ドタキャンと‘もう1回’・前
陰徳陽報8
ネオンの灯り始めた花街。
メイン通りから離れて、ちんまりした広場。ベンチにぽつねんと座る上は独り言。
「…来やんな…」
待ち合わせに挪亞が来ない。
仕事前に時間取ってくれるて言うとったけど。微信が返ってこん、既読もつかん。昨日までやり取り出来ててんから安心しとったが…ドタキャンかな、これは…どないしよ。店に行ってみよか?ウザいやろか。でも話ぃ聞かんとやし。困った。
悩みながら1時間、1時間半、2時間。押し掛ける形になるため気は進まなかったものの、他の手立ても無いのでやむなく馨檳大廈へ足を向ける。
階段を登って4階、ネオンの電飾がついた扉を開けばブースの中に前回とは違う受付係。在籍の女の子のパネル、ショコラは出勤───してる。しとるやん。すぐに入れますよとのスタッフの言に上は迷った末、指名。仕切られた小部屋へ赴きカーテンを引く。
「こんにち───…っ…!」
現れた顔に挪亞は挨拶を途中でやめ、目を見開き、それからバツの悪そうな表情。上は彼女が二の句を継ぐよりも先に‘来てもうてすまん’と謝った。
「ううん、アタシこそごめん」
うつむく挪亞。その腕はなぜか震えている。空調きき過ぎててんか?そない寒いゆうことも無い気ぃするけど…寒ないのは俺が太っちょやからなんか…思いつつ上は、ベッドで縮こまる彼女の肩へストールを羽織らせる。か細い挪亞の声。
「アタシ、待ち合わせ行くつもりだったよ。ほんとに行くつもりで…ほんとごめん…」
「気にせんでええよ、俺も大人しく待っとったら良かってんけど。なんかあったんか思て心配してしもて」
「んーん…すっぽかしたみたいになっちゃったから、既読つけづらくなっちゃったの…」
「さよか。うん、わかるで。あるわなそういうことも」
「やさしーね」
優しいというよりはいつもの過保護が出てしまっているせいだが…上は曖昧な返事をし、立っているのもなんなので、さしむきベッドの端に着座。適切な距離感。けれど、そんな心境はガン無視の挪亞が一瞬でピッタリと身体を寄せてきた。押し付けられるたわわな乳房。さっそくテンパる上の腕をガッチリ掴んで甘えた目付き。
「ね。ね。今日はさ、プレイしてくよね」
「いや、やらんやらん!やらんよ!」
「せっかくきたのに?」
「ええねん話聞かせてくれれば」
「店じゃ話しづらいもん。だからとりあえずさ?しよ?」
「いやいやいや!挪亞ちゃんやって仕事やし、やりたいわけちゃうねんから。な?前も言うたやん」
「アタシじゃ不満ってことなの」
「ちゃうちゃうちゃうちゃう」
「ならいーでしょ」
「それもちゃう!ほんま気ぃ遣わんでや!」
視線がカチ合って、静寂。近隣のブースから漏れる芝居がかった喘ぎ声に気まずさだけが加速する。と、突然立ち上がった挪亞が上へタックルの如き勢いで抱きついた。受け止めきれずそのままマットレスへ倒された上の鼻先に迫る童顔。ほんのり紅い唇の間から覗く八重歯、口元の黒子。
「じゃ───上くんとマジでヤりたい。って思ってたらヤってくれんの?」
安っぽいペラペラの寝具の下、安っぽいスチールの骨組みが軋んだ。また静寂。薄暗い部屋に途切れ途切れに響く古臭い店内BGM、AVさながらの喘ぎ声。動くに動けず真顔でフリーズしている上とのにらめっこに負けた挪亞がふきだした。
「っ、あはははは!嘘だよ!超からかいがいあるね!」
体勢を変え、上の隣へ仰向けに寝転ぶ。上はとてつもなく長い溜め息を吐くと、‘せやろ’と喉の奥からしぼり出した。ひとしきり笑った挪亞が目尻の涙を指で拭いつつ上へ向き直る。
「ほんと、真面目クンだぁ。なんでそんなに一生懸命なの?」
「すまんな…必死さ見えてしもて…もっとスマートにやれたらええんやけど。ダサいんは見逃してもろてええか」
再度溜め息を吐き、ひとつずつコツコツやるしかないからと上。器用でもなく、要領が良くもなく、口も上手くない。ならばせめて誠実に。嘘をつかず直向きに。そうすれば応えてくれる人は必ずいる───返答を静かに聞いていた挪亞がゆっくりと発した。
「損しちゃわない?今日もそうだし…嫌じゃん、損したら…」
それは上に向けての発言だったが、どこか、異なるニュアンスを含んでいた。上は唸って腕を組む。
「まぁ、損せんて言うたら嘘やけど。構へんねん別に。俺がやりたくてやってんから」
バカをみてもいい。損や得の問題でもない。自分に出来ることを精一杯やりたい。モニュモニュ言って‘つまらない事を喋り過ぎた’と頬を掻く上へ、挪亞は小さく懇望。
「明日さ。もっかい待ち合わせしよ?外で。必ず行く。絶対、絶対に行くから。お願い」
上が首を向けると彼女は両の掌を合わせ、お願い、と繰り返す。逡巡の後、提案を了承する上。安心したように目尻を下げる挪亞といくらか世間話をし、此度もたっぷりと時間を残して退店。受付係は何も訊いてこなかった、得la得la…‘早く終わった’言うんは恥ずかしいからな…スマホに集中するフリでそそくさとビルを後に。
そして翌日。




