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九龍懐古  作者: カロン
神韻縹渺
336/492

砂上と楼閣・後

神韻縹渺8





真夜中。(シイ)は雨の魔窟をフラフラ歩く。うってかわって重くなった足取り、ぬるい水滴がシトシトと服を濡らし、路地裏の水溜りを広げた。




…あの、半グレ連中は。両親の仲間なのだ。




両親もただのスラムのチンピラだった。父親にも母親にもロクに相手をしてもらった思い出がない、どちらも(シイ)に興味をもっておらず(シイ)もどちらにも興味がなかった。なんとなく母の、蠟細工のごとく艶やかな黒髪だけが記憶に残っている。職業柄(・・・)外見の手入れは怠らなかったのだろう。

その黒髪が嫌いだった。子供の世話より髪の手入れ。周りの連中も嫌いだった。誰も彼も色に金に薬、その繰り返し。そんなものに囲まれた生活で、(シイ)は中身ばかりが1段飛ばしで成長した。


ずっと1人、暇を持て余して、だから絵を描き始めた。来る日も来る日も。お陰様でドンドン上達し、両親が消息を絶った後も幼いながらそのままチームに残ることが出来た。贋作師(・・・)として。別に喜ばしいことでもない。ただの処世術、生きていく為に他に選べる道が無かっただけ。


(いて)っ…」


呟いて唇の端を(こす)る。血がついている、(はた)かれて切れたせいだ。ティッシュでも無いかとポケットを漁ると、(アズマ)が折った紙飛行機が出てきた。


これにはもともと見覚えがあった。飛行機の形ではない、素材となった(さつ)のほうに。


金融機関が噛んでいる(しつ)の良い偽札が大陸側から流れてくるということで、スラムのマフィア崩れ共は色めき立った。(シイ)のグループも話に乗ってみたものの、良質(それ)は、大陸側での評価だった。中国や香港市街かつ手渡し──機械は流石に通らない──ならバレることはまずないが、犯罪慣れした九龍(ここ)の住人には意外と看破されてしまうのだ。(アズマ)のように一瞥(いちべつ)しただけで見破る猛者も居る。仕事がし易いはずの無法地帯で、無法地帯であるがゆえ、思うように(さば)けなかったのが現状。


しかし贋作はいつだって上手くハケ(・・)る。現金は誰しも所持していて毎日飽きもせず触れているが、美術品は異なる。真贋を確かめる(まなこ)を持つものは稀。

ゴッホやルノアールといった世紀の大御所ではなく、新鋭気鋭や(ちまた)でいくらか有名なアーティスト達をコピーするのだ。そして、本質もわかっていないのに理解した気になって、リビングやベッドルームに飾ることをステイタスとする富裕層に売る。簡単なお仕事。


(シイ)生業(なりわい)はこれだった。絵描きの腕を存分に発揮し贋作を(こしら)える。チンピラ達はそれを売る。(シイ)は貢献と引き換えに、金と、スラムでの身の安全を手に入れる。こちらも簡単な仕組み。


(ウェイ)と出会ったのは偶然だ。息抜きで適当にボム(・・)でもしようかとウロツいていた小道で、たまたま。(ウェイ)は何だか自分とよく似た顔で、居た堪れなくなって、ついお節介を焼いた。例に漏れずに両親は無く、帰る場所も無く、だけど絵が上手かった。今までそれしかすることがなかったからと(ウェイ)は言っていた。


その手を取り、それから周りにも小さな仲間が増えるまで、左程(さほど)時間はかからなかった。




「みんな…」


喉が掠れる。(ウェイ)の賛辞が頭を回る。



───(シイ)はすごいのです。



違う。私が(ウェイ)よりも稼げるのは、そういった(・・・・・)繋がりの人間にそういった(・・・・・)作品を売っているから。単身で売買に行くことが多い所以(ゆえん)(ウェイ)に真っ直ぐな眼差しを貰えるような立場ではない。


今回‘2人’へ唐突に舞い込んだ割の良い商談の話は、恐らく仕掛けられた物だった。絵の買い取り主は預かり知らないだろう、単純に私のチームのヤツらの仕業。私と(ウェイ)が遠出をしている隙に、みんなを連れ去って売り払う手筈…だのに何も疑わずノコノコと…馬鹿だ私は。気付かれていたのだ、傾いて(・・・)いるのを。今のグループを抜け、(ウェイ)達を選ぼうかと考え始めているのを。


油断していた。楽しく、過ごしすぎていた。それが命取りだなんてとっくの昔から識っていたのに。嬉しかったんだ、みんなや(ウェイ)が、自分を慕ってくれることが。思ってしまったんだ、このまま、穏やかに暮らしていけるのではないかと。


噛み締めた唇に再び血が滲み鉄の味がしたが、とっくに頬の内側もズタボロだったので関係なかった。


私のせいだ。守りたいなんて戯れ言だった。あの一帯(いったい)には手を付けないでくれと、金なら働いて(・・・)用意するからと、マフィア連中に口を利いて、私の力で、みんなを守っている気でいた。なのに実際はどうだ?結局、私が居たからじゃないか、みんなが目を付けられたのは?私が居なければ…私が…。


「っ、ぁあぁぁ!!!!」


堪えきれない感情。慟哭。握り(こぶし)で壁を殴った。コンクリートはビクともせず、むしろ、自分の骨が軋んだ。無力だ。無力。何の力も無い。




──────それでも。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






(シイ)!!」 


家の近くに帰り着くと、(ウェイ)がすぐさま外へと飛び出し駆け寄ってきた。


「シっ、(シイ)…?どうしたのです?ボロボロなのです…」


戸惑いながら(シイ)の両頬にペタペタ触れる。温かい(てのひら)(シイ)が無表情のままでいると、(ウェイ)はつっかえつっかえ状況を説明する。


「えっと、誰も…誰も帰って来ないのです。呼んでもどこにも居ないのです。(ウェイ)は、た、たくさん探したのですが、えっと…(シイ)も帰って来ないかと思って、えっと、(ウェイ)は…」

「うるさいよ(ウェイ)


(シイ)が低い声で言葉を(さえぎ)ると(ウェイ)はたじろいだ。肩にかかる(ウェイ)の手を荒々しくどける(シイ)、その行動の意図を測れず、オロオロしつつもう1度肩に触れようとする(ウェイ)の身体を(シイ)は思い切り突き飛ばした。濡れた地面に倒れ込む(ウェイ)、揃いの服に泥がはねる。


「触らないで。いつも私に頼って、くっついてきて、ウンザリなんだよ」

「え?え…(シイ)…?」


事態が飲み込めず今にも泣き出しそうな(ウェイ)の瞳を冷たく見下ろし、(シイ)は奥歯をギリッと鳴らす。


「ウンザリだつったの!聞こえただろ!」

「なにが…なのですか…?(ウェイ)が、なにかしたなのですか?」


足に追い縋る身体を振り払う。また服に泥がはねた。泣き出しそうだった(ウェイ)の顔がついに泣き顔に変わったのを、(シイ)は見ないふりをした。


ヘタクソだなぁ、私は。でもこれ以外のやりかたがわからないから。


「みんなもう、帰ってこないの。だからお前も私につきまとうなよ。邪魔なんだよ」


(イツキ)(アズマ)の所に行ったらいい。(ウェイ)1人くらいなら世話をしてもらえるだろう、他力本願で申し訳ないが。(ウェイ)(かす)かに首を横に振るのを(シイ)は舌打ちで制した。視界に映る姿が自分と重なる。


私より似合ってるよ(ウェイ)、そのシャツも、そのズボンも。しょうもない理合(りあ)いで黒を()けてオレンジにしていた髪も、素敵だと褒め同じ色を強請(ねだ)ってくれた。

だけど、口調なんかは私が真似してるんだ。無邪気で明るい笑顔も。そうだよ…本当は…(ウェイ)が私に付いてきてたんじゃない。いつも一緒に居たかったのも、お揃いがいいと思っていたのも、繋ぐ手に力をこめていたのも、きっと─────





私のほうだった。











「お前なんて」


雨音の中、ハッキリと(シイ)の声が響く。




「お前なんて………大っ嫌いだ」


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