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九龍懐古  作者: カロン
悠々閑々
374/492

老豆と萬屋・後

悠々閑々2






「そういえば連合道の店の叉焼(チャーシュー)屋さんってどうなったの。5回捕まった人」

「あら、(イツキ)くんどうして知ってるんだい?」

(マオ)がゆってた」

「あちゃー!5回(・・)は聞かなかったことにしておいてくれないか!‘カッコ悪い’って本人がボヤいてたから」

「わかった」

「えっとね、まだ叉焼(チャーシュー)売ってるよ、黃大仙で。九龍城(ここ)で造られた物は安いからよくハケるんだよねぇ。質だって悪くないし。西城路の(モウ)さんが縫製してるシャツなんか、何年もずっと大埔(タイポー)で売り上げナンバーワンだって!すごいよね!」


話しているうちに補修──とも呼べないレベルだが大目に見てくれ。専門業者に頼まないと根本的にはどうしようもない──を終え、またまた次の箇所へ。(チャン)哎呀(アイヤー)だの哎哟(アイヨー)だの(こぼ)して腰を叩いている、作業中の(イツキ)をずっと見上げていて痛めた様子。ご老体。


「見てなくてもいいのに」

「だって、頼むだけ頼んでそっぽ向いてる訳にもいかないじゃないか」

「別にそれはいいよ。でも腰痛はよくない」

「優しいねぇ(イツキ)くんは」


(チャン)がクフクフ笑う。そのデコに、どこかから水が垂れてきた。ピチョンと跳ねる水とウヒャアと跳ねる(チャン)(イツキ)は驚いたご老体がひっくり返らないように腕を支え頭上を仰いだ。ポタポタ落ちる水滴、壁に目をやるとジャバジャバと水が伝って流れている。


「すごいね、水漏れ」

「排水管が割れちゃったのかな。これも城砦福利に修繕頼まなきゃ」


言いながら破損部分を探す(チャン)だが、どうやら見えないところ…建物と建物の隙間、奥の奥らしい。手が届けばその場しのぎの処置をしようかと(イツキ)は考えるも、流石にちょっと厳しそうだ。


「けどさ。水漏れするってことは、水が充分行き渡ってるってことだから」


少し感慨深げな(チャン)。今は城砦内の至る所に飲食店が増えたが、昔は龍津道あたりに集中していたらしい。そこだけ九龍城において唯一(ゆいいつ)キレイな水道があったからだとか。


「私の幼い頃はさ…富裕層地域も中流階級もどこでも、今よりもっと荒れてたよ。綺麗に棲み分けされるようになったのは良いことだよね。生活の基盤だって整って、貧富の差はあれどどうにか暮らしていける。格差なんぞは九龍(ここ)でなくともあるだろう?治安の悪さに政府(うえ)はイイ顔しちゃいないが…」


本日ラストの現場。腰痛を押して、懲りずに(イツキ)を見上げている(チャン)が笑う。


「誰でも受け入れてくれて、出て行くならば足も引かない。九龍城砦(ここ)は素敵な場所だと私は思うな」


自由が過ぎると言われれば反論は出来ないけどね、とイタズラに舌を出した。テヘペロ。どうも歳の割に仕草がお茶目である。‘俺もそう思う’と(イツキ)が答えれば(チャン)はニパッと満面の笑み。(イツキ)の脳裏に(シイ)(ウェイ)(よぎ)った。一切(いっさい)どこも、なにも、ひとつも似てはいないが。


「出来た。おしまい」

「わー!!」


任務完了し服の(ほこり)を払う(イツキ)に拍手を送る(チャン)。バイト代だと差し出された封筒を(イツキ)は1度受け取り、それからやっぱり(チャン)に返して‘これで(レン)の店で夕飯を食べよう’と提案。


「駄目駄目駄目!それは駄目、このお金は(イツキ)くんの!ご飯はご飯で私が奢るから」

「駄目だよ、俺いっぱい食べるし」

「でも駄目!バイト代はバイト代!」


‘駄目’ラッシュの片手間、(イツキ)(アズマ)微信(チャット)を打った。(レン)食肆(レストラン)で食事をする(むね)を伝えれば、‘早くおいで’との返信。(アズマ)は既に厨房。なんだ、だったら話は簡単。


(アズマ)食肆(レストラン)に居るから大丈夫。今キッチン手伝ってるみたい」

「えっ、大丈夫って?」

「お会計」

(アズマ)くんに払ってもらうってこと?」

「うん」

「わぁ、それも駄目だよ!(アズマ)くん可哀想じゃないか!」

「駄目なの?」

「だってそりゃあ…いや、けど、(アズマ)くんは(イツキ)くんの保護者なのか」

「ん?んー、うん」

「でもとにかく今日は私が出すから!ね!」


譲らない(チャン)(イツキ)は了解しツラツラと思案。


俺にとって(アズマ)は保護者…なのか?親というわけでもないが兄というわけでもないな。家族は家族だが。保護…保護、とは?有事の際は俺が保護(まも)るけど。普段は世話焼いてもらってるもんな、持ちつ持たれつか。結局保護者なのか。というか───考えてたらお腹が減ってきた。エネルギーを多大消費、バッテリー残量わずかです。メーデー。


キャピキャピとお喋りを続けている(チャン)へ耳を傾けつつ、注文するメニューをフワフワと頭に思い浮かべながら、(イツキ)薄明(はくめい)の城砦をのんびりと歩いた。

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