リクルートと過小評価
陰徳陽報13
食肆ボックス席。
トバしの携帯を耳へ当てた匠が唇に人差し指を添える。営業後のフロア、かすかに響くコール音。1回、2回、3回。翌日の食材の下拵えをしていた蓮は中華包丁を握り締めたまま厨房から様子をうかがい、瑪理も寧も横で固唾を呑んでいた。東が‘そんなに緊張しないでよ’とヒソヒソ笑う。
「知らない番号は出ねぇかもな…あっ」
匠が呟いたタイミングでちょうど電子音が途切れ、聞こえてきたのは不機嫌なトーンの男の声。ニッと口角を上げ、わざと狼狽の気色を混ぜて喋りはじめる匠。
「すいません、えっと、僕、ボブさんの下でスプライ撒かせてもらってたんですけど。あの、ボブさん急に連絡つかなくなっちゃって…そーゆー時はここにかけろって言われてたから…」
ハードラックボブ事変は知らない体。薬のバラ撒き要員を装い、通話を切られないうち間髪入れず矢継ぎ早に発する。
「ボブさんどうしたんですかね?僕そろそろ手持ちのスプライの在庫増やしたくて。あと、ボブさんが探してた感じの人見付けたんですよ」
すると男は数秒考えたのち、スプライやボブの話題はなあなあに、‘探してた感じの人’についてを険のある物言いで訊き返してきた。尋ねなくてもわかっているだろうに…通話口の向こうのこいつは、ボブが捕まえた獲物を引き渡していた先。オーガナイザー側の医療関係者なのだから。匠は口角を上げたまま、オドオドとつっかえつっかえに説明。探していた理由も知らない体。
「や、僕もわかんないんですけど。なんか、頼まれてて?金が入るなら何でもする!って感じのジャンキーがいたら紹介しろ、って。んっと…」
東をチロッと見た。一息で言った。
「ドラッグばっかやっててギャンブルも大好きだし飲み屋でもツケだらけで追い込みかけられててヤバいけど金借りようにも友達居なくて首が回らないから内臓売っぱらおうが何しようが今すぐ大金欲しいってゆーいつもピィピィ鳴いてるガタイいい奴です」
出演者候補としての要点、全部盛り。‘友達居なくて’の件でのみ、一瞬‘ごめん’という仕草をみせた匠に、東はスンとした面持ち。
えぇ?匠ちゃんったら‘ごめん’そこだけぇ?けれど、応募よりボブ経由の推薦の方が筋道は通るが、推薦役と出演役の両方を東がやっては当日に勘付かれるかも…との理由で取り次ぎ係を匠に引き受けてもらった手前、やりかたに文句は言えない。てか概ね合ってるしね!その紹介文ね!無言で成り行きを見守るジャンキー。
訝しみつつ耳を傾ける男へ、山茶花やここ最近の製薬会社関連のあれこれをフンワリと語る匠。業界をそれなりに知っているアピール。無論スプライに関してもネタはある。ポツポツ会話するうちに匠がボブの下の者だと納得したらしき男は、そのジャンキーを指定日時に呼び出しておけと要求。城砦隅の雑居ビル。‘現場スタッフ’の欠員補充ですぐ働いてもらうことになる可能性が高いと付け足した。あえてたどたどしく内容を復唱し、どう?と目で問う匠へ東はOKサイン。
匠の話しぶりや仕草を食い入るように見詰める瑪理。相手に警戒心を抱かせないための芝居とはいえ、下っ端風喋り口がやたらに上手。しかしキョドった素振りに反して愉しげな表情、指の間でクルクル往復させ遊んでいる煙草などなど、全く合致していない口調と動作。何とも演技派…私もキャバでこれくらいやれたら売り上げ伸びるのに…。と、眼差しに気付いた匠がウインクを飛ばしてきたので、瑪理は素早く眼前で両手をクロスし陽キャのオーラによる焼死を未然に防いだ。
「明後日か」
「そー。タイミング良かったみたい」
スツールに腰掛ける東の首へ後ろから腕を回し耳元で尋ねる藍漣。相槌を打つ東の隣で顔面をクシャクシャにする彗に、‘東さん羨ましいですねぇ’とボヤきつつ瑪理は龍井茶をだした。
様子を伺いにきた彗や藍漣も交え、みんなで夜食をつまみユルユルと作戦会議。
指定の雑居ビルは貧困区だが、金持ち連中がフィールド外でそんなイベントをやるとは考えづらい…集合したのち富裕層エリアの会場に移動する手筈と予想。待ち合わせが街の端なのもそれを示唆している、上流地域へ行くには車で城砦の外側を回るほうが便利だし、車両に乗り込んでしまえばあまり姿も晒さずに済む。顔合わせとショーは同日。通常いきなり本番ということは無いのだろう──演者側もさすがに躊躇するはずだ──が、今回は欠員が出ていることに加え、こちらからも事前に応募者の情報を与えておいた。男の‘すぐ働いてもらうことになる’との言を鑑みると高確率で即採用。もしも怖気づいたキャストが土壇場で駄々をこねてもスプライをはじめとしたラムネを山程ブチこんでしまえばいいだけだ、ハイになっている間に事を済ませてしまえば冇問題。開催場所がわかり次第東は樹へ微信を送り現地で合流、計画はアバウトにそんなところ。
「東、気ぃ付けて行けよ?お前は弱っちいんだからさ」
「樹も来るし大丈夫。多謝ね」
左耳朶にカプカプ噛み付く揃いのピアスへ柔らかくキスする藍漣。その髪を撫でる東の隣で口からエクトプラズムを吐く彗に、‘私もチューやってもらえませんかねぇ’とボヤきつつ瑪理は鶏蛋巻をだした。
「へも、顔バレひゃうへ」
「猫にカツラ借りて変装するとかはどうだ」
「空ちゃんのやつでしゅか」
「空のはマズい流石に」
取り分けられた鶏蛋巻をハムつく樹の発言へ返答する藍漣と蓮。東は両名を即刻制止し、借りるなら空以外のウィッグにしようと折衷案。黒髪ショートならまだしもロングはよろしくなさ過ぎる、もはや映えないどころの騒ぎではない。
「モサメガネのヅラは置いといてさ。出演する人達ってすごいわよね、腕切ったり脚切ったり…新しいの生えてくるってモンじゃないのに…何考えてんのかしら」
彗が鶏蛋巻を齧りつつハテナマーク、取り返しつかないじゃん?と小首を傾げる。瑪理はテーブルの菓子を追加しながら力無い笑み。
「何も考えてないんですよ。先の事なんてどうでもいいんです。そもそも自分に先も価値も無いし、って思ってるから。価値の無いものに値段がつくなんて凄いじゃないですか」
出演者達にはそれぞれの事情があり、全員の気持ちは当然ながらわからないが───スプライの方面から参加してきた者の気持ちは、いくらかわかる。‘どうでもいい’のだ。もしかしたら対価として手に入る金すらどうだっていいのかも。無価値な自分に目玉が飛び出る桁の価値がついた、その瞬間こそ、報酬なのかも。
瑪理の言い分に彗はふぅんと生返事をし、抑揚なくポツリ。
「アンタの価値って他人が決めるわけ?」
独り言と呼んで差し支えのない声量。実際、発してすぐ彗は厨房へスイーツのおかわりを取りに行ってしまい、自分の台詞を気にする素振りは微塵も無かった。
問い掛けには非ず。単に、なんとはなしに、こぼれた疑問。ただそれだけのもの。だが耳にした瑪理は下を向く。胸元のネックレスが視界に入り、暗い溜め息が漏れた。
‘瑪理’なんて大層な名前をもらって教会から施しを受けた日が、私の人生のピークだったかな。両親にも‘役に立つ’と思ってもらえたんだろうか?産まれた時は。役に立つかもと産んだ子が、そのあとなんにも役に立たなかったら、そりゃあ要らなくもなるだろう。意味が無いんだから。
要らない子。
瞳を閉じ再び溜め息。俯いて黙りこくるその服の裾を、幼い手が引いた。
「…寧ちゃん」
振り向いた瑪理へ返事はせず、寧は、瑪理の小指と自分の小指をキュッと絡める。重なる視線。触れ合う肌から互いに伝わるほのかな体温に、2人は自然に頬を緩め、どちらからともなく笑顔を作った。