老豆と萬屋・後
悠々閑々2
「そういえば連合道の店の叉焼屋さんってどうなったの。5回捕まった人」
「あら、樹くんどうして知ってるんだい?」
「猫がゆってた」
「あちゃー!5回は聞かなかったことにしておいてくれないか!‘カッコ悪い’って本人がボヤいてたから」
「わかった」
「えっとね、まだ叉焼売ってるよ、黃大仙で。九龍城で造られた物は安いからよくハケるんだよねぇ。質だって悪くないし。西城路の毛さんが縫製してるシャツなんか、何年もずっと大埔で売り上げナンバーワンだって!すごいよね!」
話しているうちに補修──とも呼べないレベルだが大目に見てくれ。専門業者に頼まないと根本的にはどうしようもない──を終え、またまた次の箇所へ。陳が哎呀だの哎哟だの零して腰を叩いている、作業中の樹をずっと見上げていて痛めた様子。ご老体。
「見てなくてもいいのに」
「だって、頼むだけ頼んでそっぽ向いてる訳にもいかないじゃないか」
「別にそれはいいよ。でも腰痛はよくない」
「優しいねぇ樹くんは」
陳がクフクフ笑う。そのデコに、どこかから水が垂れてきた。ピチョンと跳ねる水とウヒャアと跳ねる陳。樹は驚いたご老体がひっくり返らないように腕を支え頭上を仰いだ。ポタポタ落ちる水滴、壁に目をやるとジャバジャバと水が伝って流れている。
「すごいね、水漏れ」
「排水管が割れちゃったのかな。これも城砦福利に修繕頼まなきゃ」
言いながら破損部分を探す陳だが、どうやら見えないところ…建物と建物の隙間、奥の奥らしい。手が届けばその場しのぎの処置をしようかと樹は考えるも、流石にちょっと厳しそうだ。
「けどさ。水漏れするってことは、水が充分行き渡ってるってことだから」
少し感慨深げな陳。今は城砦内の至る所に飲食店が増えたが、昔は龍津道あたりに集中していたらしい。そこだけ九龍城において唯一キレイな水道があったからだとか。
「私の幼い頃はさ…富裕層地域も中流階級もどこでも、今よりもっと荒れてたよ。綺麗に棲み分けされるようになったのは良いことだよね。生活の基盤だって整って、貧富の差はあれどどうにか暮らしていける。格差なんぞは九龍でなくともあるだろう?治安の悪さに政府はイイ顔しちゃいないが…」
本日ラストの現場。腰痛を押して、懲りずに樹を見上げている陳が笑う。
「誰でも受け入れてくれて、出て行くならば足も引かない。九龍城砦は素敵な場所だと私は思うな」
自由が過ぎると言われれば反論は出来ないけどね、とイタズラに舌を出した。テヘペロ。どうも歳の割に仕草がお茶目である。‘俺もそう思う’と樹が答えれば陳はニパッと満面の笑み。樹の脳裏に十と尾が過った。一切どこも、なにも、ひとつも似てはいないが。
「出来た。おしまい」
「わー!!」
任務完了し服の埃を払う樹に拍手を送る陳。バイト代だと差し出された封筒を樹は1度受け取り、それからやっぱり陳に返して‘これで蓮の店で夕飯を食べよう’と提案。
「駄目駄目駄目!それは駄目、このお金は樹くんの!ご飯はご飯で私が奢るから」
「駄目だよ、俺いっぱい食べるし」
「でも駄目!バイト代はバイト代!」
‘駄目’ラッシュの片手間、樹は東に微信を打った。蓮の食肆で食事をする旨を伝えれば、‘早くおいで’との返信。東は既に厨房。なんだ、だったら話は簡単。
「東が食肆に居るから大丈夫。今キッチン手伝ってるみたい」
「えっ、大丈夫って?」
「お会計」
「東くんに払ってもらうってこと?」
「うん」
「わぁ、それも駄目だよ!東くん可哀想じゃないか!」
「駄目なの?」
「だってそりゃあ…いや、けど、東くんは樹くんの保護者なのか」
「ん?んー、うん」
「でもとにかく今日は私が出すから!ね!」
譲らない陳へ樹は了解しツラツラと思案。
俺にとって東は保護者…なのか?親というわけでもないが兄というわけでもないな。家族は家族だが。保護…保護、とは?有事の際は俺が保護るけど。普段は世話焼いてもらってるもんな、持ちつ持たれつか。結局保護者なのか。というか───考えてたらお腹が減ってきた。エネルギーを多大消費、バッテリー残量わずかです。メーデー。
キャピキャピとお喋りを続けている陳へ耳を傾けつつ、注文するメニューをフワフワと頭に思い浮かべながら、樹は薄明の城砦をのんびりと歩いた。




