一縷と歩一歩
青松落色9
「ん、頼むわ。ありがとな、ほんま助かる…うん。よろしくな」
通話を終えベランダから部屋に戻った上を、猫と燈瑩が同時に見た。
藤と別れたあと、【宵城】に行った上が猫に顚末を話している途中に燈瑩が店を訪れた。
ここまでの流れをかいつまんで説明し、あらかたの経緯が伝わった所にタイミングよくかかってきた樹からの電話。
「樹、今日はこのまま大地と一緒に家に居ってくれるって」
「そっか。なら安心だね」
上の言葉に燈瑩が頷いた。樹は普段から喧嘩代行をやっているような人間だ、いざというときの用心棒としてかなり心強い。
「で、どうすんだよこっから」
頬杖をついた猫が問う。上は、自分でもどうしたいのかわからなかった。
そもそも、藤のグループが一連の事件の犯人なのかどうかの決定的な証拠がない。
そうかも知れないというだけだ。全く違うかも知れないしはたまた予想通りかも知れないが…とにかく推測の域を出ない。藤からも何も聞けなかったし、もう連絡もつかない。
現状では特に打つ手が無いのだ。
落ち込む上の隣で紫煙をくゆらす燈瑩が口を開く。
「ねぇ猫、女の子助けたんだよね?可愛かった?」
「あ?なんだそれロリコンかよお前」
「そうじゃないよ。とにかくどうだった?」
「まぁ…イイ線いってた」
猫は水商売歴がかなり長く、九龍一の大店舗の現役オーナーでもある。仕事上の容姿の評価に関して猫よりも信頼出来る人物はそうそう居ない。
質問の意図をはかりかねた上が疑問符を浮かべると、燈瑩は、これはそのグループが犯人だったって仮定の話だけどと前置きした。
「今までと被害者のタイプが違うよね。攫れるだけ攫るって事だとしても、売る相手先が今までと違うんじゃない?」
猫が助けたのが15歳くらいの女の子、見た目は上々。その時ついでに拐われそうになったのが大地、こちらも似たような年齢で男だが──もしかすると女だと思われた可能性も否定出来ないけれど──かなり可愛らしい。
つまりある程度成長していてなおかつ外見が麗しい子供…そして、そういった商品を買い取ってくれる買い取り先があるということ。おそらく高値で。
値段が変わらないのであればこれまでと同じく適当な子供を狙って適当に売ればいい。
わざわざターゲットを選び手のかかる仕入れをするなら、その手間を差し引いてもかなり金になる取引先があると考えるのが妥当だ。
「だとすると、行き先は澳門なんじゃないかな」
燈瑩の言葉に猫が呟く。
「夜総会か桑拿…か」
夜総会は連れ出し型のキャバクラで、桑拿は大規模ソープといったところ。マカオのものは、どちらもルックスのレベルも金額も高い。
とはいえ子供は働かせられないしましてや人身売買で入手したとなると店内に並べるのは難しい。
なので‘お得意様向けの裏メニュー’、といったところだろう。
灰皿のフチをコンコンとパイプで叩きながら、猫が疑問を投げる。
「でもよ、澳門じゃちと近過ぎねぇか?その歳なら頑張りゃ逃げ帰ってこられるぜ」
「別にいいでしょ、売れてお金が入ったあとなら。逃げられたのは買った側の管理不足なんだから」
なんなら逃げてくれたほうがもう1回捕まえてまた他の場所に売れるしね、とサラッと発言する燈瑩。
お前発想がヤクザだなとの猫のツッコみをスルーし話を続行させる。
「で、澳門なら運搬に使うのは船だろうけど…昨日香港の方から九龍灣に変なのが1隻来てる」
「え、燈瑩さんよく知っとりますね」
「俺も武器の運搬で船使うからね。一応港の情報はちょこちょこ入るよ」
「その九龍灣のが怪しいっつーわけ?」
「上の友達かどうかは別として、誘拐グループの船の可能性は高いかもね。どうする?見に行く?」
燈瑩に訊かれ、上は思案した。
かも知れない、を繋ぎ合わせただけの推論。そうだという確証は1つもない。
けれど。
「行きます」
何も無くてもいい。欲を言えば、間違いならもっといい。
だがもしも、もしもそこで藤を見付けたなら…もう一度話しをしたい。
「じゃあ行こうか」
「あっ、いやええですよ!そこまで迷惑はかけられへんし。俺1人で行きます」
腰をあげようとする燈瑩に上は慌てて手を振った。その言動に猫が眉を顰める。
「は?馬鹿か上、燈瑩連れてけよ。何かあった時にお前じゃ話になんねぇよ」
「話にならへんことないやろ」
「ならねぇって。死ぬぜ。死んでもいいなら1人で行きゃいーけど」
辛辣過ぎる。だが、上も反論は出来ない。
上は戦闘力がほぼゼロだ。運動能力がとりわけ低いのは周知の事実で、おそらく東よりも弱い。
言い方には容赦がないが猫は心配してくれているのである。
「えっと、そうじゃなくて…どの船だか教えなきゃいけないし俺も行くよ。ね?」
燈瑩が間を取り持つ。
「甘やかしやがって。はっきり言えよ、お前じゃぁどうしようもねぇから死ぬぞって」
「別にまだ何かあるって決まってるわけじゃないんだから」
「つーことは、何かあったら死ぬって思ってんじゃねーか。本音出てんぞ?」
「揚げ足取るねほんと」
猫がカカッと笑い、燈瑩も笑って肩をすくめる。
2人のやり取りを見ながら、上は思った。
────優しい。そう、優しいのだ。樹も、東も、みんな。俺は周りの人間に恵まれている。
そして、だから‘わからない’んだろう。
藤の言いたかった事はつまり─────。
「とにかく、行こうか」
燈瑩の声に上は今度は頷いた。
夜の九龍へと踏み出す後ろで、気ぃ付けろよな、という猫の声が小さく聞こえた。




