ドランカーと好敵手
陰徳陽報3
「みんな可愛いですねぇ!!!!ここの女の子はぁ!!!!」
【宵城】VIPルーム、シャンパンの瓶をテーブルに勢いよく置いて瑪理が叫ぶ。猫は耳を塞いで眉根を寄せた。
「うるっせぇなお前、たりめーだろ俺が選んでんだからよ」
「そうですね!!猫さん全然酔ってませんね追加でロゼ開けますか!!」
「瑪理ちゃんお会計ヤバくないのぉ?4本目じゃない」
「全部使って呑むって言ったでしょぉ!?」
「痛いっ!!」
口を挟んだ東の横っ面にパァンと札束を叩きつけ、スタッフを呼ぶと泡物を追加する瑪理。本当にさっきの儲けを全て溶かす気か、あぶく銭といえばあぶく銭だが…思いつつ東は頬を擦る。それを横目に瑪理は唇をへの字に曲げ‘早く持ってきて下さいよぉ、お酒お酒ぇ’と机に突っ伏して泣き出した。目まぐるしい。
「友達の店が【宵城】だったなんてぇ…勝ち組ですよ東さん、勝ち組…」
「いや俺は何も勝ってはないんだけどね」
【宵城】の成功ぶりは猫の手腕であり、東は何ら関係が無い。なんなら毎度ツケを作ってしまっているのでむしろ負けである。でも繁盛に貢献してるのかしら、そうなると?ぼんやり考える東へ瑪理は‘仲良いだけで勝ち組だろ!!’と鬼の形相。図らずも般若と閻魔が揃ってしまった、地獄かな?
「そんな般若みたいな顔しちゃ駄目よ、せっかく可愛いのに」
「ふふっ…東さんは優しいですね…」
‘閻魔だけで充分だから’を飲み込んだ東に瑪理は空笑い、般若のほうが良かったかもとボヤく。
「だって私の名前、瑪理ですよ?マリアからとってるんですよ?耶穌基督のマリアから。ご大層過ぎる…ただの酒呑みに育っちまったっていうのに…ウウッ」
‘ただの酒呑み’と幾度も繰り返しながらテーブルを拳でバシバシやる様を大酒家が無言で見下ろしている。この女、ジャンキーではなかったがドランカーだった。
「こんな名前だけ残してぇ…自分等はとっととあの世へオサラバですよぉ…」
両親は酒タバコ色ギャンブル裏稼業なんでもござれの生活をしており、闇賭博でのトラブルである日ポックリ死んだ。あるあるですと瑪理は再び空笑い。手元に残ったのはこのネックレスだけと、首にかかった十字の飾りを爪で弾く。
「クリスチャンなのに随分だったのね」
クロスを眺める東へ瑪理は頭を振り、グラスをひと息で空け低い声で吐き捨てた。
「違います、熱心な教徒のフリすれば教会の人達がほどこしくれますんで。それ目当てですよ。私に瑪理って名付けた時は、他の信者さん達も色々‘お祝い’してくれたとか」
しょぼくれた、しかしそれすらどうでもいいといった態度で虚空に視線を投げる。男運も無い、恋愛も上手く行かない。女の子の方が可愛いし好き。でも、友達居ないんですけどね。いいことなんかなぁんにもなし。今日はスロット当たりましたけど、こんな大勝ちしちゃったら明日死ぬんだ───止め処なく紡がれるドマイナスな台詞。‘まぁまぁ’と東が肩を叩く。
猫はシャンパンを持ってきた従業員に託けてキャストを下げさせ人払いをすると、コルクを抜きつつ本題に触れた。ドラッグのこと、花街から女が減っていること、周辺の飲み屋のこと。
「お前、なんか噂とか聞いてねぇか。バイト先の店で」
「チラッとなら…たいした情報でもないですけど…良ければ色々探りましょうか?キャッシャーのファイルとか漁りますよ。役に立ちそうなの拾ってきます」
「あぁ?大胆だな?大丈夫かよ」
「平気です。どの道、もうすぐクビですし」
瑪理は親指をピッと動かし首元を掻き切る仕草。
「私、ネクラなので。あんま店の娘に仲良くなってもらえないんです。けど仕事も出来る訳じゃないし、固定客もつかないし、ヘルプもやれねぇ売り上げも立てられねぇじゃ店に必要ないんですよ」
猫さんならよくわかるでしょ?と、悲しげな笑み。猫は瑪理の横顔を見やる。わかる、わかるが───腑に落ちない感じもあった。この女、ツラは良い。スタイルも。華やかな夜の蝶だ、席につけば一見の客は色めき立つだろう。指名に繋がらないのは…性格だな、確かに。めっぽう暗い。呑み屋に来るような男は基本的に甘えただ、無償の癒やしや手放しの称賛を求めている。瑪理にはそんな男達を包むオーラがない。マイナス思考は生い立ちやこれまでの生活からくるものか。
「とにかく私、ガサ入れ、やってきます。猫さん…骨は拾って下さい…ウウッ」
「縁起悪ぃ奴だな。普通に帰って来いよ」
「善は急げなので今すぐ行きますね…」
「善じゃねーからせめて明日にしろ」
フラフラと立ち上がり出口へ向かう瑪理の背中に声を飛ばす猫。‘じゃあトイレ行ってきます’と平和的に行き先変更をしてドアノブに伸ばした瑪理の手は、けれどスカッと空を切る。前方に体重をかけていた瑪理は唐突に開いた扉の向こうへ傾き、転びかけ───ポスッと柔らかい物に受け止められた。誰かの胸元。
「へぇ?美人だな」
凛としたトーンに瑪理が顔を上げれば、これまた凛とした風貌の青年。男性…いや、でもこの感触は?もしや女性?
「あれっ、藍漣もう来たの」
「お前が‘早く会いたい’って呼ぶから♪」
はじめましてと瑪理の髪をひと撫でして、藍漣は目を丸くしている東に近付く。‘早く会いたいは言ってないじゃない’と照れくさそうに呟く頬へキス。
「なんだ。ウチの勘違いだったか」
「や、思ってはいたけど」
素直な返事に藍漣は満足気な表情を見せ、テーブルの酒瓶へ目線を移す。
「随分呑んでるな」
「瑪理ちゃんが盛り上げてくれてるのよ」
「ははっ!有り難いな!じゃ、ウチからも瑪理ちゃんに1本出そうか」
お礼にね、と微笑む藍漣は出口に佇む瑪理の元へ戻り再度髪を撫で、‘ロゼもらってくる’とバックヤードに足を向けた。ポカンとしていた瑪理が我に返って東へと詰め寄る。
「ちょ!!なっ、なんですかあの人は!?」
「え、彼女…」
「誰の!?」
「俺の…」
今夜食事の約束をしていたものの、飲み会が長引きそうだったのでさしあたり【宵城】へ呼んだのだ。藍漣もお酒好きだし…夕飯は蓮のとこから出前とってもいいし…と軽率に考えていたが。マズかったかな、とうっすら心配する東の襟首を掴む瑪理。
「め…」
「め?」
「めっちゃカッコいいじゃないですか!!私、あの人の隣座ってもいいですか!?いいですよね!!」
「あ、そっち?」
‘どうぞ’と頷く東。瑪理ちゃん、可愛い系統だけじゃなくてカッコいい系統の女も好きなんだ…良かった、藍漣を好いてくれて…ん?良かったのか?もしかして俺、またライバル増えた?
すでに彗という強力な好敵手に振り回されているモサメガネは、新たに現れた一筋縄ではいかなさそうな呑兵衛にグイグイとフードの紐を引っ張られながら、綺羅びやかな天井を悶々と見上げた。




