鶏蛋仔と萬屋・後
悠々閑々6
「地下格闘技といえばさ。東くんから何か聞いてない?ドラッグ関連の噂」
チョコレートフレーバー生地ダブルチョコ生クリームバナナ&チョコアイストッピングチョコレートソースがけを頬張る樹──これは新作ではなく定番メニュー、単に食べたかっただけ──へ店長は声を潜める。
薬関連の?最近は香港で揉めたアレくらいだけれど、九龍での生首や諸々の出処と地下格闘技は関係していなかったはず。そんなようなことを返答する樹、店長は腕組みをしうーんと呻った。
「このところドーピングがすごくって。対戦前にドラッグでテンション上げるなんて誰でもやってるけどさ、なんていうか…ちょっとその薬が強力というか…」
試合のバランスが崩れ過ぎちゃうと良くないんだよねぇと肩を竦める店長。ドーピング自体はなんら違反ではなくゲームバランスの傾きの懸念であるあたりがどうにも無法地帯だが、とにかく、東が揉めた製薬会社が卸していた薬物はそういう類の効能ではない。であれば地下格闘界隈で流れているのはまた別のルートから来た代物だろう。一応東に話しておくと答える樹に店長は拝謝。
このワッフル屋、こう見えて、存外裏社会を渡り歩いている。陳と同じくかなりの年数を九龍城で暮らしており、長年住んでいるうちにマフィアや半グレ集団との関わりも増え、現在もそれなりに付き合いがあるとか。元来お祭り好きで喧嘩好きな性分…さもありなんという感じ。
若い頃は城壁の周りにわんさか放置されていた死体をトラックで運んで撤去したりしてたよ!葬式なんて出来やしないから教会の牧師に来てもらって!と笑って昔話。彌敦道で警察と衝突しバスを燃やした事件や撈家と共にストリップショーを宣伝し回った思い出をひょうきんに語り、贔屓にしていた夜の蝶について惚気け、‘実は今でも妮娜姐さんの店には通ってる’と真顔。もうおばあちゃんだけどまだまだ可愛いと力説。
九龍のストリップ劇場は城外でも有名だが、実は本質はそこではない。隠れ蓑として機能しているのがこういった施設で、立ち寄った人々が本当に愉しむのは阿片やその他の麻薬、違法賭博、犬肉食。舞台演劇などにかこつけてアヘン館や賭博場を開く場合もある。この手口は特段新しい物でもなく、既に数百年の歴史が存在していた。
「壹零捌館の改修には1枚噛んでてさ。隣の犬肉屋の火事に巻き込まれて燃えちゃった時、建て直ししようって周りの連中が盛り上がったから参加したんだよね。もちろん誰も建築士の資格なんか無いよ!でもそんな物なくたっていいのさ、政府への計画や設計図提出の義務も無いんだし。適当に並べて建てれば建物同士が互いに寄り掛かって、杭も打たずにドンドン造れちゃうんだから!崩れたりなんてしないよ、丈夫なもんで。計算よりも経験だね」
あの時は腰なんて痛めずにいくらでも動けたんだけどなぁと唇を尖らせる。ウン十年前の出来事。しかしこの男、本当にお祭り騒ぎが好きである。ちなみにその際ノリで造りあげたニュー壹零捌館は今でも健在、空き部屋無しの人気物件。
九龍城砦について知らないことがたくさん…というかむしろ知っていることのほうが少なかったりするのか…ホワイトチョコフレーバー生地ダブル生クリームイチゴ&イチゴアイストッピングストロベリーソースがけを頬張る樹──これも新作ではなく定番メニュー、単に食べたかっただけ──は思案。実際に、仲間内で自分は九龍に来てから日が浅いほうなのだ。種々の話を聞くのは面白い。鶏蛋仔を吸引するかたわら、萬屋はとりとめなく駄弁る店長にひたすら相槌を打つ。
そんな中、店舗のドアを開けて王さん!とデリバリーの配達員が入ってきた。店長は返事をして手際よくお持ち帰りの袋に詰まった品物を渡す。試作品の合間に注文された商品もキチンと焼いていたようだ、さすがの仕事ぶり。
ていうか───この人、王って名前なのか。初耳…全員が店長とか鶏蛋仔屋って呼ぶし…今度みんなに教えてあげよう。樹はヒッソリ心で思う。
夕まぐれ。お土産をしこたま持たされ、王に手を振る萬屋。トータルでは無茶苦茶な数のサンプルが開発されたが、取捨選択の結果、新たに常時店頭に並ぶのはアッサムチョコチップとクアトロチーズの2種類に決定。モリモリ食べさせて貰ったあげくバイト代までも頂戴するのは気が引けたが、それが依頼なんだからいいんだよ!多謝ね!と満足気な王に、押され気味に送り出されてしまった。樹はトッピング──カオスな具材をこれでもかというほどゴッテゴテに盛られ、さしもの大食漢もビックリした──を溢さないよう細心の注意を払って【東風】へと帰還。道中、家々から香る料理の薫りに鼻をくすぐられツラツラと思案。
今日の夕飯は何だろ。東、昨日カエル食べてる時、ショモショモしてたな。名前が同じだったからか?違う名前のほうが良かったか?アズマヒキガエル、いいと思ったんだけど。今夜も東に食材でも買って帰ろうか?うん。善は急げ。ルートを若干変更し、明星光る城砦の路地を抜け、食道楽は市場へトコトコ寄り道をした。
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「ただいま。東、これお土産」
「おかえり、なになに…また田鷄だぁ…」
「ニホンヒキガエルだって。食べよう」
「あの、ヒキガエルもいいんだけどさ、ウシガエルは売ってなかった?」
「アズマヒキガエルみたいなやつが欲しいってゆったらこれくれた。食べよう」
「そっか…じゃあ、火鍋にしよっか…」




