冀望と心緒・後
両鳳連飛13
「だからよ、ここは溜り場じゃねーんだよ。叩っ斬るぞテメェら」
「自分は既に1度叩き斬られているぞ?2度は御免被りたいな」
「ええやん報告会なんやから。ちょぉ多目に見てや」
「【東風】に1人で居るの怖いじゃない」
「ほひひいほ、ほほへっへひ」
「うーるっせぇな同時に!樹は論外!」
夕刻、猫の部屋。
各方面から情報を仕入れてきた上と殷、普通に食肆へご飯を食べに来た樹プラス付属品の東は、菓子を抓んだり虎柄絨毯に名前をつけたり──フサフサした髭のせいで一瞬呼び名が‘老虎’になりかけ猫がすかさず止めた──などして思い思いに寛いでいた。
「燈瑩さんにも探ってもろたけど。敵サン、1個んグループって訳やないみたいやな」
「はんほふはいはふははふほはは?」
「それに関しても判然としないのではないか、樹。目星はついているだろうが」
「待て殷なんで今の理解った?」
質問を寄越した樹へと殷はスムーズに返答、驚愕する猫に‘宝珠も時折松鼠の如く食べ物を口に詰めるから’と平然。精練された解読スキル。
「えーとな…襲撃してきよったんは金で釣られた半グレ連中みたいやわ。雇い主がバラけとったんは、色んなグループが1枚噛んどるせいで…殷に声かけてきたっちゅうヤツらんとこもやな。んで、まとめよる大元がやっぱかなりデカいらしいで」
説明しつつ上は指をクルクル回す。
富裕層地域で起こっている子供絡みの事件。糸を引いているのは大陸から入ってきた金融関係の会社、本陣は中国より動きはせず表舞台からも降りる事はない。表面上は‘裏社会となんて繋がっていませんよ’と綺麗な顔でニッコリ、よくあるケース。
九龍の富裕層を狙い、重要人物の子供を誘拐及び殺害などして金の流れや勢力図を操作───ブラックマネーを動かしている。富豪達とて抜け道を求めたり当局から逃れたりしてこの街へやってきた者ばかり。詐欺、マネーロンダリング、所得隠し、インサイダー取り引きエトセトラと忙しくしている連中だ、被害者側になれど大手を振って警察へ!などとは土台無理な相談。
懸念はそれなりに的を射ていた。猫が目線を向けると、顎を擦って頷く殷。
「自分のほうからも周囲を辿っていったが…正しいな。黒幕の影はチラホラ見えている」
概ねその見解で正解だろうと上の言へ同意する殷へ、猫は煙を吹いた。
「どうすんだ?お前」
「自分は仕事に戻る心組みは毛頭ないから。斬り結ぶしかあるまい」
「斬り結ぶて…ちゅうか、仕事やめるんは宝珠ちゃんに言われるからなん?」
「妹は内容については進言しないよ。仔細を話す訳では無いし。もちろん把握も心配もしてくれているけれど、引退は自分の個人的な利己心だな」
上が差し挟んだ疑問に殷は自嘲。
「宝珠は家族の中でも特別だから」
樹がコテンと首を横に倒す。ハテナ。殷は笑って、昔話を口にした。
産まれついたのは双剣術の家系、表向きには特段目立ったこともない流派。しかし【十剣客】よろしく裏では暗殺稼業を担っていた。逢祖殺祖とでもいわんばかりに、善人であろうが赤児であろうが依頼とあらば誰彼かまわず斬り伏せる。殷も年端もいかない頃からその手伝いをしていたという。
仕事だと割り切ればそれまで。正しい姿勢でさえあったかも知れない…けれども。
「あまり好ましくなかったな」
皮肉めいた声音に皮肉めいた笑みを乗せる殷。そのせいで却って両親は信心深かったんじゃないかと嘲るように吐き捨て、輪廻転生の手伝いでもしてるつもりのご都合主義だと嗤う。
だが───宝珠が誕生した際。どんな心境の変化か両親は暗殺稼業をスッパリやめ田舎に隠居、ひそやかに慎ましく暮らし始めた。年齢を重ねてしまったせいか。或いは、晩年に授かった娘が殊の外愛おしいものだったのか。兎にも角にも細々と続いてきた人殺しの家系で唯一、宝珠だけが血に塗れた道を避けられた。
さりとて、そう都合よく事が運ぶ由もなし。結局数年も経たないうちに、両親共に怨恨がもとで殺されてしまう。出先での出来事だったため留守番をしていた殷と宝珠は巻き込まれず、事件を聞いた殷は現場へ駆け付けることもしないで、幼い宝珠を連れそのまま家を捨てた。なので彼女は両親についての記憶があまりない、家族の話題になった時2人の間にズレが生じるのはそのせいだ。
「‘因果応報’だろう?自分が宗教から学んだのは此れだけだよ」
悲歎も悔恨も義憤も無かった。至極当然の仕儀、業が返っただけ…呟く殷は無表情。何の感情もこもらない黒瑪瑙のような瞳。
「ほんなら、そっから2人で暮らしててん?大変やったやろ」
「いや、そうでも。家業を継いだから」
境遇に似た部分を感じたらしい上の発言に、殷の自嘲的な口調は更に色濃さを増した。
廃業した仕事を再開したのだ。身体の弱い宝珠を確りと育てられるだけの生活水準を保つべく、手っ取り早く稼ぐには裏稼業が1番良かった。
好き嫌いと才能は噛み合わないことも屡々。本人の意向とは関係なく、結局の所、両親が期待していた通り殷にはそちらの才があった。それだけの話。
そしてある時、ある依頼を引き受けある人物を仆しに向かった折────【十剣客】と鉢合わせた。
「標的が重なっていて。そこで、当時の首領に勧誘され末席へ控えたという経緯だよ」
「末席ではないんじゃない?次に襲名してるんだし首席でしょ」
ユルユルと煙を流す東へ殷はいくらか楽しそうに笑む。
「そうとも言えるかな。次代を継ぐ筈だった首領の息子の座を奪い加入したから」
「あら、殷が殺ったってことなの」
「自分ではないよ。首領が、その場で息子を亡き者にしたんだ」
現場でカチあった殷と【十剣客】は即座に一戦交えたが───闘いの最中に突然、首領は同行させていた己の息子を切り倒した。聞けば息子の剣の腕がどれだけ教え込んでも奮わず、表に出すのを恥じ入る程であると。なので…偶然居合わせた殷に目を付けた。息子を知る者はさほど多くない。役立たずの子息などは切り捨て、役に立つ者を拾いあげ入れ替わらせてしまえばいい。極端な思想。
「訝った人間も居たとは勧ずるが…自分は強かったから。文句は出なかったな。そんなことより【十剣客】は最強として君臨したがっていて、腕が立てば何者でも構わなかったんだろう。お言葉に甘えさせてもらったよ」
【十剣客】は衰退の兆しを見せており、首領がくたばり殷へと組織が引き継がれた頃には既にかなり勢いを落としていたらしい。先日起きた【黃刀】事件、酒場で単身猫に斬りかかった人物が古参のうち1番力があったのではと殷の見解。
だから手応えも無かった訳か…思いながら猫はパイプの灰を捨て、新しい葉を詰める。
「殷、誘われたからってよく【十剣客】入る気になったな。嫌いな部類の職場だろ」
「報酬が良くて」
間髪入れずに返る、俗物的な意見。確かに【十剣客】も1度は名を馳せた集団だ、先立つものはあったのだろう。殷は瞼を伏せる。
「慚愧に耐えないな。賛同し得ない依頼は引き受けない様に努めたとはいえど…属していたのだから、必竟、同じ穴の貉なのに」
理由はある。もしも自分が居なくなった時に宝珠が路頭に迷わないよう、稼げるだけ稼ぎ遺せるモノは遺しておきたかった。だが───何も褒められたことではない。
いくら依頼の内容を選ぼうと、ターゲットを所謂悪党だけに絞ろうと、善だ悪だ是だ非だなど全て個人の贔屓と偏見だ。畏敬の念を抱かれるような兄では到底無く。
今回だって、妹を護りたいとのたまうくせに意に反する事態が起これば勝手に足抜けする始末。中途半端なのだ、自分は。矜持なんてものがあるのかどうかすら怪しい。
…妹を免罪符にしているだけじゃないのか。
彼女をどことなく神聖視し、家族についてもさして悟らせず、どことなく遠ざけて、どことなく救われたいのは───自分なのでは。
「そんなことない」
いつの間にやら菓子を平らげた樹が、真剣な眼差しで殷を見詰める。ハッキリした口振りで言い切った。
「殷が宝珠を護りたいなら…それは、間違ってない」
その気持ちは。
打算的なものではない。
樹は、服の陰でわずかに拳を握り締める。───宗のことを思い返していた。そうだと信じたいだけなのかも。本当は、殷の言う通りただの利己心なのかも。誰かの為なんてつまりは自分の為でしかないのかも。
だけど、それでも、護りたいと願った想いは嘘ではないから。
汲み取った東が、‘そうね’と明るく発し樹の肩を叩いた。殷はありがとうと目尻を下げ微笑う。
「本当に…皆に逢えて良かったよ。改めて、礼を言わせてくれ。これからも宝珠を宜しく頼む」
「宝珠をってなによ?殷もでしょ。縁起悪い言い方すると看護師に怒られるわよ」
「看護師?」
東の言に疑問符を加え復唱した殷は、先程とは真剣さの方向性がどうにも異なる眼差しの看護師と視線が絡まり、今度は若干ぎこちなく口元だけで微笑った。




