リターンマッチと霹靂
青松落色７
「っ猫…！なんで…！？」
「いーから。とりあえず逃げんぞ」
手を引く猫に大地は頷いて立ち上がろうとしたが、足首に痛みが走りその場にへたり込んでしまう。
起き上がった男が喚きながら猫に殴りかかった。
猫はそれを背を反らせて避けると、その勢いのまま身体を回転させ一発ハイキックをかます。
更に半回転しもう一発。男がよろめき後ずさる。
その隙に、大地へ振り向いて声をかけた。
「なんだよ、足挫いてんの？」
「そうかも…」
「ったくよぉ」
言うなり猫は素早く大地を横抱きにして部屋の外へと走る。後ろから飛んでくる瓦礫を体勢を低くしてかわし、建物の外へ。
路地の脇の階段に大地をおろす。待ってろと告げて来た道を戻れば、ちょうど男が建物から出てくる所だった。
「またテメェか、チビ」
そう言われ猫は首を傾げる。
また？またってなんだ、どっかで会ったことあんのか？男の顔をジッと見てみる。これといって特徴はない…よく居る顔だ。
が、鼻背に横一文字に傷がはいっていた。ふと記憶がよみがえる。
「…あ？お前、ケツの穴野郎か？」
もしや、樹と燈瑩と一緒に富裕層地域のレストランへ行った帰りに揉めた相手か。割れたサングラスの下がそういえばこんな顔だった気がする。
猫の言葉に怒りを再燃させた男が、腕を振り上げ右ストレートを繰り出す。
それを左手でいなした猫は、懐に入って右肘で顎を打ち抜いた。フラつく男の足を払い側頭部に蹴りを一撃。男が通路に倒れ込む。
目立たない…というよりは敢えて披露せずにいるのだが、猫は身体能力が高い。
樹と比べても遜色が無く、天成楼に来るのにも実は時間短縮のために下道ではなく建物の屋上や屋根を渡ってきた。
戦闘になれば樹のほうが強いが、足の速さなどではむしろ猫が上回る。
普段それを表に出さないのは面倒だから。基本的にとてつもなく面倒くさがりなので、出来るだけ自ら動きたくないのだ。
したがって、猫と二度も交戦する事になったこの男は逆に貴重な体験をしているとも言える。その体験をしたかったかどうかは別として。
「オメェごときが俺様に勝てると──…ん？」
倒れた男の向こう側、通路の突きあたりに、誰かが立っているのを認めて猫は視線を移した。
上だ。ポカンと口を開けてこちらを見ている。
「あぁ？お前いつから居たんだよ」
「今やけど…何してんこれ…」
「何もクソもねぇよ、こっちこい」
おたおたとする上のストールを引っ張り大地の待つ階段へ連れて行く。驚いた上の口はますます開いた、アゴが外れそうな勢いだ。
「は？何してん大地！？」
「上がこれ忘れてたから、届けにきたの」
「携帯…？いや、この携帯はええんよ。もう使わんから置いてってん。使い捨てやねん」
「え？そうなの？」
「てか、ここ居るの何で知ってん」
「俺、俺。俺のミスだわ。天成楼だつっちまったんだよ」
言いながら猫は大地を抱きかかえる。ひとまずこの場から離れようと、上を促し人気の多い街中へ足早に向かった。
「なんなん、あいつ誰やってん？」
「ケツの穴野郎」
「いやほんま誰やねん」
「あっ猫、俺の他に女の子が…」
「大地んとこ行く前に見たよ。連れてた奴倒した、仲間だろ？ガキはもう逃げたぜ」
会話をしつつしばらく走り、花街の目抜き通りへ。さしあたって追手の気配はない。
近くにあった知り合いの風俗店に入ってやんわりと事情を説明し、待合室を借りて湿布と包帯を貰う。
猫はベッドに座る大地の頭をくしゃくしゃと撫でて言った。
「大地、お前樹に家まで送ってもらえ。いま呼んでやるから。俺とは動かない方がいい」
「え、どうして？」
「俺は顔が割れたからな。まぁ樹も割れてるけど、俺みてぇに２回もガッツリ揉めてる訳じゃねーし」
「２回？樹も？どないなってん」
大地の足首に包帯を巻く手を止めて上が猫を見る。猫はレストランに行った夜の話をし、その時すでに一悶着あったことを伝えた。
「あの人達って…上が言ってた誘拐グループだったのかな？」
大地の言葉に猫は腕組みをして少し考え、それから肯定を口にする。
「その可能性は高いな」
「え、なんでそう思うん」
「九龍外から来た成金だろ。しかもこんな真っ昼間っからガキ攫おうとしてよ」
九龍外から来て、人身売買をし成金になった奴ら。人身売買は他の街でもやっていたんだろうから成金なのはもともとか。
とにかくこの白昼堂々の誘拐未遂だ、もはや九龍に長居する気がないのだろう。
「あいつらが誘拐犯ならいよいよ最後の大仕事ってことじゃねぇの」
「ずらかる前に、盗れるだけ…やな」
憶測が現実味を帯びてきた。やけに静かにしていたここ数日は、このための準備期間だったとでもいうのだろうか。
「つうか、さっき攫われそうになってたガキ。15は行ってるように見えたぜ」
「15？15歳っちゅう意味？」
「そう。花街の女にも被害が出るかも知れねぇ、樹呼んだら俺は【宵城】戻るわ」
言うと、猫は煙草片手に電話をかけにいった。
スラムの10歳以下なんて目安は関係ない…か。あの時話していた通りだ。
なにやら考えながら包帯を巻いている上に大地が声を掛けた。
「上、怒ってる？」
「ん？んー…１人で出たんは駄目やな…大事なくてよかったけど」
「猫が来てくれたから」
「そりゃ猫のせいでお前が来たんやから」
「もともとは上のせいじゃん」
そう言われるとそうだ。携帯のことを伝えておけばよかった、仕事についての話を大地にするのを怠りがちなのは悪い癖だ…上は少し自省する。
「樹、10分で来るってよ。あと上ちょっと面貸せ」
電話を終えた猫が戻ってきて、ドアの所で手招きをした。手当を終えた上が廊下に出ると猫が思案顔で煙を吐いている。
「どしたん？」
「お前あれからあの友達に会ったか？」
「藤のこと？会うてへんけど」
「…俺、あいつ見たことあるわ。あん時より前に」
上は自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。
この時点でもはや、猫がこれから何を言うのかが、わかってしまっていた。
「レストランに行った日の夜だ。ガラス割って血だらけで出てきた奴」
猫も今日の騒動がなければ思い出すことはなかっただろう。
ガラスが刺さり、血まみれで転がるフードの少年。その隙間から見えた顔。それが指し示す答えは。
「藤───さっきの奴らの仲間だよ」
