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九龍懐古  作者: カロン
悠々閑々
377/492

靚女と萬屋・後

悠々閑々4






会話の合間、(リン)曲奇(クッキー)に手を伸ばしカリッと(かじ)った。サクサクでホロホロ。ふんわり香るバター、自然な甘み。


「美味しいね、これ」

「北海道産バターと牛乳100%みたい」

「最近出来たラーメン屋さんも日式だっけ。聯合道の」

「そこ、(タクミ)が食べた。‘イケてる’って」

「本場と同じくらい美味しいの?」

「‘わかんない。日本行ったことない’って」

「あっそうか!行ったことはないのか!てか(イツキ)くんも同じこと聞いたんだ?ウケる」

「うん…あ、曲奇(クッキー)、この前スーパーで貰ったやつも美味しかった。それも少し()る?」


(イツキ)が問い、(リン)は‘交換のスタンプ溜まったんだね’と笑う。(カムラ)と2人で懸命にスタンプを集めていたのを小耳に挟んでいたと。しかし直後、フッと別の話題に気を取られた様子で瞼を伏せた。


(カムラ)くんさ…どう?大丈夫?」


ポツリと呟く。(イツキ)は首を縦に振り、大丈夫と答えた。


この質問は───莉華(リィカ)のこと。彼女の物語の顛末を(カムラ)へ伝えたのは(リン)だ、最期を知った(カムラ)が気落ちしているのではないか?と憂う雰囲気。


「落ち込んではいたみたい。だけど、(カムラ)、けっこう強いから」


(イツキ)の言葉に(リン)は眉を下げて()む。お兄ちゃんだもんねと口にして、そうだ、と瞼を開き話題を変える。


大地(ダイチ)くんの寺子屋は教会主催だっけ?」

「多分。宗教学あるし」

「そこイイ感じ?壁際に新設された教育施設の宣伝も割と力入ってて…友達が子供どっちに行かせるか迷ってんだよね。あのふたつ、ちょっとバチバチじゃん」


正確には、バチバチさせているのは寺子屋のキリスト教に関する布教活動を良しとしない軍の人間だけなのだが。(イツキ)はとりあえず大地(ダイチ)は楽しそうに通っている(むね)を告げ、詳しく聞いておくと約束。とはいえ片一方(かたいっぽう)の意見だけ取り入れるのは良くない…新設されたという学校?についても誰か知ってないかな…思いつつ曲奇(クッキー)をパクリ。糖分とカロリー。どうも何かを考えるとすぐにエネルギーを消費してしまう。


(イツキ)が再度檸檬珈琲を飲み干したのを目にとめた(リン)が、‘暑い?’とクーラーのリモコンに手を伸ばした。‘考え事してたら飲んじゃっただけ’との(イツキ)の返答へ‘次は西洋菜蜜(ジュース)にしよっか’と提案。


「このへんはまだ電気ちゃんと通ってるし、ウチにもエアコンあるからいーけど…扇風機だけの人とか、それすら持ってない人は夏ヤバいよね…あれ?てゆーか老人二巷って電気止まってなかった?」

「俺が昨日直した、あんまりしっかり出来てないけど。応急処置くらい。(チャン)───おじちゃん、に頼まれて」

「そーなんだ!ありがと!」


呼び捨てもどうかと思い‘おじちゃん’をつけてみたが、心做(こころな)し語呂が悪い…俺も(アズマ)の真似をして老豆(パパ)と呼ぼうか…迷う(イツキ)に、アタシ老人ニ巷(あそこ)に仲良いおばあちゃん住んでるんだよねと(リン)


「けどこないだ、あの辺の工場の人達がパクられちゃって。香港に物売りに行った時に。工場主が不法滞在チクったんだよ、そしたら給料払わなくて済むから」


可哀想だよねと(しか)め面。不法滞在は本来取り締まられるべき事柄なので何を言えたものでもない。されど、九龍(ここ)に流れ着いた人間はやむにやまれぬ事情を持っている者が多い。そんな人々のバックグラウンドを穿(ほじく)り返さず(ゆる)してこその魔窟なのだ。うんうん相槌を打ちつつ菓子をモグつく(イツキ)を見て、(リン)はクスリと頬を(ゆる)める。


「昨日は(チャン)さんと何食べたの?」

「えっと、白灼蝦とか。(レン)がめちゃくちゃ(えび)仕入れてきちゃってて。安かったみたい」


宙へ両手で大きく円を描き、こんもりと(えび)の量をあらわす(イツキ)。昨晩かなりの大量殺戮(ジェノサイド)をかまし胃袋へ吸い込んだが、吉娃娃(チワワ)は‘今週ずっと安いようなので市場でおかわり仕入れてきましゅ!お楽しみに!’と張り切っていた。唐突に始まる海鮮週間。


(レン)くん、出前もやってるんだっけ。お店に届けてもらおうかな」

(リン)(とこ)(えび)出すの」

「違うよ!スタッフで食べるやつ、仕事終わったらお腹空くでしょ!」


そりゃそうだ、ピンクカジノで(えび)は絵面がおかしい…キャバクラやカラオケバーなら軽食やフードメニューで注文出来る気もするが…いや、マカオあたりならカジノで(えび)もありか?VIP席であれば?そういった娯楽施設にはホトホト縁のない大食漢(イツキ)は頭を(ひね)る。


吸い殻を揉み消しながら(リン)が吐き出した。


「ってか…ごめんね。沢山愚痴っちゃった」

「え、別に。俺こそごめん」

「何が?曲奇(クッキー)平らげたから?」


謝り返す(イツキ)(リン)はクエスチョンマーク。曲奇(クッキー)もそうだけど──そして‘平らげた’と言われ手元に視線を落としたら、1枚も残っていなかった。食べたのか俺は…?本当に…?──じゃなくて。


「俺、いいアドバイスとか出来なくて。喋るの下手だし」


申し訳なさそうな表情で詫びる。対して(リン)はおもむろに新しい煙草へ火を点け煙を流し、ニヤリと口角を上げた。


「いーの、それで。愚痴ってる時の女は意見なんて求めちゃないの。解決したけりゃ‘どうすればいいかな’ってちゃんと訊くわよ。こっちが欲しがってもないのにあーだのこーだの言ってくる男が1番ウザいんだから」


聞いてくれるだけって逆に最高、と腕組み。


そんなものか。これもわからない。そういった恋愛沙汰にはサラサラ縁のない大食漢(イツキ)は頭を(ひね)る。


不格好な違法建築の向こうへ太陽が消える頃、出勤の支度をするという(リン)の家を(あと)にし(イツキ)は家路につく。明日は…鶏蛋仔(ワッフル)屋から呼び出しを受けていた。(なにがし)かの依頼、内容はまだ知らない。今週は珍しくスケジュールが埋まってるな…萬屋大繁盛。(アズマ)にお土産でも買って帰ろうか?うん。善は急げ。ルートを若干変更し、夕星(ゆうつづ)光る城砦の路地を抜け、食道楽(グルメ)は市場へトコトコ寄り道をした。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「ただいま。(アズマ)、これお土産」

「おかえり、なになに…わぁ田鷄(かえる)だぁ…」

「アズマヒキガエルだって。食べよう」

「ヒキガエルって毒あるじゃない!ていうか名前!」

「毒のところ()けたら食べられる。名前で選んだ。食べよう」

「そっか…じゃあ、土鍋にしよっか…」

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