ボブとマーリー・前
陰徳陽報10
挪亞がくれた情報はスプライを扱う売人達のもの、くわえて、胴元らしき人物の特徴。しかし重要な役どころの人間は表立った場所には出てこない、挪亞に対しても何人かクッションを挟んでいた様子。元締めはどこに潜んでいるのか───彼女から得た話をもとに方々より足跡を辿っていく。
「挪亞ちゃん、新しい街で頑張るってなったみたいで良かったです」
夕方の食肆、いつものメンツへ花茶を淹れながら瑪理が笑んだ。上は首を傾ける。
「ん…上手く行くかは本人次第やけど…」
「お薬関係のトラブルのことですか?九龍を出れば平気なのでは?」
「あ、いや、色々大変やん新生活っちゅーのは…せやから…」
尋ねる瑪理にまごつく上。心配したのは、トラブルというより薬をやめられるか否かの部分なのだが…挪亞は‘瑪理にはジャンキーとは言っていない’とのことだった。返答に窮しオタオタする上にそれとなく空気を読んだ瑪理は、踏み込まず、‘みんな色々ありますしね’と頷く。
「上手くいくといいな。挪亞ちゃんは明るくて、可愛くて、一緒にいると元気になれる素敵な子だから」
その瑪理の台詞に、上の記憶へ浮かぶ挪亞の姿。アタシのどこが良いんだろね。そうボヤいていたが…彼女は、本人が思うより魅力的な女性なのだ。周りの人々を元気づけてくれる明朗さがある。だからこそ、真面目クンな彼も腕をとったのだろう。同じく‘上手くいくといい’と胸中で願う上の隣、猫が気怠そうに首を回した。
「で、いいネタ掴んだんだろ?メガネ」
「どーかしら。ハズレでも怒んないでね、猫にゃん」
「怒んねぇよ」
「殴るけど?」
調理の手を止め厨房から出てきた東へ、猫はポワッとパイプの煙を丸く吐き出す。マル、つまり‘正解’。やだぁ…猫パンチ、なかなか痛いのよね…東は唇を尖らせながら解説。
「んとね。あの薬、ジャンルは確かにテンション上がる系なんだけど、どっちかってとメンヘラっぽい子に効きそう」
「っちゅうと…なんや?どないなん」
「普段は軽い雰囲気でも実は病んでますぅ、みたいなタイプのさ。まー、強くなった気になれるっちゃなれるのかな…地下格闘の奴らは他とチャンポンして使ってるのかも…あ、成分わりかしイイけど、製薬会社は絡んでないと思う。生首ヤったばっかだし」
東の説明に上は理解したようなしてないような表情。ぽやんと疑問を口にする。
「よぉ細かい効能わかったやん、自分」
「喰ったもん」
「やろな。聞いた俺がアホやったな」
「身を挺してるの!労ってもらえます?」
スンとした目付きの饅頭をあしらい、東は話を続行。
先日行われた酒のイベントで撒かれていなかったのはターゲットが絞りきれないせいと推測。アルコールとドラッグの相性はもちろん抜群なので売り捌くだけならどこでも支障は無いが、恐らく陽キャを釣り上げたい訳ではないのだ。故に最初にあたったガールズバーでは概要が掴みづらかった。とはいえ、狙いの獲物が回遊するのはやはりネオン街。餌に食いつき捕まった魚を卸す先───そのなかのひとつがパーティー?
「そっち系統の薬扱ってるルートとスプライのルート照らし合わせて、怪しいヤツ見付けてみた。挪亞ちゃんからの情報が役に立ったね♪」
「んじゃそいつ押さえてみっか」
タバコを揉み消す猫の後ろで入り口の扉が開く。振り返った視界に、貴州茅台を持った燈瑩が映った。
「お?燈瑩良いタイミングで良い酒持ってきたな?よこせ」
「え、蓮君にあげるつもりだったんだけど。老人会で貰ってさ。食肆で出すかなって」
「あそぉ。あぁ瑪理いらねぇよグラスは、このままいく」
「いきなり全部飲む気じゃん」
カップを用意しようかと動いた瑪理を制して酒瓶の封を切る猫は‘会計つけてやりゃいいんだろ’と袖口から札束を抜き、数えもせずテーブルに置いた。燈瑩はそれをレジスターまで運ぶ途中、所在なさげ───というより挙動不審な瑪理の肩を叩く。
「ありがと、座ってて大丈夫だよ」
「ギャッ!!すみません、靚仔の方はもう少し離れて!!」
悲鳴とともに飛び退き東の後ろへ回り込む瑪理、警戒態勢。パチパチまばたきをする燈瑩へ‘陽キャも近寄っちゃ駄目なんだぜ’と匠が助言し、‘俺は近寄れる’と樹がまたもやしたり顔。腕を組んで瞑想する東。
樹は無口なだけで陰キャということもないが…てか瑪理ちゃん、燈瑩にはキョドるのに俺には俄然寄ってくるな…やっぱ‘カッコいい’ってのは外見じゃなくてスロとか料理の技術についてですね。いいけどね?俺は藍漣にさえ褒めてもらえればね?
「それに猫にゃんも言われてないし!!」
「なにをだよ」
「猫さんは美人なので枠が違います」
「瑪理ちゃん、頭の中読めるのぉ?」
片眉をあげる猫を示してチチッと指を振る瑪理、ピィピィ鳴く東へ猫が呆れた視線を投げる。
「いーから、メガネはそのプッシャーの名前と居るトコ教えろ」
「夜ならだいたい北頭道寄りの雀荘。北金楼とかじゃないかしら、名前はボブM」
「は?」
「うははっ!ウケる!麻薬でボブでMって、マーリーのMだろ」
「えっ私ですか」
東の回答を聞き返す猫、匠が笑って挟んだ言葉に‘私プッシャーじゃないです’と瑪理は手の平をブンブン振り、違う違うと匠も手の平を振り返した。
「レゲエのほうじゃね」
「でもレゲエのボブ大哥は大麻でしょ。ボブMさんったら、ボタニカルとケミカルごっちゃにしないでほしいですぅ」
「ぁんだよフザけた名前使いやがって。ボブ居るか、って訊くのか?」
謎のこだわりをみせる東を横目に猫は心底ダルそうなオーラ。閃いた!といわんばかりに樹が発案。
「じゃあ【宵城】のBGM、レゲエに変えよっか」
「したら看板もラスタカラーにしよーぜ」
「くはっ」
‘じゃあ’にはどう足掻いても繋がらない不可思議アイデアに匠が乗っかり、イメージした燈瑩が失笑。城主の鋭い眼光が刺さる。
「黙れヤクザ、とっとと行くぞ」
「黙ってたじゃん。ていうかもう行くの?今来たのに」
「良いタイミングつっただろ、どっちみちテメェ呼ぶつもりだったんだわ」
飲みかけの酒瓶を持って立ち上がり顎をしゃくる猫へ燈瑩はクスリとし、‘ご指名いただき光栄です’と軽口を叩いて会釈。
もしかしたら行ってこいと蹴り出されるかも知れないと案じていた東は、【宵城】の新装飾をどうするかで勝手に盛り上がる樹と匠を眺めつつ、静かに胸を撫で下ろした。