへと華麗に転身したようだ。写真はねぇのかと訊ねる猫へ瑪理は首を横に振り、名前や髪型は変えていると思うけど顔自体にきっと変化は無い…見ればわかるはず…などとブツブツ悩みはじめた。
「どうしましょう私も行けばどの人かお教え出来ますが明らかに足手まといなので樹君にお手間かけさせる訳にはいきませんしどうにか伝えられる手段はありませんかねでも似顔絵ヘタなんですよね私本当に役立たずですいませんもう玉砕覚悟で共に乗り込んだらいいでしょうか用が済んだらお役御免ですから樹君は有事の際には私を盾に」
「うぅるっさいわねアンタはグチャグチャと!!蓮なの!?」
「痛いっ!!」
読経の途中で彗が瑪理の後頭部へと手刀を喰らわす。蓮が大層ビックリ及びショッキングな表情をみせるも特にそこへは意識を向けていなかった彗は、‘グジグジしてんのは吉娃娃だけで充分なの’と非情な追い討ちをかまし瑪理に詰め寄った。
「行くなら行く!ハッキリしなさいよ!」
「だって…お供が私なんかじゃ荷厄介で…」
「だからぁ。瑪理が行くっていうならさぁ」
まごつく瑪理の襟首を両手で掴んで、鼻先をくっつける。やれやれといった雰囲気は全く隠さず、しかし、励ますように告げた。
「彗も行ったげる」
そしたらダイジョブでしょ、と強気に放つ彗へ瑪理は目を白黒させる。
「え、いや、でも、そんな」
「大丈夫。彗は頼れる」
【東風】から持参していた東のフーディーをダブダブと羽織りながら返答する樹。猫がクツクツと笑った。
「面倒見いいじゃねーか、彗」
「当たり前でしょ猫目。彗は姐姐の妹なんだから」
得意気に言って、彗は藍漣を見やる。紫煙を燻らせつつ一連の流れを見守っていた藍漣は口角を吊り頷いた。
「そうだな。イイ報告楽しみにしてるよ」
「当然!姐姐は安心して待ってて!」
蓮の着ていた上着をガッと剥いで袖を通す彗、‘XO醤の匂いがついてませんか’とアワアワする吉娃娃を無視してフードをかぶる。樹はついでに持ってきておいた東のキャップを真理の頭へと乗せた。ヅラとまではいかないがフーディーも帽子もささやかな変装だ。入口を出る樹の後ろ、颯爽と歩き出す彗に手を引かれて瑪理も覚束ない足取りで付いていく。
「彗」
扉を閉める直前、彗は藍漣に呼ばれ振り返った。目が合うと藍漣はニッと笑って悪戯に依頼。
「東のこと、よろしくな♪」
1番頼まれたくなかったお願い。愉しそうな藍漣とは正反対に彗は悲壮な面持ちで数秒固まり、唇をへの字に曲げると、‘交给我’と喉の奥から苦々しく絞り出した。