饅頭とぬいぐるみ
尋常一様5
「ヤバい、このキャラ!マジお饅頭に似てるじゃん!」
「別にそない理由で選んだんとちゃうで…や、そうっちゅうたらそうなんやけど…」
「どっち?お饅頭いつも意味わかんない」
「せやな…」
夕暮れの九龍城砦。花街の隅、申し訳程度のベンチがあるこぢんまりとした広場で、赤とピンクの可愛らしいパッケージのお菓子を上から貰った莉華がピョンピョン飛び跳ねてハシャいだ。かなり明るめなロングヘアが小柄な身体の動きに合わせて揺れ、クロップド丈のジャージからチラチラと腹が覗く。光る銀のへそピ。さっそくビニールの包装紙をパリパリ剥がした彼女は箱を開け、中に詰まったチョコレートをひと粒パクつく。超美味しい!とタレ目メイクの目尻を更に下げてまた飛び跳ねた。
「お饅頭、センスいい!ただのお饅頭じゃぁ無い!」
「選んだの俺ちゃうねん」
「なんだ。じゃ、やっぱただのお饅頭だね」
上の返答に‘平安’の赤文字を押す莉華。平安饅頭は肩を竦める。彼女の中で、上のアダ名は初っ端から‘お饅頭’で定着していた。
この子…ひとこと言うごとに台詞に‘お饅頭’が入るん、どうにかならんのか…。饅頭やってあんま叩きよったらペチャンコに潰れんねんで?俺は打たれ強い饅頭な方やけど?いや、何やねん打たれ強い饅頭て。
「仕事どうなん?店、合っとる感じする?」
饅頭の話題は一旦横に置き、上は莉華へ本題を訊いた。
彼女はここ最近上が仕事先を仲介した少女だ。お互い花街付近をウロウロしていた際に何度か見掛けていて、ある時、莉華の方から上へ話し掛けてきた。‘お兄さん!スカウトならお店紹介してよ!’
「んー、合ってる…のかなぁ…わかんない!今んとこ大丈夫だよ」
「スタッフと上手くやれとる?お客さんとも揉めたりしとらんか」
「へーき。お饅頭、心配し過ぎじゃない?」
莉華がケラケラ笑う。しょうがない、もともと心配性なのだ。しかし、上が過保護になるのも仕方ないほど莉華は年若い。
大地よりは上でも樹や彗よりは下。1人フラフラと九龍で生きている。‘パパはわかんない、ママはもう居ない’。家族のことはそれだけ語っていた。同じく帰る場所のない仲間達とその日暮らし。感情の浮き沈みが激しくヒステリックなところがあるものの、基本的には年相応に元気で明るい性格。住んでいるのはスラム。年齢やその他の事を考慮して、上は街外れのガールズバーを紹介した。
道中で買ったパックの檸檬茶をふたつ取り出し、ストローを刺して、ひとつを隣に腰かけた莉華へ渡す上。煙草に火を点けかけた莉華が、やめて紅茶を受け取った。
「お饅頭、今のワザとだ」
「なにが?」
「煙草吸おうとしたからでしょ、莉華が」
「どうやろ」
「そうやろ!」
ビシッと上の鼻先を指差し喋り方を真似る。プッと吹き出した上が‘バレとったか’と答えると、莉華は‘バレとったで!’と満面の笑み。
酒、煙草、夜遊び、ギャンブル、エトセトラエトセトラ。およそ子供の教育に良くないものを莉華は全てやっている。九龍城では須らくスタンダードだとはいえ、やっぱり何となく目の前の喫煙は、1本減ったところで意味がないのは承知でも止めてしまう。お節介なオカン。
「ちゅうか、家とかは中流区域に借りんでええんか?危ないやろスラムは」
希望があれば手配出来ると申し出る上、莉華はベンチから立ちあがり、両手を広げてクルリとターンを決めつつ唸る。
「莉華はずーっとスラムにいたから…スラムでいっかな…中流区域に遊びにくるようになったの超最近だし。友達居ないもん」
「作ったらええやん。店ん娘ら居るやろ」
「莉華があんまりお店の子と仲良くなれないのわかってるじゃん」
「平気言うとったやんか」
「まだ、ね。そのうちムカつかれちゃうかも知んなくない?」
だからスラムのままでいい。あっちには仲間が居るし。言いながら再びターンを決める。
ムカつかれちゃう…とは?理由は何なのか。今までのバイト先も、スタッフ達とソリが合わずに幾度となく退店を繰り返してきたとは聞いていた。それも上が近況を口煩く尋ねてしまう一因。そんなに毎回揉めるのであれば恐らく原因は莉華にあるのだろう。だろうけれど、上はなかなか…原因を見付けられずにいた。
「ま、とにかく何か困ったことあったら相談してな」
「はいはぁい♪」
「ホンマか?ちゃんとすんやで?」
「わかってまぁす♪」
ピシッと敬礼ポーズの莉華。わかっていなさそう。その格好のまま楽しそうにクルクル回り始める彼女に、しかし、上も笑って敬礼を返した。
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「すんごい死ぬなぁ、ジャンキー」
いつもの昼下がり。ムスッとボヤいてカウンターに上半身をうつ伏せる【東風】店主。
先ごろからスラムの薬中達がどうもバカスカ死んでおり、貧困層にまで余波が来ている。しかれどそんなに強力──または粗悪──なドラッグは出回っていないはず。原因がわからず一方的に客が減る状況に売人連中は大わらわ。
「俺もちょこっと調べてみたけど、九龍にはそれっぽいのが見当たらないんだよね」
ソファでダラつく燈瑩が煙を吹く。先日の裏カジノには確かにジャンキーもいたし周辺に薬中が転がってもいた。が、薬物で揉めた末に閉店…ということでも無さそうに見受けられた。ならばカジノに関するドラッグの噂は一体?尾行してきた人間しかりイマイチ話が繋がらない。
城砦内を眺めても不明瞭なのであれば、出処は香港方面ないし大陸側の可能性が高い。生首はとりあえず避けておくとして、ドラッグについては香港側の製薬会社が噛んでいるのでは。
「【天堂會】とか山茶花みたいに」
「【天堂會】なっつかしー、香港島で復活したんだっけ」
燈瑩の予測に東が少し目蓋を広げる。乗り込んだ本部のビル…上物の薬が山程あったな…思い返す東へ‘あー、あのマスコットが可愛いって人気の会?’と匠。合ってはいるがズレてもいる。東は燈瑩に視線を投げた。
「燈瑩そーいや男人街の祭り行かないの」
「祭りはどうかなぁ。城外には週末行くけど、仕事で」
「どのへん?」
「上環」
上環か。【天堂會】ってどのエリアで復活してんのかな?ま、今回は別に関係ないだろうけれど。東は上半身を起こす。
「ワタクシもついて行こうかしら」
あちらが発生源とすれば、以前同様雪廠が出てきた界隈───香港随一の夜の繁華街、蘭桂坊周辺にヒントがありそう。製薬会社までは行かずとも、その周辺のクラブを探ればプッシャーやルートに接触が出来て何らかの対策が講じられるかも。
「とかって東、新薬が気になるだけでしょ」
「職業柄ね!職業柄!」
茶化す燈瑩に自分用ではないと念押す違法薬師は、‘行き帰りは構わないが途中は用事がある為付き合えない’との返答に腕組み。
「樹はなぁ…蘭桂坊だとなぁ…」
今日もバイトへ出掛けている用心棒、‘甘い物を奢る’とでも打診すればすぐにやってきてくれるだろう。さりとて夜遊びスポットのクラブというガラではない───そも、入店出来るのか?見た目や年齢的に?悩む東に匠はキョトン。
「俺居るじゃん別に」
「え?来てくれるってこと?」
「もともとそういう流れだろ、これ」
「ヤダ…匠ちゃんホント付き合い良い…」
半ば感動しながら呟く東へ‘普通じゃね’と匠は更にキョトン。普通の定義を考える東。
そうか、これが普通…基本的にあしらわれるのが俺にとってはデフォルトだから…。でも言われてみれば俺以外には全員けっこう付き合いが良い気もする。例えば樹が誘うなり大地が誘うなり、まぁ上でも、誰かが誰かに声を掛けて断られるパターンはあまり無いかも。猫はちょっと別だが、それでも子供には優しい。みんなに断られるのは俺ばかりだ。
「匠ちゃんは…ずっと変わらないでいてね…グスッ」
「えっ、泣いてんの」
泣きマネで鼻をすする東へ首を傾げる匠、すると背後でギターが唐突に鳴った。ギャアと大声を出す眼鏡。この男、パソコンのスクリーンセーバーが勝手に変わることにも未だに慣れずいちいち肩をビクつかせている。
「そーいや綠もあのへんのクラブよく行ってたつってたな。これ連れてく?」
棚へ歩み寄った匠がぬいぐるみを手に取る。テーマパークから連れてきた、2匹の可愛い仲良しアニマル。‘いいね’と笑う燈瑩に顔を向けた東の視界の隅───ラップトップの画面が一瞬点滅し、壁紙にしていた上海の写真が、晴れ渡る赤柱の浜辺へと独りでに変更された。




