お願いと‘もう1個’
尋常一様15
あくる日のおやつ時。後生だから1度だけ顔を出して欲しいと頼み込んでいる旨を綾経由で伝えてもらい、上はいつもの広場で莉華を待っていた。元カノに追い縋る未練がましい男ってこんなんかな…元カノ居ったことあらへんけど…脳裏に蘇る昨日の‘彼女談議’。
バーから帰ったあと、回収した情報をこれまでの出来事と照らし合わせて整理した。生首量産グループ──といっても一枚岩ではなかったが──は大陸側との繋がりは無し。城砦にコロコロ転がる死体を横流しで売っているだけで、後ろ盾も居ない。ほどなく、仕事の邪魔をされ腹を立てた香港側のマフィア連中に一掃されるのではないか、との予想。事が終わり次第、製薬会社や金融機関は一旦九龍から手を引くだろう。体制を立て直し帰還するのは時間の問題だが、まぁ城砦ではどこかしらの組織がしょっちゅう似たようなことをやっている。通常稼働。取り立てて騒ぐ話でもない。
問題は、‘一掃’の部分。上はそこへ莉華を巻き込みたくなかった。
死体の売買自体には莉華は関わっていない、それを行っていたグループと遊び歩いていただけ。ギリギリ一線を引けるポジションではある。とはいえ死体を盗んで売り捌いている張本人でなくとも、そこのグループの連中と居れば相手側からすればターゲットたり得る。なので距離を置いてほしかった。そも、仲間でも何でも無いのだ、正直なところ。莉華は仲間と言っていたが…彼女自身、思う部分はあるはず…。
上の言いたいことは纏まらないままだったが、約束の時間ちょうどに莉華は現れた。上は‘久し振りやん’とさっそく1ミリも気の利かない挨拶をかまし、しかしそれを素早くチョコレートで補った。
「で、お饅頭は何しに来たの?」
莉華はムスッとしながらもチョコレートをパクつく。なるべく静かに、ゆっくり、ポツポツと声を押し出す上。
「莉華、その…スラムの仲間?とは、会うとるん?最近」
「あんまし。莉華お仕事忙しいからぁ」
そっぽを向く莉華に、上は彼女の仲間が関連している臓器売買のこと、近いうちに香港のマフィアと揉めるであろうこと、その為なるべく関わりを絶ってほしいこと等を告げた。なんだか懇願するような声音になったかも…追い縋る感…だけど、そんなのかまわない。
ジッと聞いていた莉華の顔がみるみる曇る。だがこの表情は怒りではなく───理解が出来ない、そんな気色。チョコレートを口へ忙しなく放り込む。
「だからさぁ、莉華、別に悪いことしてないじゃん。お薬欲しい人にはお薬売ってる人教えてあげて、お金欲しい人にはお金いっぱい入るお仕事教えてあげて、逆に良いことしてない?莉華がつるんでる人達だってさぁ、そのセーヤク会社?が捨ててるフヨーヒン?を売ってるんでしょ。フヨーヒンっていらない物でしょ。なんで駄目なの」
そう言われると、困る。駄目ということはなかった。何が悪いというのも難しい、ここは無法地帯の魔窟なのだから。
「やから、悪ないんよ。やけど…んー…」
どんな意見も言えた義理はない。この悪名高い九龍で、一体、誰に何を説くというのか。余計なお世話なうえに驕りでもあった。わかっている。それでも、上は言葉を紡いだ。
「色んなこと知っとってそれをやっとる、っちゅうんと…それしか知らんからそれをやっとる、っちゅうんは…ちゃうと思うんよ」
薬を売ったり色を売ったり死体を売ったり。九龍には様々な仕事があって、稼ぎ方も生き方も様々だ。何を選んだっていい。けれど。
「色んなこと知って、ほんで選んでるゆうんなら、よう口は出せやん。けど他んこと知らんからそうするしかないとか…莉華が知らんからってつけ込んどる奴らんこととかは…見過ごせへんねん。ほっとけへんねんな」
鬱陶しいことゆうてすまんと謝る上を見詰める莉華は、顔にポコポコとはてなマークを浮かべる。つけ込んでる?どこに?誰が?何を?
「え?え…だって、だってさぁ…」
握ったら握ったぶんだけそのまま折れていきそうなほど細く傷んだ明るい髪を、これでもかというくらいに尖らせた綺羅びやかなネイルをつけた指で梳きながら、莉華は視線を宙に彷徨わせた。眼球の動きに呼応して段々と上がる独り言のピッチ。
私をそういう場所に最初に連れて行ったのはお母さんだし。お母さんは、それで、厚めの封筒──今考えれば大した厚さでもなかったけど──を男の人達から受け取ってたし。私は‘あぁお金ってそうやって作るんだ’って思ったし。だけど身体使って頑張るのは私なのに、どうして私はご飯も食べれず殴られてばかりなんだろうって不思議だったし。それを口にしたらまたお母さんと喧嘩になって、揉み合った時にお母さんは頭をテーブルの角にぶつけて死んじゃったけど、私を売ったお金でクスリばかり買ってたから‘ドラッグのせいで錯乱した’って私の証言を疑う人は居なかったし。そのあと1人でいつもの仕事を始めたらビックリするくらい儲かったし。莉華もみんなにお仕事紹介してさ。お薬とかも。困ってる人助けて莉華にもお金入って、アレでしょ?ウィンウィン?てやつ。でさ、色んな人に会ったけどさ、お客さんだって友達だって最近見ないなと思ったら死んじゃってんだよね。だいたいクスリのせい。売られちゃったり殺されちゃったりもしてるけど。でも気になんないよ。そーゆーモンじゃん、みんなそーじゃん。莉華は仲良くしてくれる人と仲良くするだけだよ。仲良くしてくれるのは男の人の方が多いんだよ。お金くれるのも稼がせてくれるのも、かまってくれるのも。馬鹿にされてるかな?とかさ?思うときもあるけどさ?でも莉華バカだしフツーに。だからいーの。みんな優しいもん、優しくしてくれるもん。だったらそれでいいじゃん。だから、だから────
「わかんない」
莉華がしゃがみ込んで背中を丸めた。本当にわからない、そういった表情で。
「お饅頭の言ってる事、全然わかんない」
「ん…せやな…」
耳を傾けていた上は歯切れ悪く応える。本当に───本当にわからないんだ、この子は。ワザとではない。そして、九龍ではよくあるストーリーだった、こんなことは。
されど…袖口から覗く傷。ダメージは無意識下で確実に蓄積し、心から溢れて身体に現れてしまっている。当人は気付かない。それが日常なのだから。
上もベンチから腰をあげ、莉華の向かいに同じようにしゃがみ込む。軽く首を傾けて目線を揃えた。
「わからんでもええよ。饅頭が何や言うとんな?くらいで。お節介やねん。でも、ちょっとだけでも、聞いといてくれたら嬉しい」
眉を下げて笑う上を莉華は眺め、暫くうーんうーん唸ると、突然‘よしっ!’と手を叩く。しゃがんだままの体勢でピョンピョン2歩ほど跳ねて上の眼前まで近付き、明るく発した。
「わかった!莉華、あのへんの人達とはもう会わないようにする!そしたらお饅頭は嬉しいんでしょ?」
若干、違う。しかも‘饅頭が喜ぶからする’というのはよろしくない。誰かの為ではなく、自分の為に決めて欲しいのだ。上は思うも…おおきにと答え頷く。今は何よりも決断してくれたことが大切だった。
と、莉華が上の鼻先に人差し指を立てた。
「莉華、お饅頭のお願いひとつ聞いたからさ?お饅頭もひとつ莉華のお願いきいて」
指を上のスマホへ移動させる。ピッと示されたのは、ストラップのぽっちゃり天仔。
「莉華もこのキーホルダー欲しいねん!」
そんなことかと上がスマホから外そうとすると、それはお饅頭のじゃん!もう1個、新しいの!と膨れる莉華に制された。上は再び頷く。
「わかった。探してくるわ」
「やった!約束だよ?」
イェーイとジャンプしクルクル旋回する莉華。何度も目にした光景。なのに───黄金色の夕陽に照らされた無邪気な笑顔が、どうしてかその日は、やけに上の脳裏に焼き付いた。




