ロイヤルフラッシュと貢ぎ癖・前
尋常一様2
花街を抜けて裏通り、陰気臭い路地を歩く。ゴロゴロ転がる薬物中毒者を踏まないように避けながら更に奥へ。
大興楼は崩れかけたボロいビル。建築法など完全無視の九龍城、中流階級以下の区画では建物が大抵うっすら傾いている──前に大地が【東風】の床で‘ビー玉迷路’やってました──が、それにしても大興楼は一際酷い。今にもペシャンコになりそうな外観に、ドアやら窓やらがかろうじてくっついている。
裏カジノの入り口は一見それとはわからないような何の変哲もない扉。カモフラージュ、なんつうオシャレなもんじゃなくて、カネをかけてないだけ。押して開けると錆びた蝶番が断末魔みたいにヘンテコな悲鳴をあげた。
店内は割と普通。大小がひとつ、ルーレットがひとつ、カードゲームの卓がいくつか、スロット台がいくつか。客はボチボチいて案外賑わっていた。閉店が近いせい?なんにせよ混んでいるのは良い傾向、こちとら目立ちたくない。キャップの鍔を深めに下げてポケットの札束を取り出す東、匠はニット帽の下からそれを見た。
「いくら持ってきてんの」
「1万香港ドルくらい。10倍にしちゃおうかしら」
「テンション高ぇな」
小声で交わしながらルーレットの卓に着くと店員に飲み物を訊かれ、燈瑩は瓶ビールを3本オーダー。グラスは要らない、開栓もこっちでやるからそのまま持ってきちゃってと、重ために降ろした前髪の隙間から営業用スマイル。店員の手間を慮った発言ではない。繁華街の比較的しっかりした店舗ならばまだしも、こういった場所の飲み屋で提供されるカクテル及び開封済みの酒は、残り物のチャンポンに次ぐチャンポンで安全性が低い為である。なんなら酒以外のものも混ざってるかも。瓶ビールの値段は完全にボッタクリだったが、別にいい。こっちもこれからボるつもりなので。
ついでに燈瑩は現金とチップを交換、1万香港ドル。スタッフが紙幣を数える隣で、東も‘俺も同じだけヨロシク♪’と、持っていた偽札をカウントして見せた。数字を口にしながらゆっくりめに1枚ずつテーブルに置き、終わると揃えてスタッフへ渡す。受け取った店員は確認し直すことはしなかった。丁寧に数えているのを目視したばかりだ、枚数を誤魔化した素振りはない。金はそのままスルリとバックヤードへ引っ込む。誤魔化したかったのは額ではなかったが…涼しい顔の東。表情が無駄に凛々しい。燈瑩はダボついたウインドブレーカー──東のやつを借りました、チャックが口際まであがるので──の袖で目元を押さえて笑いを隠した。
戻ってきたチップを3人で分け、暫く適当にゲームに興じる。赤だの黒だの賭けて、スロットを回して、ユルッとのんびり。それからポーカーに移動。ディーラーをまじえてのファイブカードドロー、ルールは少し変則。
ビールを何本か追加して卓の端に置く。1本手に取り開ける匠が首を傾げた。
「てか眼鏡、あんま飲まないね」
「炭酸はお腹タプタプになるもん」
「理由それ?」
続いた‘シャンパンはすげぇ抜くじゃん’とのツッコミに困りつつ、東はさり気なくトランプを観察する。ノーマルとマークドデックのミックス。ディーラーは、こんな場末なのに意外と上手い。だったらマークドデック使わなくてもいいのに。楽だからかな…気付く客層でもねぇだろうし…酒を啜りながら手付きを注視。あっ、ボトムディール!ポケットペア作ったな?
「でもお前、酒自体は強いんだろ」
「えぇ?誰が言ってたのぉ?」
「バケネコ閻魔なのですよ」
「ふふっ」
匠の口調に燈瑩が吹き出す。
「えっと…眼鏡は、バケネコ閻魔とトントンだよね。お酒の強さ。もしかしたら上回るんじゃない」
「どーだろ?飲み比べしたことないけどぉ。ってか、2人とも悪口言ってたのあとで閻魔にゆってやろ」
「可愛いじゃんバケネコ閻魔って名前」
どうでもいい会話を重ねつつ、のらりくらり遊ぶ。スタイルとしては匠はパッシブ、東はアグレッシブ、燈瑩はスロープレイが多め。自然な感じにバラけている。
それなりに時間が経ち、数十ゲームをこなして、東のチップは3万ドル。燈瑩は殆ど変わらず1万ドル弱、匠もさして増減は無し。客の雰囲気も概ねわかり、頃合いかと東が思った矢先───唐突に良い手が配られた。
いきなりフラッシュ。あと2枚でロイヤル。
他のメンツの動向を窺う。誰もドローしそうになかった。これは…勝負に出たな…どうしようか?いいタイミングではある。裏面のマークはついてたりついてなかったり、でもまぁ、予想は立つ。んー。大胆なことしちゃおうかしら。
東はチェンジするか迷う仕草をして、やめた。大きめにベット。手札を纏め、背もたれに腕をかけ、思案。合間に2人へ話を振る。
「そういえばフライヤーに使ってた絵あるじゃん。ウェイマンと仲間達だっけ。だよね」
「ウェイ、と…そうそう。評判良かったからまた使おっかな。今も…飾ってるし」
匠が自分のハンドから視線を離さず返事をし、聞いていた燈瑩が頬杖をついた。東は掌でカードの束をクルクル回転させる。
トランプを伏せた匠はビールを飲み干して、卓の隅っこに乗せてあった新しい瓶をひとつ取った。軽く振った。ライターの底で栓を抜いた。溢れた。
「うわ」
「あら、ダーリン酔ってらっしゃる?」
「かも」
泡がかかったトレーナーをはたく姿へ‘炭酸ですよ’と東が軽口。いい加減に返事をする匠を眺めつつ、燈瑩は卓をコンコン叩いてチップを積んだ。ほぼ全額。ディーラーとスタッフの視線が集まる。匠はビールが飛び出した拍子に床へ落としたライターをテーブルの下に潜って拾い、また椅子に座り直して場を眺め‘お前ずいぶん賭けたね’と言った。東はニンマリすると、目の前に聳える自分のチップを全て中央へ押し出す。
「俺もやっちゃお♪」
オールイン。
プレイヤーの強気なベットにも攻めの姿勢を崩さないディーラー、向こうもハンドにかなり自信があるとみえる…間を置かずショーダウン。ストレートフラッシュ。やはり、ほぼ勝ちが確定しているような手札。
次いでオープンした匠の役───デュース。そこでディーラーが些か変な表情をした。東は腰を浮かせるとテーブル中央に腕を伸ばし、自分のカードを裏のままフィールドへ扇形に広げ、端を人差し指で持ち上げてひっくり返す。パタパタと反転フラップさながら捲れるトランプ。ハンドは─────
ロイヤルフラッシュ。




