ボブとマーリー・後
陰徳陽報11
北金楼。治安が悪いといえば悪い、悪くないと言えば悪くない、半端な1角にあるビル。入居しているのも特筆すべき点はない雀荘。
猫がドアを押して入ると、中にいたギャンブラー達の注目がにわかに集まった。箱はまずまずの広さ、卓数も充分。ヤニで薄茶けた壁に貼ってあるルール表、‘口約束の借金は各々キチンと自分で処理を’。ひとまず店内を見渡してみたが───すぐに視線は最奥の卓へ釘付けに。連れらしき2人と牌を囲む、長めのドレッドヘアで葉巻の浅黒い男。
いやいやいや。あれじゃねーか絶対。露骨にボブM過ぎる、あそこだけジャマイカの風が吹いてんな。主張が激しい割に隅の席なのは助かるけど…それとも、だからこそ席は隅なのか…。半分どうでもいい事を考えつつ猫が振り返れば燈瑩は唇を横に結んで天井を仰いでいた。若干揺れている肩、堪らえる笑い。その腹を肘で小突いて、猫はズカズカとドレッドのテーブルへ近寄るとひとつ空いていた椅子へ雑に座って横柄な打診。
「三麻じゃしょーがねぇだろ。混ぜろよ」
怪訝な表情のボブとその他2名だったが、‘レート何でもいいぜ’と吐き捨てた猫が懐から500香港ドルの束を出すと眉間の皺を消した。
仲間内3人で打っている卓にピンで突っ込むなんてカモになりに来たようなものだ、よっぽど打ち筋に自信があるのか?金を凝視する男達の疑問はそんなところ。猫は札を指で弾き‘余ってんだわ’とかったるそうに放つ。牌を混ぜて積み込み終わる頃、カウンターでコーヒーを貰っていたらしい燈瑩がのんびりご到着。手近なソファに腰掛け、愉しそうに場を覗き込んだ。猫も口角を上げると1打目を切る。
摸打の間に無駄話。お薦めの裏カジ、お薦めのヘルス、お薦めの────
「クスリは?」
サラッとした猫の問いに反して、どうにも、空気がピリついた。猫は意に介さず打牌しおもむろに煙草をふかす。合ってるっぽいな…眼鏡の見立て…そう踏んで、ドラッグの話題は局と一緒に早々に流した。
ゲームをこなすうち、また、段々とピリつく空気。けれど今度はネタのせいではなく。
勝てないせいだ。1戦も。
3人がグルになっているにも拘らず、1度も猫に勝てない。しかし誰かが大きく負けている訳でもなく、スコアは開始からここまでひたすら横這い。互いにイカサマを仕掛けているのだから文句はいいっこなしだが、こんなに上手く調整されてしまうと…苛立つボブが貧乏揺すり。
猫は後ろで寛ぐ燈瑩へ煙草の空パッケージを振る。‘俺ももう無いよ’との声と共に口元へ出された吸い差しを銜えて受け取り、目の前のドレッドを見詰めた。
この男がボブ───は、そうだとして。接した所感、胴元にしちゃ言動が雑魚い。まだ上が居んのか?面倒だな。さしあたり、この場はこんくれぇで切り上げるか。唇の端から煙を吹いて自摸。
「俺ぁ抜けるわ、煙草もきれたしな。糊」
宣言した猫がさらした手牌は一色雙龍会。驚愕するボブとその他へ猫は悪ぃねと口先で謝り、人懐っこい笑顔。テキパキ金を回収し腰を上げる。場代を相場の数倍カウンターへ置いて店を出て、東に微信。〈中〉。いくらかするとホットコーヒーのおかわりを持った燈瑩が遅れて付いてきた、紙コップから昇る湯気。
「おっせぇよ燈瑩、呑気か」
「ゆっくりしてあげたほうが向こうも追ってきやすいでしょ」
「俺が煙草吸えねぇだろ」
「え、ほんとに持ってないの?」
「お前と違って猫様は正直者なんだよ」
「もう嘘じゃん」
言いながら燈瑩は上着から新しい箱を出し猫にパス。煙草が無いは卓を抜ける口実…ボブを穏便にデートへ誘う為だ。
ダベりつつ歩いて5分かそこら。貧困街区、ひいてはスラム方面へと向かう途中、敢えて選んだ陰気臭い路地裏で足を止めると猫は後ろを見やる。
「お疲れサン。来てくれてどーもね」
声を飛ばす先には予想通りの3人組、ボブと右左。ヤツらとしてはイカサマや煽りへの文句等々がメインかも知れないが…こちらとしてはそれはただの餌なので論点ではない。白煙と言葉を吐き出す。
「撒いてんだろ、スプライ。胴元ん奴のこと聞きてぇんだけど。あとなんだっけ、パーティー?イベント?」
ボブの表情が曇る。訊かれたくない話題ということ。スプライを辿りボブまで行き着く相手はまず居ないのだろう、ましてや伏せてあるはずのイベントにヌケヌケ言及してくる一見客などは議論の余地なく厄介者。教えることは無いとの意思表示か、右側の輩がせっかちに殴りかかってきた。
燈瑩はその足を軽く払う。地面に倒れ込んだ男の側頭部を靴底で踏み付ければ、ペキッと頬骨あたりが折れる音。同時に向かってきていた左側の輩へコーヒーをかけた。目にでも入ったのか普通に熱かっただけなのかは知らないが、男が両手で顔を覆ったので、髪を引っ掴んで真横の石壁にブチ当てる。そのまま50cmほど擦ると耳から頬らへんの肉がザリザリ削れ、コンクリートが刷毛でペンキを塗ったように赤くなった。悲鳴をあげる男を地面に捨てると、中身の消えたカップを残念そうに見る。足元に転がった2人にはまるで興味を示さない猫が燈瑩へと肩を竦めた。
「あとで新しいの買ってやるよ。つうか下っ端には用ねぇんだわ、んな詳しく知らねぇんだろ?ボブ以外は」
ボブに視線を移し気怠げに発する。狼狽したボブがゴニョゴニョと何か口走り、猫は羽織の下の脇差しへ手を添え低く唸った。
「ハッキリ喋れっつの。使えねぇんならベロ引っこ抜くか?現世で抜くか彼世で抜くかの違いだろ」
確かにどっちみち抜くのは閻魔である。吹き出す燈瑩の腹を猫が再び肘で小突いた。と、その一瞬の間を好機と見たのか、ボブが踵を返し路地の向こうへと全力疾走。
「おい待てコラ!」
猫は瞬時に鞘から出した刀をボブへ放る。太腿にザックリ刺さり、よろけたボブは道の脇のゴミ山の中へツッコんで埋まった。余計な世話かけんなと愚痴りつつボブへ歩み寄る閻魔。周りのゴミ袋を少し足でどかし、首根っこを引っ張って起こそうとしたものの───起こせなかった。どこかが引っ掛かっている。燈瑩も近くへ来た。もう少しゴミ袋をどかす。頭が全部見えた。
ドレッドの間から、ニョキッと、細い鉄の棒が生えていた。
建物の外壁よりハミ出した鉄棒がゴミに隠れていた所へ、ちょうど倒れ込んでしまったらしい。ハードラック。左こめかみから反対側まで見事に貫通し、血こそ殆ど出ていなかったが、正直…どう見てもアウトだった。
「はぁ?死んでんじゃねーか!ちゃんと答えて死ねよ!」
「猫がやったんでしょ」
「コイツが勝手にコケたんだろ」
「刺したからじゃん」
ニャアニャア文句をつける猫の後ろ、‘死んでんじゃねぇか’に反応したボブの連れ達が慌てて起きあがり逃げ出そうと身を翻す。燈瑩は振り返りざま、その後頭部をふたつとも撃った。こうなったらもう要らないので…目撃者は居ないほうが吉。ボブのポケットを弄りスマホを拝借。
「まーいいじゃない、本人より携帯のほうが喋ってくれるよ」
甘やかに微笑。猫は‘そういうツラは俺じゃなくて瑪理でも宥める時に使え’と茶化し、吸い殻を揉み消すと、小さく喉を鳴らした。